怪しい来客簿
怪しい来客簿
はじめに
岸本佐知子さんの「いま、これ読んでる」より、色川武大著「怪しい来客簿」(文集文庫)を読んだ。不思議なタイトルと風船のように太陽を持つ男の表紙、どちらも心がざわつく1冊である。
全体をみて
著者色川武大は一体どんな人生を歩んできたのだろう。まるでエッセイのような短編集には、戦中の浮き足立った空気や戦後のアウトローな匂いがたちこめる。ウィキペディアを見る限りは、本書のほとんどは彼の実体験を元に書かれたノンフィクションであるようだ。彼が様々な人に思いを馳せる文章はこの上ないリアリティにあふれている。
現代では想像することしかできない、ダークサイドがすぎる異質な作品。
以下、3つの気になった編について。
サバ折り文ちゃん
大正時代の巨漢力士、出羽が岳文治郎のお話。著者からひょろっと長い彼への愛情を感じることができる。
身長を生かした技「サバ折り」で対戦相手を再起不能にさせたこと、相撲取りになるしかなかった境遇、相撲をやめることへの恐怖など、たくさんのマイナスのオーラを纏いながら土俵に上がる彼の姿は涙を誘う。
時代感と言えばそれまでだけれど、自らの将来を選択できない葛藤を抱えながら頑張る姿は、僕らに全く新鮮である。ただ体が大きいというだけでレールを敷かれてしまった彼には同情するし、著者がそんな彼を応援する気持ちもよくわかる。不遇な「文ちゃん」だったけれど、色川がこうして取り上げたことで相撲界での苦悩が少しでも報われたのではないかな。
タップダンス
学校をサボり浅草に出かけると補導されてしまった著者。そこには年の近い、同じく補導された少年田中守がいた。
しばらくぶりに浅草に行くと、舞台上には田中守の姿が。役者になった田中と落ち合ってコーヒーを飲んでいると、「タップダンサーになる」と宣言される。
屈折した人間が屈折を消化するには、普通とは違った「何者か」を目指すしかない。他者と同じであることが耐えられなくて、でもそれを表現する術を持たなかった田中が「タップダンス」を志すのには納得がいく。戦時中、田中が下駄を履いてタップを踊る場面にはなんだか感動してしまった。
墓
元職業軍人の父と、その弟は啀み合いながらも仲が良かった、そんなお話。
この編は言動による心理描写が非常に緻密だった。年老いて少し穏やかになった父、お互いを信頼し合う兄弟、どこか心温まる場面も多い。
中でも印象的だったのが、叔父と著者がしばらくぶりに会話をする場面。歳をとった著者と叔父が初めて会話らしい会話をする。叔父はこれまで子供相手に見せなかった屈託を垣間見せる。親族に限らず、人と初めて本音を交わす時って、一種の興奮みたいなものを感じますよね。それが意図せず漏れたものなら尚更。
後半、家の「墓」を探しにいくところもなんだかしみ入る。
おわりに
著者が若い頃自らに課していた戒律にはこんなものがあると言う。
「一ヶ所に淀まないこと」
「あせって一足飛びに変化しようとしないこと」
「他人とちがうバランスのとりかたをすること」
自分流の軸を持った上で、少しずつ継続的な変化を求める。敷かれたレールの上を行ったり、一方で劇的な変化を求めたり、これってありきたりなようでいて求めているものが両極端なのだ。淀まず、流れるように生きていく方が、もしかしたら楽なのかもしれない。