森の雑記

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ファイヤパンチ

ファイヤパンチ

 

はじめに

 「チェンソーマン」といえば、現在週刊少年ジャンプで連載中、藤本タツキ先生の人気作品である。なんとなくジャンプっぽくない作風の本作に、僕は夢中になった。淡々とした描写の中にある人間味に様々なことを思わされ、品があってダークな設定には痺れる。まさに名作と言って差し支えない思う。

約束のネバーランド」もそうだけど、近年のジャンプはややダークな作品も積極的に掲載しているようだ。「進撃の巨人」を逃した教訓が生きているのかもしれない。一方で「鬼滅の刃」的、王道まっしぐらな作品も変わらずに出てくるのがジャンプっぽい。

 話が脇道に逸れた。

 今回は僕が大好きな「チェンソーマン」の藤本先生が以前「ジャンプ+」で連載していた「ファイヤパンチ」を読んだので、それについて。

 

全体をみて

 藤本タツキは天才である、と僕は声を大にして言いたい。もちろん「チェンソーマン」もとんでもない作品だと思うが、この「ファイヤパンチ」だって負けていない。相変わらず描写は美しく淡々としていて、だからこそほのかに宿るキャラクターの熱っぽさが際立つ。設定はチェンソーマンよりもっとブラックでシビア。ジャンプ本誌には確かに掲載できそうにない。三章構成からなる本作の内容は宗教、差別、性、戦争、暴力など複雑多岐に渡っている。こんな手と頭のこんだ作品を今まで知らずにいたことが恥ずかしく思われるくらいだ。

 「死ねない」能力を持つ主人公アグニにまつわる物語を是非読んでほしい。

 以下、各章について。

 

序章 覆われた男

 無限の再生能力を持った少年が最愛の妹を失ってから「ファイヤマン」になる章。物語のキーになるキャラクターはあらかたここで登場する。全部を書いてネタバレするのもよくないと思うので、以下は僕の好きなキャラ、トガタについて書く。

 主人公は諸々あったのち同じく再生能力を持つ女性「トガタ」と出会う。彼女はかれこれ300年ほど生きている。旧世代の映画が大好きで、趣味が高じてアグニを主人公にした映画「ファイヤパンチ」を撮ろうとするのだ。

 彼女は作品のコミックリリーフ的な部分を担う。飄々としており、至極強い彼女は、ある意味でこの作品の「救い」になる。結構きつめの性描写や残虐シーンも彼女がいるからこそ「大したことない」と思える。彼女というフィルターを通すことで作品はある意味マイルドになるのだ。

 そんなあっけらかんとしたトガタも、次章の最後には弱さを曝け出す。そこで初めて僕らは気づく。この暗すぎる作品は、ここまで彼女に照らされていた。

 本作は様々な問題にスポットが当たるけれど、序章は特に性とか暴力に関する部分が多いように感じた。

 

頗章 覆う男

 トガタと共に街を破壊したアグニは新たな役割を与えられる。映画の主人公から、彼は新興宗教の「神」となっていく。

 ここでは序章でなくなったアグニの妹ルナと、ルナによく似た容貌の女性ユダについて書く。ユダもアグニたちと同じく再生能力を持つ女性である。アグニは死んだ妹をユダに投影する。しかし、ユダはアグニから見れば敵対勢力のボスである。どうするアグニ。

 この作品の最もコアに位置するのがアグニの妹ルナである。アグニの行動原理のほとんどは妹の遺志であるからだ。しかし彼女は物語の早い段階で亡くなるから、実存としてはユダがそれを代替する。心の中に生きる妹ルナと、目の前に生きる妹(によく似た)ユダ、2つの存在の間でアグニは揺れ続ける。

 この章は戦争、争いの描写に多くが割かれている。戦闘シーンも多い。

 

旧章 負う男

 この作品一番抽象的かつ美しい章。火から解き放たれたアグニが再び炎を手にする。

 ここではアグニを神と崇める青年サンについて。序章で偶然アグニに救われた少年サンは次第に成長し、しまいにはアグニを神とする宗教「アグニ教」の教祖になる。次第に狂信的に、暴力的になっていく彼はこの物語のブラックな部分を一手に引き受ける。かつて救われた少年は、気づけば救いようのない存在になっていく。一方そんな彼を支える女性、ネネトはこの物語の良心と言える。

 旧章は本当に宗教書のような物語が描かれる。理不尽で、不条理で、救われ、報われない。強烈な生の匂いが僕らに押し寄せる。

 

おわりに

 作品の内容にほとんど触れずにいろいろ書いたので、支離滅裂な文章、感想になってしまったがご容赦願いたい。もし「チェンソーマン」が好きな方がいれば、本作は本当に読んで損はないと思う。あれでもマイルドになっているから。