花束みたいな恋をした
花束みたいな恋をした
はじめに
話題の映画「花束みたいな恋をした」を観た。予告やクチコミを目にする限り、共感性羞恥を催しそうなのであまりみたくなかったが、妹に誘われたので喜んで映画館に向かった。
以下、思ったこと。
深夜の居酒屋
麦と絹は初めて会った後、2人で居酒屋に。話が弾むが、偶然その居酒屋に麦憧れの卯内さんが。彼女に誘われるまま、卯内卓に移る麦。その様子を見た絹は「ちす」と言い残して去っていく。追いかける麦。
このシーン、個人的に本作の大きな分岐点ではないかなと。
まず、その日に会った絹を、憧れの卯内さんより優先するか。自分ならできないかもしれない。タイミングよく女子2男子1の連れ合わせ。自分が入れば同数。空いている隣の席。ちょっと前に苦い思いもしたし、これはリベンジの大チャンス。
おそらく麦もそう思っただろう。だから一度は卯内さんの席に。けれどそこに寂しそうな顔をした麦が「ちす」と声を残す。
ここの一言が「またね」とか「今日はありがとう」だったら、麦は追いかけてないかもしれない。単に「不思議な出会いだったな」で終わっていたかもしれない。だがそこにはたった2文字。これは追いかけざるをえない。
絹はこういうところが強かでかわいい。
スケッチブック
はじめて絹が麦の部屋に行くシーン。机の上にスケッチブックを見つけた絹をみて、焦る麦。この場面、すごくお気に入りです。
なぜかといえば、麦の人間らしい部分がすごく出ているから。このスケッチブックを見られたくなければ、絹が来た途端真っ先に隠すはず。あんなに大事なものの存在を忘れる訳が無い。だから、わざと出していたんだと思う。それをあたかも「見つかった」かのように演出することで、絹に作品を見てもらえる。
菅田将暉の欲を透けさす演技もすごい。過剰評価かもしれない。
心がすり減ると、重厚なコンテンツを味わえなくなる。自分も部活に打ち込んでいた時は本や映画をあまり見なかった。時間がなくはないのだが、睡眠や手軽なゲームに興じる方が楽なので。
麦の「パズドラしかできないの」発言には心が抉られた。
おわりに
単なるエモ系映画かと思いきや、微妙な心理描写が光るいい作品でした。