森の雑記

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きみの言い訳は最高の芸術

きみの言い訳は最高の芸術

 

はじめに

 最果タヒさんと言えば、今や多くの人の知る現代詩人である。僕は彼女の詩を立ち読み程度でしか目にしたことがないが、彼女のエッセイ「もぐ∞」は読んだ。これは食べ物にまつわるエッセイ集で、食べ物への素敵な感性や表現に感動したのを覚えている。そんな記憶を頼りに、先日書いたウロウロ法で本を探していると、https://highcolorman.hatenablog.jp/entry/2020/06/24/232941

彼女が書いた別のエッセイ集、「きみの言い訳は最高の芸術」(河出書房新社)を発見。すぐさま貸し出し手続きをして郵送してもらった。

 

全体をみて

 本書収録エッセイの多くが彼女のブログから改稿されたものである。僕は当初、元がブログであるから、すごく個人的なことや具体的なことが書かれているのではないかと思っていた。しかし彼女は本書の中で何度か「どんな文章でも読まれることを想定している」と書いているだけあって、意外と抽象的な文章が多い。良く見れば「多くの人に共感される」可能性の高い文章が、悪く見れば「具体性に欠けるので『最果タヒ』の実像を捉えるには物足りない」文章が多いのが特徴と言えるだろう。

 以下、気になったエッセイについて。

 

最初が最高系

 「メガクリームフルーツパンケーキは食べに行こうと出かけた瞬間が一番おいしい。

 こんな最高の文章で始まるエッセイ。確かにバカでかい唐揚げとかそういうものって注文する時が幸福のピークだ。可能性の総体を捉え切る以前、想像の世界でモノを捉えられている時、人は確かに無敵だ。現実はそんなに甘くない、もといメガパンケーキのように甘すぎるのだけれど。

 

きみが友達との楽しい時間のために、

ひねり出した悪意について。

 書店にいる友人同士と思しき3人組が、並ぶ本に「なんだこの帯!」とか「誰が読むんだこれ」とか楽しそうに悪態をつく様子をみた著者。こうした「人間性すら宿っていない」悪意にあれこれと思いを巡らす。

 最初のエピソードは具体的で、確かに考えるところがあって面白い。けれど最果さんはここからぐいぐいと自分の思考に閉じこもっていく。この人はなんというか、感性が鋭すぎるところがある。結果爽やかさのかけらもない文章が生まれるのだろうけれど、僕はこういう文章がちょっと苦手なのかも、と思った。

 加えて批判めいたことを言えば、無意識の悪意を「アリを弄ぶ子供」に例えるのはめちゃくちゃありがちすぎて、詩人っぽくないなとも。あくまでブログだから、詩的な表現でなくとも当然なのだけれどね。

 

最強ですから最強です。

 クリスマスに感じる感傷について。

感傷はとても心地がいいモノだと思う。そしてそれは案外、とてもインスタントに作り出せるモノだ。なんとなく世界と自分を切り離せばいとも簡単に感傷は降りてくる。その感情に身を預ければ手軽にチルっぽい気分になれる。だが、感傷的な気分になった時、「これはほんとうか?」と自分に問えば途端にその時間は終わる。

 タバコやコーヒーのように、感傷を手にするのは難しくない。それがいいことかどうかはわからないが。

 

好きなことで食べていくのは、幸せで、不幸せ。

 このエッセイの中に出てくる「詩は恵まれている」という言葉に驚いた。多くの人は、詩で食べていくことなど難しいし、詩人という職業を優位に捉えることはない。だが彼女は、教科書でも必ず紹介され、大きな書店では規模の差はあれど専用のコーナーがあるという理由で「詩」を恵まれていると感じている。確かに。

 

アイスクリーム・イン・冬

 パンやケーキの匂いが立ち込める神戸で育ち、それが嫌でしょうがなかった著者。反旗を翻すようにアイスクリーム好きになる(なぜ)。というか、反発したいだけだったのかもしれない、と当時を振り返る。

 確かに食べ物に限らず、「好きになる」と決めてから愛情が形成されていくことは良くある。サッカーチームとかもそう。生まれた時から地域に密着するクラブがあったりすると、特別なできごとがなくとも、そのチームを応援することが「自然」になる。特に思い入れがない段階から推しクラブを決めるのだ。僕にとっての清水エスパルスはそういうチームだ。だからこそ、酷い負け方をしようと、J2に降格しようと応援することができる。好きになると決めてから、そのチームのことを知っていくので、そもそもチームの状況に関係なく好きなものは好きなのだ。

 

おわりに

 最果さんの文章は個性的なようでいてどこか抽象的である。誰だってどこかで感じていることを文章に拾い上げるのがうまいのかもしれない。僕のような「エッセイは具体的で個人的であればあるほど良い」と思っている人間には物足りないけれど。彼女の文章がウケているのはそういうところにも理由があるんだろう。

 「この文章に書いてあるのは自分のことだ」こんな気分を提供するのが彼女の得意技なのだろうし、おそらくこれは意図して行われている。「もぐ∞」くらい個人的なことを書くのは稀なのだろうか。次は詩も読んでみようと思う。