森の雑記

本・映画・音楽の感想

医者が教える食事術 最強の教科書

医者が教える食事術 最強の教科書

 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68

 

はじめに

 年末年始をだらだらと過ごしていたら幾分か太ってしまった。昨年はわりと摂生していたのだが、年の瀬ということで無礼講。体重増加は当然のことなので結果に悔いはない。

 なかやまきんにくんも言っていたように、ストレスを溜めずに少しずつ戻せばいいのだと思う。失敗が取り返せないことはない。

 ということで、ダイエット食生活の参考文献に選んだのが牧田善二著「医者が教える食事術 最強の教科書」(ダイヤモンド社)である。

 

全体をみて 

 糖尿病専門医が書いた本なので、ある程度は信頼ができるはず。著者は食生活で気にすべきことは「糖質」「血糖値」であると宣言し、これらのコントロールを主眼においた食事法を提案する。

 ページ数が多いのでちょっと手に取りにくいと思うかもしれないが、後半(4章以降)はおまけみたいなもので、3章まで読めば本書の教えはわかる。まずは半分ほど読んでみるのもいいだろう。

 また出版がダイヤモンド社というだけあって、この本のターゲットは30代〜のビジネスパーソンである。著者もしばしば「ビジネスパーソンなら〜」みたいな言い回しをする。でも若い人だって読んだ方がいい本。

 以下、各章気になったところについて。

 

序章 人体のメカニズムに沿った最強の食事

 人体は糖質を積極的に摂るようプログラムされている。これは有史以前、我らが祖先の暮らしが体に刻み込まれているからである。しかしこの糖質が簡単に入手できるようになった現代と、このプログラムは非常に相性が悪い。結果的に我々は「糖質依存症」とも言える状態に陥った。

 最近よく聞く話である。糖質制限が流行るのもこの風潮によるところが大きい。本書は2017年に出版されたので学説に多少の変化はあるかもしれないけれど、いち早く糖質の危険性を訴えた本のひとつであると言えそう。

 この章で少し気になったのは過去の人類が食べていた食物を「良質」と書いているところ。いやまあその通りというか、今から見れば成分が良質なんだろうけれど、それって大昔基準で作られている我々の体から見れば「良質」よいうよりは「普通」なんじゃないかと。良し悪しは相対的なもので、過去からあまりバージョンチェンジがなされていない体のメカニズムからすると、今の食生活は「異常」であろう。しかしこれは結果としてこの「異常」さが「悪い」ものになっただけで、何千年も前から今と同じ食生活をしていればこれが「普通」だったはずで。まあこんな言葉遊びの建設的でない批判はさておき。

 とにかく糖質過多な食生活は我々の体にあっていないらしい。

 

第1章 医学的に正しい食べ方20

 本書のサビ。ここ最近は常識的になっていても、当時見れば目から鱗だったような記述が満載。以下、箇条書きで。

プロテインはNG 人工的に作られたプロテインで、一度に多量のタンパク質を摂取することは腎臓によくないらしい。まあ過去にプロテインなんてものはなかったので当然と言えば当然か。毎朝プロテインを飲んでいる僕としては耳が痛いが、朝食の代わりに飲むならいいでしょう、ということで。

・オリーブオイルはOK 糖質と一緒に摂取すれば血糖値の上昇が抑えられるそう

・ナッツはOK 不飽和脂肪酸、ビタミン、ミネラル、食物繊維など、体にいい成分がたくさん含まれているらしい。きんにくんもクルミをお勧めしていた。

・大豆もいい タンパク質は植物性のものから摂るのがいいらしい。食べ物として点数をつけるなら100点。牛乳を豆乳に置き換えるのもいい。これはやってた。

・酢もいい 第4章で出てくるAGEを下げる効果がある。さらに血圧も下げる。合成酢ではなく天然のものを選ぼう。

 

第2章 やせる食事術

 サビその2。ダイエットに主眼をおいた食生活を紹介。以下覚えておきたいこと。

・ベジファースト 野菜を最初に食べることで血糖値の急激な上昇を抑える。糖質は最後に。コース料理でもご飯・パンは終わりの方に出てくるでしょう。

・3ー5ー2 朝、昼、夜の食べる割合。スペインでは昼食をガッツリ食べて夜はさくっと、みたいな食生活が普通らしいが、これを見習おう。できれば夕飯で炭水化物を摂ることを避けよう。

 

第3章 24時間のパフォーマンスを最大化する食事術

 サビその3。今度は1日を活力あるものにするための食事について。この章くらいからは結構前までの繰り返しになってくる。豆乳がいいとか。糖質は体によくないとか。糖分をとって「すっきり」したように感じるのは、糖分中毒の証であるらしい。糖に依存していなければ、常に一定の集中力を保てるが、糖質依存になると「糖がない」時のパフォーマンスが落ち、摂ると一瞬ハイになる。だから「すっきり」と感じるカラクリ。

 さらに塩分についての記述もある。まあ当然「取りすぎ注意」という話なのだが。塩分過多は腎機能を低下させるので、意識的に減らしていきましょう。味付けはスパイスや酢で。

 

第4章 老けない食事術

 病気や老化現象の犯人として注目される物質AGEと、その発生を抑える方法について。タンパク質や脂質がブドウ糖と結びついてできるというこの物質は細胞に炎症を引き起こすそう。この「炎症」については「最高の体調」(クロスメディア・パブリッシング)にも書いてありました。

 紫外線はこのAGEを増やす?ようなので、日焼け止めを塗ろう。肌が健康になるらしい。

 

第5章 病気にならない食事術

 免疫システムをきちんと働かすための食事について。 

塩分を摂るときはカリウムが含まれている食品を摂ることで、塩分の排出を促しましょう。

 

第6章 100歳まで生きる人に共通する10のルール

 詳しくは本書を読んでもらいたい。「人生100年時代」どうせ生きるならただ生きるだけじゃなく健康に生きたい。

 この章では「コカ・コロナイゼーション」(食文化の現代アメリカ化)という言葉が出てくるが、これってコカコーラから来てるんですかね。

 

おわりに

 食生活を変えるのは難しい、と思うかもしれない。もはや習慣化された風呂上りのアイスクリームや、深夜のラーメン、夕食のどか食い、、、。我々は毎日何かしらを食べて生きているし、長く続けたものを一新するハードルはとても高く見える。

 けれど逆に言えば、食事は毎日やってくる。つまり、改革のチャンスは非常に頻繁に訪れるのだ。もし今日できなくても、明日から。それができなくても「いつかやったんぞ」という気持ちを持ち続けることが大切なのではないか。きんにくんもそう言ってたし。

 

 

 

 

マンガでわかる ブロックチェーンのトリセツ

マンガでわかる ブロックチェーン

のトリセツ

 

はじめに

 ビットコインバブルはとうの昔に終わったと思っていた。TVコマーシャルで芸能人がビットコインを宣伝する事もほとんど無くなったし、消費者庁が注意喚起を行った事もある。そんな逆風もあってビットコインは危険で怪しいモノになってしまった。

 それに伴い、何もわかっていないかつての自分は、「ブロックチェーン」(以下BC)も終わったのだと思った。当時はBCとビットコイン(両方略すとBCになってしまう)をほぼ同じモノだと捉えていたからだ。

 しかし、中田敦彦のユーチューブ大学や知人からの話を聞いて、どうやらそうでもないことに気づく。BCは「技術」であり、それを通貨に応用したのがビットコインであるようだ。

 したがって、ビットコインが「終わった」(あくまで投資の対象として、それも一部の怪しい売り方をしているモノに限って)ことは、BCのおわりとイコールではない。むしろこの技術はさらなる可能性を秘めている。

 そんなBCの可能性をわかりやすく教えてくれるのが、森一弥著佐倉イサミ画「マンガでわかるブロックチェーンのトリセツ」(小学館)である。

 

全体をみて

 BCを解説する本の中では最もわかりやすい部類に入るのではないだろうか。しかし「マンガでわかる」とあるものの、各章の導入にマンガが用いられているだけで、本書の70%くらいは授業ノートのような紙面で構成される。ストーリー→解説の流れになっているから抵抗なく読めるというだけで、解説ページは専門用語もきちんと出てくるから、普通に難しいところもある。「マンガ認知症」に近い構成と言えるか。

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 とはいえ、専門用語は使われる前にきちんと説明がなされるし、極力情報量を抑えたレイアウトも初心者には嬉しい。キャラクターが口語で説明してくれるから頭にも入りやすい。随所にわかりやすさへの工夫がなされた本だと言えるだろう。

 以下、面白かったところについて。

 

法改正

 日本では「資金決済法」が2020年5月に改正され、仮想通貨がいち早く法律に盛り込まれた。条文内では「暗号資産」と定義されているようだ。現時点で仮想通貨は投資対象としての側面が強く、決済手段としてはブラックな分野で用いられる事も多いが、制度上は幅広い取引に使えるようだ。

 

トーク

 BCにおいて理解が難しい概念のひとつが「トークン」。これは「価値を持った数字の情報」をさす。なんのこっちゃ。ものすごく平たくいうと、情報が金銭に限らない価値をもち、支払い等に使える時その情報単位を「トークン」と呼ぶ、的な感じか。

 本書で出てくる例のうちわかりやすいのは「大根を誰にいくつ発送したか記録すると、発送先の人にその分のトークンが渡される」という言い回し。

 トークンを使えば法定通貨や「金額」に縛られない取引ができることから、ものの価値を正当に表現できる強みもあるようだ。

 このあたりを読んでいて感じたのは、西野亮廣の「レターポット」に似ているな、ということ。あちらは文字をお金で買い、文字が通貨的に使われるサービスだが、お金以外の何かが取引に用いられるという面で類似しているかと。全然違うかもしれないけれど。

 

スマートコントラクト

 便利そうな技術。取引の契約内容をあらかじめBC上に書き込んでおくことで、条件が達成されると自動的に取引を実行してくれる契約管理方法。

 「魚を届けてくれた人に対価を払う」と書き込んでおけば、あとは自動で支払いがなされるというわけだ。便利過ぎないか。もちろん対価にはトークンが使われるし、BCのシステム上、ネットワーク内の全ての場所で取引の精査がなされるから、不正の心配も少ない。

 ちょっと脱線するけれど、BCの性質のうち「中央サーバーが不要」という面も大きく世界を変えそう。

 

量子コンピュータ

 BCの敵になりうる存在。処理速度が飛躍的に伸びたこのコンピューターの前には、さすがのBCも対応を迫られる。具体的には暗号が解読される危険性が上がる。一説によれば2027年にはBCの暗号技術は破られるんだとか。

 対応するための「量子耐性」を備えたBC運用も始まっているらしい。流行る前からすでに終わりが見えている技術ってなんだか悲しい。

 

ステーブルコイン

 なんらかの方法で価値を比較的安定させた仮想通貨のこと。多くは法定通過に「ペッグ」(レートを一定に)する。先日名称変更したFacebookの「ディエム」(元リブラ)なんかもここに分類されるらしい。

 

おわりに

 BCは技術というよりは「概念」だということはよく言われる話である。技術は応用して、あるものを改善する方向で用いられることが多いけれど、「概念」ともなると生活を根底からひっくり返せる可能性がある。量子コンピューターという「技術」にBCは勝てるか、はたまた共存し、己を改善するものとして取り込むのか。今後も目が離せない。

 

 

 

 

 

 

 

名画の読み方

名画の読み方

世界のビジネスエリートが身につける教養

 

はじめに

 先日は『「名」文どろぼう』を読んだが、今回は『「名」画の読み方』。当方美術館に行くのはわりと好きな方なのに、美術への造詣は全くない。どの絵を見ても「きれいだなあ」「すごいなあ」くらいの感想しか出てこないのはなんとも歯痒いので、以前読んだ「いちばんやさしい美術鑑賞」から少し発展させてみることに。

 木村泰司著、ダイヤモンド社発行。

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全体をみて

 19世紀までの西洋絵画を宗教画、風俗画、肖像画など6つのジャンルに分けそれぞれ年代を追って解説してくれる本である。ある程度世界史の知識があったほうが面白く読める。

 表紙やレイアウトが白と黒のみで非常にシンプルなのも良い。本書には絵画のコピーがいくつも収録されているのだが、色鮮やかな美術品がモノクロの地によく映える。

 ただ、サブタイトルに「世界のビジネスエリートが身につける」とあるものの、絵画と現代ビジネスの関係については全く触れておらず、若干のタイトル詐欺感も否めない。著者の本業はビジネスでないので、おそらく編集・マーケティング的な意向から付されたものだと思うが、これはいただけない。

 以下、各章面白かった箇所について。

 

第1章 宗教画

 キリスト教ユダヤ教の歴史を踏まえ、歴史画の一分野、宗教画を解説してくれる章。聖書の時系列に合わせて論が進むので、ここを読むだけである程度新旧聖書のこともわかる。

 ユダヤ教から派生したキリスト教なので、当然モーセ十戒のひとつであるぐう有象崇拝は避けるべき、しかし宗教を広めるために視覚的な効果も欲しい。そのために「イエス」のイコンを通して「神」を拝む、という理屈が発展した、という記述も面白い。

 それにまつわるレオン3世の聖像禁止令も懐かしい。「726年 何(72)が無(6)理だと聖像禁止」で覚えた方はどれほどいるのだろう。

 加えて「アトリビュート」の話も知っておいて方が良さそう。これは聖者を識別する「持ち物」「象徴」のことで、例えばマルコのアトリビュートは「有翼のライオン」。キャラクター特有のアトリビュートを覚えれば、絵画に描かれているのが誰なのかすぐにわかる。それがわかればスマホなりで当該聖者の素性を調べることもでき、より絵画を楽しめそう。

 

第2章 神話画・寓意画

 続いてはギリシャ神話などをモチーフにした神話画、抽象的な概念を描き表した寓意画について。こちらも歴史画の一分野。

 神話画に関しては特定の神のある場面をモチーフにしたものばかりなので、神話のストーリーを知っていればかなり楽しめそう。それぞれの神のアトリビュートも知っておけばより良い。1つだけ難癖を付けさせてもらうと、本書ではギリシャの神々をローマ名で記述するのが非常にわかりにくい。ゲームなどでギリシャ神話に触れてきた世代なので、ヘラとユノ(ジュノー)ならヘラの方が馴染み深い。冒頭に対照表があるので遡れば良いのだが、逐一「あれ、これはどの神だっけ」と変換するのがややこしいので、ローマ名呼びが常識なのかもしれないが、毎回かっこ書きを付けてくれれば良かった。

 さておき、問題は寓意画である。こちらは人文主義的教養、聖書への造詣を元に「読み解く」要素が強い絵画だ。つまり難しい。例えばボッティチェリの「春」。右手の女性2人は同一人物であり、風の神ゼフユロスによって変身させられている。左手メルクリウスが雲を杖で払い除けるのは人間の愛と神の愛の比較を示す。これが初見でわかるわけがない。何かを楽しむには知識が必要である。サッカーだってルールを知らねば面白くもなんともない。

 

第3章 肖像画

 こちらはもう少しわかりやすい。裕福な層が自らの痕跡を残すため、画家に発注した肖像画。今は写真があるからわざわざ絵を描いてもらう事もないが、当時はさぞ重要なものだったのだろう。この辺りの話はマンガ「アルテ」でちょこっと知っていたので面白く読めた

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 この章ではレンブラントファーストネーム戦略の話が面白かった。画家として一流になるには優れたマーケティング戦略も必要。

 

第4章 風俗画

 日常生活を描いた絵画。歴史画や肖像画より格下だと思われていたようだ。

例えば「農民画家」のイメージが強いブリューゲルは、実際都市に住む知識人で、顧客は上流階級の人々だったそう。当時の農民に絵は買えない。その絵も「働く尊さ」というよりはむしろ「愚か」な農民たちを描いて反面教師的にエンターテイメントに消化したものだというから驚きである。思ったよりやな奴。

 この章で好きな絵はピエトロ・ロンギの「犀(サイ)」。草を食む姿に漂う哀愁がたまらない。それからゴヤの「バルコニーのマハたち」。みていてものすごく不安になる目をした少女たちが印象的である。

 

第5章 風景画

 最初は単なる「背景」に過ぎなかった風景も、次第に独立のジャンルとして評価されるように。きっかけはオランダの独立。それまでは「風景を愛でる」ような価値観はなかったが、オランダの独立を勝ち取った人々が持つ愛郷心が風景画発展の源泉になった、と著者。

 現代の僕らが観て圧倒されるのは大きな風景画である事も多い。

 

第6章 静物 

 止まったものを描く静物画。でもこれ、あるものをあるがままに描いているだけじゃないらしい。それぞれの物に込められた意味があって、それをきちんと読んでいくのが静物画鑑賞のコツ。

 この章で紹介されるロベルト・カンピン「メロードの祭壇画」は特にすごい。「受胎告知」テーマを市民階級の家で再現する大胆さ、描かれたアイテムに散りばめられた意味、どこをとってもチャレンジングな一作である。

 

おわりに

 実際に美術館に行きたくなる本だった。「観る」から「読む」へ、絵画を味わう新たな視点を得られました。

 

 

名文どろぼう

名文どろぼう

 

はじめに 

 以前竹内政明さんの「編集手帳傑作選」を読んだ。笑える文章から大切に取っておきたくなる文章まで、バリエーション豊かなコラムが揃っていた。さすがは傑作選。そんな竹内さんの別著に「名文どろぼう」(文春新書)がある。新聞のコラムは引用が多いとは言え、まさか「どろぼう」とは。いったいどんな本なのか、興味があったので。

 

全体をみて

 本書は竹内さんが古今東西の「名文」をトピックごとに紹介するものである。短歌、エッセイ、スピーチなど「どうやってこんなに集めたの」と聞きたくなるくらい数多くの流麗な文章が登場する。しかもただでさえ紹介される文章がいいのに、語り手が竹内さんとくればもはや鬼に金棒。豪華な一冊である。

 ただジェネレーションの違いなのか、引用される文章は古いものも多く、背景にピンとこないことも。この辺りはミレニアル世代にはきついところか。

 以下、好きな文章について。

 

学問の自由はこれを保障する

 竹内さんが一番好きな憲法の条文。お馴染み23条「学問の自由」規定である。最近何かと話題になった条文だが、これには単純に「研究の自由」だけでなく、「研究の自律」も含まれるという見解をきちんと押さえておこう。さておき。

 竹内さんはなぜこの条文が好きなのか。それは「五七五」調だからである。「学問の 自由はこれを 保障する」確かに。大学で憲法を勉強し、何度もこの条文を見たはずなのに全く気がつかなかった。着眼点がニッチ。

 実は法律には他にも「五七五」があるようだ。民法882条「相続は 死亡によって 開始する」。この条文にはテストで相当悩まされた記憶がある。相続のところは論点が多いんですよ。改正によって文章が変わらなかったことを安堵すべきか。

 

「分つた」「象だ!」

 甥っ子相手に英語の家庭教師を買って出たのは檀ふみさん。「エレガント」の意味を甥に聞くと、なかなか出てこない。そこでふみさんはちょっと気取った仕草をしてみせる。この仕草を日本語にすればいいのだと。そこで甥っ子「分かった、象だ!」。

 おそらく甥は檀さんの仕草など眼中になく、必死で考えた結果脳内の「エレファント」にたどり着き、それを取り違えたのだと思うけれども。にしても笑いが止まらない。

 

とりかえしつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ

 みんな大好き俵万智さんの歌。命名ってかなり人を縛るし、突拍子もない名前や珍しい名前は、良くも悪くも人生に影響を与える。僕にも思い当たるところがあります。

 本書では俵万智さんの短歌がもう一つ紹介される。「いきいきと息子は短歌詠んでおり たとえおかんが俵万智でも」愛情たっぷり。「とりかえし」で「おまえ」を平仮名にするのもそうだけど、俵万智さんの歌には本当にあったかい何かがある。

 

天才とは

 「天才とは、蝶を追っていつの間にか山頂に登っている少年である。」と言ったのはジョン・スタインベック。これは言い得て妙。ノーベル賞を取るような人のインタビューを見ていても、本当に「好き」なんだなあ、と思うことが多い。

 

運の貯蓄

 人間には運を「貯蓄」するタイプと「消費」するタイプがいる、と語ったのは色川武大。数ある名文のうち竹内さんが最も影響を受けた文章らしい。

 自分にいいことがあるのは、誰かが運を貯蓄してくれたおかげ、そう考えると謙虚になれる気がする。

 

おわりに

 読み終えるととても暖かい気持ちになれる本だった。ミレニアル世代にはきつい、と書いたが前言撤回。引用元をきちんと調べてもっと味わいたいと思えるプレミアムな一冊。

国債がわかる本

国債がわかる本

 

はじめに

 「国債ってなに?」と聞かれると、ドキッとする。「国の借金」であること、日銀の「買い・売りオペ」の話、「マイナス金利」の意味、このような抽象的かつ断片的な知識は披露できるものの、それがどのような実態を持っていて、メリットデメリットはどんなところにあるかまでは答えられない。

 塾で政経や公民を教えている身としてこれはいただけない。先日「財務官僚の出世と人事」を読んで以来財政に興味が出てきたこともあり、

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 今回は山田博文著「国債がわかる本 政府保証の金融ビジネスと財務危機」(大月書店)を読んだ。

 

全体をみて

 ともすればとても複雑になりがちな「国債」の説明を可能な限り平易にしてくれる一冊。著者は多くの経済にまつわる本を出版している群馬大学教育学部の教授である。(2013年当時)

 さすがは教育学部の先生。本書では同じことを違う言葉で何度も繰り返してくれるので、読み進めるうちに国債への理解がどんどん深まる。また章をまたいだ時に、前の章で説明したことをざっくりともう一度買いてくれる部分も多く、随所に「わかりやすさ」への工夫がなされている。

 以下、各章面白かった箇所について。

 

第Ⅰ章 国債ビジネスと政府債務危機

 国債の発行が増大していくのには理由がある。それは「ビジネス化」である。

大手行などは①国債の利率収入②引き受け手数料(今は制度が変わって少し違う様相を呈している)③ディーリング益(国債を顧客に売買する手数料)、この3つの利益を「国債」から受けている。特に③に関しては銀行の営業利益の20%を占めることもあり、銀行は国債に大きく依存していると言える。

 この銀行の利益を守るために国債発行の圧力がかかり、歯止めが効かなくなっている面もある、と著者は指摘。しかし当然、このツケは国民に回ってくる。増税社会保障の削減で割を食うことになるからだ。

 

第Ⅱ章 現代資本主義と国債市場

 天文学的な数字から弾き出される売買差益を求め、グローバル化した国債マーケット。ここには多くの銀行、巨大投資家が参戦する。逆に言えば国債の価値や信用が下がれば、彼らの資産は大きく目減りする。いくら国債が安全な金融商品だからと言って、ギリシャデフォルトのようなことが起きないとも限らない。そこで大口の参戦者たちはなにを求めるか。増税である。

 増税によってある国の財政赤字が削減されると、当然その国の国債格付けが上がる。そうなれば彼らが保有する国債の価値も上がる。マネーゲームが継続できる。

 こうした状況は、常に大手行や投資家が消費増税に圧力をかけるインセンティブになりうる。

 

第Ⅲ章 動員される日銀信用と国民の貯蓄

 では国債発行額がこれほど増えているのに、日本の国際価格が値崩れしないのはなぜだろう。その理由の一つに「買いオペ」がある。国債を持っていれば、日銀が「買い取って」くれる。だから日本国債への需要は下がらない。よって価格も高止まる。

 国債の利上げによる悪循環も興味深い。国債価格が下がると、利率は固定されているので相対的な利回りが上がる。そうなると次に発行する国債はその「上がった」利回り以上の利率設定がなされなければ需要は喚起できない。金利を引き上げれば政府の負担は増える。資金調達のためさらに国債を発行する。信用が減り国債の価格は下がる。以下ループ。

 

 

第Ⅳ章 グローバル化する政府債務の危機

 こうした国債市場でマネーゲームが繰り返される様子を、著者は「カジノ型金融資本主義」と呼ぶ。各種規制緩和によりグローバルに一層活況を見せるマーケットだが、リーマンショックを誘発するなどの落とし穴も。

 金融恐慌や大企業倒産による雇用減に対応すべく、政府は公的資金を注入する。これは規制緩和=小さな政府を指向する動きと矛盾する。結果的に国に依存せざるをえない構造を産んでしまったのだ。この自家撞着を「誤りであったことが証明された」と著者は言い切る。

 

第Ⅴ章 一億総債務者と債務大国からの脱却

 現在の巨額債務は「もはや返済不可能」という著者。そこで「これ以上財政赤字を増やさないが、すぐには財政赤字を返さ」ずに、期間を定めず長期的に返済を行う「債務管理型国家」を提案。

 加えて公共事業より、経済効果・雇用創出力の高い社会保障に力を入れることも大事だと。

 

おわりに

 何気なく見る予算のニュースや金融危機トピックの解像度が上がった気がする。読んで良かった。

 

 

マンガでわかる 亜鉛の基礎と臨床

マンガでわかる 亜鉛の基礎と臨床

 

はじめに

 健康ブーム、と呼ぶにはもはや遅いくらい、様々なヘルスケアが一般化してきている。ジムに通う人がいれば、スキンケアを怠らない人もいて、多くのサプリメントを毎日のように摂取している人もいる。

 でもサプリって実際どうなの、と思く。ビタミンは食物から十分に取れそうだし、コラーゲンを経口摂取するのにどんな意味があるのかもわからない。サプリに興味はあっても、実際無駄なのでは?と疑ってしまう。

 だから、きちんとエビデンスを調べてみよう。でも難しい学術書は読みたくない。そんな時に出会った本「マンガでわかる 亜鉛の基礎と臨床」(金芳堂)を読んだので、ここにまとめる。

 

全体をみて

 著者は医師の小野靜一さん。そこそこのポストにつく医師の本ということで、信頼できそうだ。

 まず、マンガと言ってもあくまでイラストに文字が添えられている程度なのでストーリー展開があるわけではない。加えて添えられる文字も多いので、結局読む手間はかかる。文章も(当然だが)臨床データや専門用語への言及ばかりだから、全部読むのはそれなりに労力がいる。

 というとまるでタイトル詐欺を喧伝しているようだが、論文や学術書と比べて読みやすいのは間違いない。著者の亜鉛にかける情熱もひしひしと伝わってくるので、興味と時間があれば読んでも決して損はないだろう。

 以下、特に興味を持った箇所。

 

免疫と亜鉛

 欧米の薬剤師に「亜鉛の効果は?」と聞けば、当たり前のように「免疫の改善」と返ってくる、と小野先生は言う。日本では髪のことだったり肌のことだったりに言及されがちなので、ちょっと意外。

 体内の血清亜鉛値が低下すると、マクロファージや好中球の機能が低下するらしく、獲得免疫の力が落ちるそうなので、免疫力の低下を感じたら亜鉛サプリメントをとることを先生はお勧めする。

 免疫力が落ちているって言うのは、風邪をひきやすい状態のことを言うのだろうか。いずれにせよ体が弱っている時に亜鉛は有効なのかも。

 

髪と亜鉛

 テストロテンは男性ホルモンの一つ。これが5αリダクターゼⅡ型と結びつき、薄毛を進行させるジヒドロテストロテンになる。

 亜鉛に5αリダクターゼⅡ型の働きを抑える効果があるらしい。つまり薄毛の進行予防には亜鉛が有効、と小野さん。 

 

ALSと亜鉛

 この分野についてはまだわかっていないことが多く、断定的なことは言えないようだが、難病ALSにも亜鉛マンガンが関わっているそう。

 

肌と亜鉛

 ビタミンに負けず劣らず肌の健康に大事なのが亜鉛。ニキビ患者に亜鉛、または亜鉛とビタミンAを与えたら、84%の人に効果があったと言うデータも。傷の治りも亜鉛投与で早くなるらしい。

 ここに関してはエビデンス不足と言うか、ニキビなんて普通にしてても治ることが多いので、闇雲には信じられない。僕がこの本を読んだのは最近ニキビが気になってくきたからで、この辺の記述には期待していたのだけれど、イマイチ。思春期ニキビに限定しているっぽい記述も気になる。まあ肌のサイクルに亜鉛が関わっていること自体は間違いなさそう。

 

おわりに

 ニキビを治したいという不純な動機から読んだ本書だったが、結構いろんなことを学べたので良かった。肝心のニキビに関してはもう少し調べが必要か。

 

 

台湾生まれ 日本語育ち

台湾生まれ 日本語育ち

 

はじめに

 久々に読んだエッセイがとても素晴らしかったので紹介させてください。

温又柔著「台湾生まれ 日本語育ち」(白水社)。

 

全体をみて

 本書は第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した一冊である。著者の温さんはタイトルの通り、台湾で生まれ、幼少期に日本へ移住する国籍上の「台湾人」である。(この台湾人呼称については「二つの中国」にまつわる問題はひとまず脇において欲しい。)しかし人生のほとんどを日本で過ごした彼女は、物事を考えるのも、話すのも、書くのも全て日本語である。けれども生まれてから数年は台湾で台湾語を話していた。さらに両親は中華民国中華人民共和国の間に揺れた時代を生きたので、中国語も話す。もっと言えば祖母・祖父は日本統治下の台湾に住み、日本語を話す。

 こんな具合に彼女は絡み合った3つのルーツを持つ。日本、台湾、中国いずれにも染まりきらないマーブル模様の人生を行く彼女の感覚。このエッセイを読めばその感覚がありありと伝わってくる。国家、世代、戦争、戦後の日本に生まれ日本に育った僕が決して得られない想いを伝えてくれる良書だった。

 以下、好きな部分について。

 

言語を忘れる寂しさ

 幼少期日本に渡った温さんは、次第に日本語を習得していく。一方母は台湾語、中国語をメインに話す。家での会話はお互いに違う言語が使われた。

 だんだんと自分の中の「台湾語」「中国語」が薄れていくことに、温さんは「さみしかった」と言う。人生で初めて話せるようになった言葉を失っていくのは、心にどれほど影響を与えるのだろう。日本語しか使わない僕には想像することしかできないけれど、かなりの喪失感があるのだと思った。

 高校で学んだイスラーム史や三角比を忘れることすら怖いのに、思考の基礎をなす「言語」を忘れてしまうことはさぞ怖かったのでは。

 

台湾総統選挙

 温さんは国籍上日本人ではないため、幼少期から過ごす日本では選挙権がない。しかし台湾での選挙権はある。この選挙権に関しても強く疑問を覚えることがあったそうだが、ともあれ台湾の選挙に票を投じる決意を固めた温さん。しかし、選挙の直前に在留条件を満たしていないことがわかり、その年の総統選挙に限って投票できないことがわかる。わざわざ台湾に「帰る」段取りをしていたのに。

 それでも彼女は台湾へ渡り、選挙を間近で見る。ビジネスをする親族の投票先は、もちろん中国との関係を重視する国民党の馬英九。そんな話をしていた親族一同での食事会、テーブルにある声が。「女の総統が誕生しても素敵だなと思う」「もちろん冗談だけど」声の主は叔母だった。女の総統とはもちろん、台湾の現総統、民進党蔡英文のことである。対して叔父は「お前の冗談は世界つまらない」と一蹴。笑いが起こったものの、温さんには思うところがあったよう。

 国家と選挙権、イデオロギーという難しい問題に加え、性別のファクターも加われば、もはや「正しさ」とは主観でしかない。多くの要因が表面化したこの会話を切り取るのは素晴らしい感性だと思う。

 

母語母語、娘語

 前述の通り、台湾では戦前、戦中、戦後でメインとなった言語が違う。さらに温さんは幼少期に日本へ渡っている。だから彼女の親族では日本語、台湾語、中国語3つの言語が入り混じる。 

 母と同じ言葉を使えないこと、なぜか祖母とは日本語で意思疎通できること、そんな当たり前は、僕らから見れば全く不思議な光景だ。 

 この部分に登場する、別の家庭の描写も鋭い。祖母と母は台湾、中国語を話し、幼い娘が日本語を話す、温さんとは少し違うねじれ方をした家族のエピソードがある。揺れるブランコに近づく孫が、祖母の「ダメ」という日本後に対し、「おばあちゃんが日本語しゃべった!」と怒られたいるのにもかかわらず嬉しそうにする場面である。

 これを聞いた母と祖母はどんな気持ちになったのだろう。嬉しくて、もっと日本語を勉強しようと思っただろうか。それとも孫と違う言葉を使い、コミュニケーションがとりにくいことを嘆いたのだろうか。いずれにせよ、大きく心を動かす一言だったことだろう。

 

英語が苦手

 今度は少しライトな部分。

 英語が苦手だという温さんは、「ハロー、と言ったら、次にはもうグッバイと言いたくなる」そう。こういうユーモラスな表現はなんだか真似したくなる。

 

 温さんには妹がいる。彼女は日本で生まれ、日本で育った。そんな彼女は母の台湾語、中国語、日本語が混ざった話し方を「かわいい」といって憚らない。幼少期の温さんは母の歪な話し方を嫌っていたのに。

 姉妹が大人になり、妹に子供ができた頃、温さんは妹の娘に絵本を読んであげた。その時温さんの母が言った「ママ、それしなかった」。一瞬緊張が走るが、妹はそんな母の言葉を笑い飛ばす。「ママったら」。

 温さんはこの妹に救われてきた部分がすごく大きいのだと思う。母、姉、妹、三者三様のバックボーンをもち、部屋をすれば空中分解しかねなかった家庭を繋ぎ止める素敵な存在。

 

おわりに

 外国人参政権や移民の問題には、知識を持たず感情的な反応をしてしまうことがある。しかし建設的な議論をするためには問題の背景や実情を理解しなければならない。そういう意味でこの一冊は単なるエッセイの枠を超え、多くの分野における「理解」を促すものだと思う。