森の雑記

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日本の近代とは何であったか

日本の近代とは何であったか

問題史的考察

 

はじめに

 岩波新書、三谷太一郎著「日本の近代とは何であったか−問題史的考察」を読んだ。先日友人にこの本を借りてから寝かせることひと月半、ようやく重い腰が上がった。面白そうだと思って借りたはいいものの、タイトルからやや敬遠していたのだ。

 

全体をみて

 カバーの説明には「日本近代のありようについて問題史的に考察する重厚な一冊」とある。これだけで頁をめくるのをやや躊躇する。「重厚」って書いてあったら誰だって及び腰になるだろう。だが、もちろん難しい記述や歴史知識を必要とする箇所はあるものの、読んでみると非常にすっきりとしていて、筆者の言いたいことがよく伝わってくる一冊だった。文体もデスマス調だし。

 以下、4章+序章終章からなる本書について。

 

第1章 なぜ日本に政党政治が成立したのか

 この章では明治維新以降の日本において政党政治が行われることになった背景を探る。

 筆者はもともと幕府政治の時点で立憲政治、合議政治が行われる土壌があったと分析する。その後いくつかの困難を超えながら、明治憲法が制定され「日本」で立憲政治が始まる。この憲法は普通に読めば非常に中央集権の要素が強く、複数政党による政治は起こりにくそうだ。しかし現実には天皇は権力を統合する政治的役割を担っておらず、権力は分散していたそう。そのため、安定的な政治運営は難しかったようだ。

 そこで様々な権力を繋ぐ接着剤として「藩閥」の存在が浮上する。非制度的に均衡を保つこの主体は、明治憲法下でバランサーとして機能していたのだ。だが、これも十分ではない。藩閥はその性質上衆議院に拠点を持てず、議会権力には睨みが効かなかったためだ。そこで議会=衆議院を支配する勢力として政党の存在が大きくなる。

 つまり、分権的な明治憲法下で安定的に政治を運営するためには、非制度的なバランサーが必要だったところ、その役割は藩閥と政党が担っていたようだ。藩閥は議会に足掛かりがなく、明治憲法下の衆議院過半数を持ってもそれだけで権力獲得を意味しない、こうした状況下で両者がそれぞれに動いたのが近代日本の権力構造だ、といえそうだ。

 

第2章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか

 歴史+経済ということで個人的に最も読み応えのあった章。

 高橋是清の自立的(独立的)資本主義から、その後継者たる井上準之助による国際的資本主義に至るまでの過程を丁寧が丁寧に書かれる。この章は文章でまとめようとすると色々とボロが出そうなので割愛。

 ただ、明治天皇日清戦争を「臣下が起した戦争」と断じた、という記述にはなんだか考えさせられるところがあった。

 

第3章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか

 日本が植民地帝国になった経緯と理由を考察する章。

 この章で目を引かれたのは、いわゆる三国干渉に対する日本国民の反応。平塚らいてうのコメントなどから、いかにこの譲歩が日本国民に屈辱感を与えたかがわかる。

 また、植民地正当化のためのイデオロギー変遷が面白い。WW1後、国際主義的価値観に支配される世界に対し、国連の脱退という形で挑戦状を叩きつけた日本。この国が植民地支配や日中戦争を正当化するために持ち出したのが「地域主義」である。大東亜共栄圏思想に顕著に現れるこのイデオロギーは、当然国際社会に受け入れられなかった。けれど、新たな秩序形成のために新たなイデオロギーを持ち込む方法はよくある。

 新しい秩序を作る際には、軍事・政治的圧力だけでなく、優れた思想が必要だ。昨今中国が覇権を握らんとする様子が見られるが、そこにかつて欧州列強やアメリカが提示したような「資本主義」「自由主義」、もっといえば「社会契約論」のような画期的イデオロギーがあるかについては疑問が残る。これは当時の日本も同じで、いかに「地域主義」などと言っても、その思想に世界を共鳴させることができなくては、中心的立ち位置は獲得できまい。著者も「地域主義」は文化的意味を持たない、と考えているようだ。

 

第4章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか

 個人的な興味と大学での専攻から興味深く読めた章。

 日本の近代化は当然ヨーロッパをモデルになされた。しかし欧州には「キリスト教」という強烈な精神的機軸があった一方、日本にはそれがなかった。そのことを踏まえ、日本では「天皇」が国民の精神的機軸に据えられることになる。

 こう書くと簡単そうだけれど、これは大変なことだ。後付けで国民の精神的なありようを矯正しようというのだから。ここに「教育勅語」が大きな影響をもたらした、と筆者は分析する。

 また、明治憲法28条には信教の自由が規定されているので、天皇崇拝的な内容を持つ「教育勅語」をどう位置付けるか、という問題もある。井上毅はこれに対し、「教育勅語」は天皇の著作公表である、とするウルトラCで対応したというから驚きである。

 明治憲法といえば、全体主義軍国主義の権化のように思われがちだが、実際は自由主義の原典で少数派の論理的よりどころとなった面もある。対し教育勅語は多数派の(道徳的)論理となった。このような著者の理解は非常に明快で優れていると感じた。

 

おわりに

 カバーの説明文に偽りなく重厚な一冊だった。このレベルの本は経験上、しばらくしてからもう一度見返すと新たな発見があることが多い。また友人に借りねばなるまい。