東京日記
東京日記
はじめに
詳細は忘れたがなにかの拍子に内田百閒という作家を知った。読みは「うちだひゃっけん」見たこともない漢字が使われているな、というのが最初の印象である。この作家さんは時を遡ること1971年に死去されているのだが、ファンが多いらしい。僕が知らなかっただけで偉大な先生であるようだ。
頭の片隅にお名前が残っていたので、先日図書館のwebページで検索をかけてみると、いくつかの著作がヒットした。その中でもキャッチーだったタイトル岩波文庫「東京日記」を借り、読んでみたので今回はこの短編集について。
全体をみて
全く作風がわからない中読んでみたが、実に妙な作品ばかりだな、という印象を受けた。全体的に調子が暗いし、唐突におかしなことが起こる。猫が空を飛んだり、車が空を飛んだり、脈絡もなくそんなことが起こる。
3つめの短編を読んだあたりで、「え、こわ」と思って一回窓を閉めた。日常生活と怪異がシームレスな上、おかしさをどの登場人物も指摘しないので、なんだか自分の周りまでおかしくなったような気がするのだ。
だが読み進めると、妙にくせになってくる。これまで読んできた小説は常識的すぎるのではないか、そんな気さえしてくる。 ファンが多いのにも納得である。
以下、各短編について。
白猫
宿屋?にくらす男の視点から描かれる話。時代背景などがよくわからないからもしかしたらアパート的なものかもしれない。女中さんが出てきたり「床を取る」という表現が出てきたりとやっぱり古めかしいものを感じる。
冒頭にいきなり不気味な会話が繰り広げられ、猫は空を飛ぶ。どことなくうまくいっていない様子の隣人と不気味な犬の鳴き声がリンクしていく。「立ちかけた膝がぴくんと跳ね上がるような気がした。」リアリティのある驚きの描写に飲み込まれる。
内田百閒がどんな作家であるかを知るのにはこの一作で十分だろう。
長春香
半分エッセイ的な作品。ドイツ語を習いに通ってきていた女性を震災で亡くし、弔いの儀式兼夕食会を開く。
内田が弟子に贈る深い愛情が感じられる。実にハートフルな作品だ。と思ったが一寸、亡くなった長野さんを偲ぶ会で囲んだ鍋に様々な食材を煮込む場面で事件は起こる。「お位牌を煮て食おうか」「今お位牌を入れたところです」「やれやれ」。
え?
柳撿挍の小閑
検校とは、昔盲人に与えられた最高の官名であり、小閑とはわずかな暇のこと。
ありきたりの感想をいうと、目に見えない人の世界、豊かで鋭敏な感覚をものの見事に書ききった短編だと思う。閉塞感もありながら、聴覚その他を張り巡らせる文章を読むと、まるで自分も視覚を持っていないかのような錯覚をする。ほのかに香る恋慕の気持ちが本編全体を飾る。
青炎抄
不思議でとても短いお話をまとめた短編集。柳先生の話を読んだ後、まだ目が見えていないかのような気持ちで読み始めた。
またも空飛ぶ猫が出てきたり、木にぶら下がる男が出てきたりととにかく薄気味悪い。ぶら下がるって鉄棒運動のように能動的にぶら下がっているのか、二つ折りで布団のようにぶら下がっているのか、どっちだろう。僕は後者のような気がした。
二 桑屋敷 で女教師が「もる」の笑い話をしたところが恐怖のピーク。
東京日記
表題作。タイトルを読んだときは東京での生活を描いたエッセイだと思っていたのに、、よもやこんな気持ちで読むことになろうとは。
「その四」では当時の丸ビルが突然なくなる。それを気にかけるのは語手のみで、他人はなぜかその話題を避ける。「これだけ大きな建物」なら時々こんなこともあろうかと納得する終わり方には、僕たちと同じ立場にいた語手さえどこか遠くにいってしまうような不安を覚える。
「その二十」で登場する骨付き鶏肉とトマトが入った謎の料理は、周りで繰り広げられる奇妙な会話とは関係なく美味しそうだ。「ごはんぐるり」で西加奈子さんが言っていたように、
文章中に出てくる料理って本当に美味しそうですよね。僕らが知っている「ビール」とこの作品に出てくる「麦酒」は全く別物のように感じるし。
南山寿
退官した男の手持ち無沙汰を書く。
毎度都合よく登場する後任の教官が不気味。男の元で働く女中が突然辞めるのも不気味。妻がポックリと逝くのも不気味。
唯一の良心である女性、主人公が通りすがり具合の悪そうなところを助けた方でさえも、後半につれて怪しくなってくる。
夫が死んだ後、生前借りたものを何度も取り立てにくる女性の話。
ここまでやれ不気味だ、やれ奇妙だとい言いすぎて、もう怪しげな雰囲気を指す語彙が尽きてしまった。それにしてもこんな変な話をよくも思いつくものである。
おわりに
我々の過ごす「普通」をひっくり返すかのような作品ばかりだった。当然のような顔をして現実に入り込む異物をあっさりと受け入れるためには、もう何作か読む必要があるか。しかしこの本、読み終わった後急に戸締りの確認をしたくなる。