心にのこるさまざまな話
心にのこるさまざまな話
はじめに
和風で素朴な表紙に惹かれて手に取ったのは、宇野信夫著「心にのこるさまざまな話」(講談社)。タイトルもいい感じ。
著者のこともどんな本かも全くわからないけれど、こういう本を読むときが一番ワクワクする。
全体をみて
著者のエッセイのような小話がたくさん詰まっている。時代をかなり下るようで、戦争の話や落語全盛期の話なんかも度々登場。本当になんでもない話から心に響く話まで、宇野さんの記憶に残っているエピソードが語られていく本であった。
以下、好きなエピソードについて。
当世好色一代男行状記
宇野さんがかつて仲良くしていた幸田好雄の話。歳上で芸者屋を営む?彼の女性遍歴等々について。
ここで著者が印象に残っている言葉の一つとして挙げられるのは「いつまで他人でいるの、つまんないわね」というセリフ。これは幸田が口説いた女性小秀が彼に言い放ったものである。なかなか焦ったい男にこれが言えるのって粋がすぎませんか。幸田さんも一発で惚れたことでしょう。
雨にうたれるコスモスの思い出
宇野さんがかつて湿性肋膜を患った時の話。病人になった子供の心情が緻密に描写されていて、自分が子どもの頃体調が悪くなった日のことを思い出せる。
大病のはずなのに、そのことについて話こむ大人を見てどこか他人事に感じる。医師や看護師の優しさがみょうに嬉しい。そんな幼い頃の感覚が蘇り、何やら懐かしい気持ちになった。病院から見える外の風景をみょうに覚えていたりしますよね。
山谷堀のおわい舟
。当時の私立大学は予科3年本科3年の合計6年生だったそうで、その内予科の時分、著者が大学1年であった頃の友人、小野寺についての話。安タバコをしきりに吸ったり、決して裕福でない親の仕送りを使い潰すろくでなし。けれどどこか馬が合うし話は面白い。そんな豪快な人物。
彼のエピソードで面白いのは、冒頭に出てくる言い間違い。1年の2学期、仏語を習っていた時、「ウィ、ムッシュ」と読むところを小野寺はローマ字読みして「ウィ!モンジュウル!」と言い放ち、爆笑をさらう。以来彼のあだ名は「ウィ、モンジュウル」となったらしい。パワーワードすぎる。
卒業後しばらくぶりに小野寺と会った後、「その夜から小野寺には1度も会っていない」という著者の言葉には人間関係の儚さを感じた。
夜明けのギッシング
夜中に目が覚める話。寝ようと思えば思うほど目が冴えるので、そんな時は起きてしまうに限る。そして机に向かって仕事をするも、そういう時に書いたものを後から読み返すと、全く腹にもないことを書いてある。
全人類この経験がありそう。夜中に書いたものってろくなもんにならない。寝られない夜は誰にでもあるけれど、そんな時にこれを思い出せば「1人ではないのだな」と思えそうなエッセイだった。
おわりに
読後クレジット的なページを眺めていたら、なんとこの本は1991年に出版されたものであった。もう30年も前、僕でいうと生前である。時間を超えて届いてくれたことが何やら嬉しい。