森の雑記

本・映画・音楽の感想

どうせカラダが目当てでしょ

どうせカラダが目当てでしょ

 

はじめに

 新しく読むエッセイを探していたところ、衝撃的なタイトルが目に飛び込んできた。「どうせカラダが目当てでしょ」は、王谷晶著、河出書房新社発行の一冊だ。河出書房と言えば、先日ここでも書いた最果タヒ著「きみの言い訳は最高の芸術」

highcolorman.hatenablog.jp

を出した出版社でもある。この出版社はタイトルがキャッチーな本が多いな、と思いながら、迷わず大学図書館に郵送を依頼した。際どいタイトルだが、大学が蔵書しているのなら大丈夫だろうという期待を込めて。

 

全体をみて

 このエッセイ集は、体の各部位に対して著者が思うこと、考えることを書き連ねてものである。各エッセイが「髪」「肌」「背」など様々に分類されている。元々web上で連載されたこともあり、意図的にクリックを煽るようなタイトルがそれぞれに付されているので、本自体のタイトル「どうせカラダが目当てでしょ」も似たようなイメージで付けられているのかもしれない。内容は思ったほど過激ではないし。それなりの記述はあるが、嫌悪するほどではない。

 以下、気に入ったエッセイについて。

 

声 君の地声で僕を呼んで

 声に関するエッセイ。

 著者が文筆専業では食っていけず、コールセンターのバイトをしていた時、「笑声(エゴエ)」を練習させられたらしい。これは電話越しでも笑顔が伝わる声のことで、地声の低い筆者は苦労したんだとか。

 電話向で声色が半トーンほど上がるのは誰しも同じだと思う。特にコールセンターともなれば、苦情の電話も多いだろうから、意図的に「笑声」を使う必要があるのかもしれない。けれど、著者も言うように柔らかい声色は、それ自体が相手の傲慢さを助長することがあると思う。僕もカフェでバイトをしていた時、ほとんど言いがかりに近いクレームをもらったことがある。困った顔で「すみません、」と繰り返しているうちは相手の怒りは治る気配がなかった。おそらく仏頂面で「かしこまりました」みたいなことを言った方が良かったのだろうな、と今は思う。

 

耳 デビルイヤーは3割うまい

 耳に関するエッセイ。「3割うまい」は「ぎょうざの満洲」のキャッチフレーズだそう。どう言う意味?

 この章で心強さを与えてくれたのは、筆者が編集に「アドバイスは3割くらいで聞いといてください」と言われたエピソード。

 アドバイスを必要以上に聞きすぎること、よくある。結局自分のしたいことができなくなったり、いまいち本気で取り組めなかったり、自分の行為に「人の思惑」が入りすぎることはやっぱりよくない。かといってエゴの塊みたいになるのもいやだから、3割くらいでちょうどいいのだろう。「3割うまい」の法則である。

 

顔 「表情」でわかる!今夜イケる女子の深層心理分析

 顔に関するエッセイ。めちゃくちゃ品のないタイトルがSNSに溢れる恋愛ハウツー広告のようだ。

 著者が書くように、日本では「感情労働」を求める傾向が確かに強い。ファミレスやカフェなどは飲食の提供をサービスとして取り扱う場所だが、僕たちの国ではそれに加え「愛想良い接客」も提供せねばならない。これの良し悪しには賛否があるだろうが、少なくとも僕個人はアルバイト程度の時給ならば「愛想」の提供は任意でいいのでは?と思う。スマイル0円とは言うけれど、笑顔を絶やさないでいると何かを消費している気がするのだ。ずっと笑顔のマニュアル接客よりも、無愛想な店員さんのふとした優しさに感動する方が多いじゃないですか。

 

顔 あなたに楽でいてほしい 

 引き続き顔に関するエッセイ。

 喜怒哀楽とは言うけれど、楽の感情って楽しい=Fun/Happyだけじゃないよね、と筆者は言う。自宅で一心不乱にコメを研いでいる時や、意味もなく手帳を眺めている時は決して笑顔ではないけれど、確かに楽しい。楽しいといより、楽=Relax的感情なのだろう。この時間って少なくとも僕にとってはすごく大事だし、おそらく多くの人にとってもそうだろう。人にはどこかで弛緩する時間が必要だ。喜怒哀楽楽である。

 

おわりに

 このエッセイには徹底して「自己愛」のテーマが貫かれている。自分の身体を自分で愛して、他者には干渉させない、そんな強い意志が本書に宿っている。ライトなタイトルとは裏腹に、確固たる信念が感じられる一冊だった。