森の雑記

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とんかつのあけぼの

とんかつのあけぼの

 

カツ丼を食べた話です。

 

 

 僕はカツ丼が大好きである。甘くて風味のある卵でとじられたカツ、その出汁を浴びて狐色に輝く玉ねぎ、卵・カツ・玉ねぎの三層で閉じ込められ温かいままのご飯、どれもたまらなく好きである。

 カツ丼に目覚めたのは小学生、祖母の家でとった出前を食べた時だ。それはいわゆる「蕎麦屋のカツ丼」なのだが、初めて食べた時の衝撃が今でも忘れられない。ジューシーと言うだけでは物足りないほどの厚みがあるカツを食べ、即座に「これはこの世で一番うまいものだな」と感じた。本当に。ただ、量はものすごく多かったので小さい頃は全て食べきることができず、「次は別のにしようね、」と言われた。それでも祖母の家に行くたびカツ丼を注文した。

 

 それからしばらくして、カツ丼1杯では物足りなくなる時が来た。食べ盛りの高校生だもの。そこで僕は狂った作戦をとる。そう、カツ丼を2つ注文するのだ。1つ千円ほどするカツ丼を2杯頼むのは気が引けたけれど、祖母は笑って注文してくれた。出前のおじさんは「孫が増えたのかと思った」と笑って届けてくれた。祖母の家と実家は近かったので週に1度は足を運んでいたが、そのうち半分はカツ丼を食べたような気がする。おそらくイメージが盛られているけれど。カツ丼だけに。

 

 あれから数年、大学生になって親元を離れたので、祖母の家にもなかなか行けなくなった。あのお蕎麦屋さんは当然東京にはない。何よりあの店以外のカツ丼を食べる気にはならない。時々「かつや」にいってはみるものの、浮気の味は結局本命に及ばない。そうして帰省するたびに祖母の家でカツ丼を食べるものだから、親や友人に会うために帰っているのか、祖母とカツ丼を食べに帰っているのか、よくわからなくなった。

 

 さて、そんな風に大学生活を送る、4年生の夏のある日。むしょうにカツ丼が食べたくなった。しかし昨今のコロナ禍、気軽に帰省はできない。けれどカツ丼は食べたい。それで店という店を調べ(バイト先の東京駅近辺)「あけぼの」というとんかつ屋さんにたどり着いた。ようやく本題である。

 

 有楽町のあたりにあるこのお店は大変有名らしい。バイトを終え、歩いて店に向かうと、平日の14時前にもかかわらず、少し列ができていた。これは期待大。しばらく待って、店内からお呼びの声がかかる。すぐに注文を聞かれたので、迷うことなくカツ丼を注文した。

 

 中は全てカウンター席で、座っているのはスーツ姿のおじさま方ばかりだ。これはポイントが高い。Tシャツ姿の僕はやや浮いていたと思う。感動したのは調理するところが目の前で見られるところ。狭い店内なのでキッチンがすぐそばにあり、お肉を切る、衣をつける、揚げる、卵でとじる、丼に盛る、全ての工程を見ることができる。今から自分が平らげるものが次第に身なりを整える様子には、ワクワクが止まらない。そういえば、地元ではこういうの見たことなかったなあ、と思いながら。

 

 さて、そんなわけでカツ丼の完成である。これだけ興奮していながら、心の奥底にはまだ冷静な自分がいる。「どうせあの蕎麦屋は越えられないよ」と。目をつぶって邪気を追い出してから、ついに箸を伸ばす。

 

 

 

 すみません、すごく美味しかったです。地元のものと少し違い、衣のサクサクした食感ととトロトロの卵が絶妙である。そういえばカツ丼はいつも出前だったから、衣は柔らかくなっていた。出来立てだからこそのさくさく食感である。味付けも甘さが絶妙で、飽きることなく食べられる。上に載っているさやえんどう?も箸休めにちょうどいい。食べ終わったおじさんが、「これどこ?(口の前で小さなピースを作り、前後させながら)」と聞いているのもいい。「喫煙所は最近撤去されて、」と答える女将さんもいい。昭和と令和を一度に味わえた。

 

 これは困ったことになったぞ、と思った。甲乙つけがたいライバルの出現である。浮気ではなく、完全な三角関係が形成されてしまった。ああ、なんて罪なカツ丼たちなのだろう。「あけぼの」すごく良かったです。今度はとんかつ定食にも挑戦してみたいと思う。地元のお蕎麦やさん、時々ここに行くのを許してください。

 

 こんなわけで、東京にも愛すべきカツ丼ができてしまったのだが、やっぱり帰省すれば僕はあのカツ丼を食べるのだろう。原点にして、というやつだ。

 

 そういえば先日(と言っても半年くらい前のことだが)帰省した際に、やっぱりカツ丼を注文した僕と祖母に、出前のおじさんはニヤリとして言った。「お兄ちゃんが帰ってきてると思ったよ、これ(カツ丼)だからね」。その通りである。祖母は野菜ラーメン、僕はカツ丼というのが定番なのだ。続けて彼は言う。「ウチ、蕎麦屋だからたまにはお蕎麦も食べてね」とんかつ定食の前に、まずは蕎麦だ。

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