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絵解きの愉しみ 説話画を読む

絵解きの愉しみ 説話画を読む

 

はじめに

 「エトキ」という言葉をご存知だろうか。新聞などで図や写真、イラストに添えられるキャプション的説明文句のことである。おそらくこの言葉は、かつて説話画等々を観賞する方式であった「絵解」=口頭での内容説明からきており、現代でも「絵解き」が同じような意味で用いられることがある。

 文章だけでは伝えにくいことをイラストで伝える、というのは宗教、報道などの場面でしばしばなされる手法だ。ただ、その一方でイラストだけでは正確、詳細な情報伝達が難しい場合もある。そこで「エトキ」「絵解(き)」の出番が来るわけだ。

 今回はそんな「絵解き」の本、中村興二著・平凡社発行「絵解きの愉しみ 説話画を読む」について。

 

全体をみて

 本書は「伴大納言絵巻」など、教科書でお馴染みの絵巻などを通して著者が思案したことを書き連ねた一冊である。しばしば著者が自ら言うように、絵から描かれていないことを「読む」ため、捏造あるいは空想によって話が進むところが面白い。歴史的考証や他の文献などとの絡みをあまり考えすぎず、目の前の「絵」を何度も見ることで想像を膨らませるやり方は、学術的とは言えないかもしれないけれど、なんとも素敵な作業である。

 以下、各話について。

 

第一話 みることから読むことへ

 伴大納言絵巻を中心にみていくパート。

 応天門の変を描いたこの絵巻は、「異時同図法」=異なる時間の出来事を同じ画面に描く方法が使われた「子供の喧嘩」の場面が最も有名だろう。というか、僕はそれしかみたことがなかった。ところが、本書で他の部分をみてみると、非常に面白い場面がたくさんある。

 例えば、火災を描いた場面に登場する「女物の服を着て走る僧侶」「てんで統率の取れていない検非違使たち」。どうみてもワケアリそうな彼らには、一体どんな物語があるのだろうか、と考える著者の思考の波に身を任せるのはとても心地よい経験だった。

 筆者の「明らかに世俗化しすぎた僧侶や役立たずの検非違使を書くことは、描き手による司法・宗教批判ではないか」という結論にも大きく頷ける。

 

第二話 『目無し経』の話

 表情が描かれない「のっぺらぼう」の登場人物たちと「物の怪」にまつわる作品、「目無し経」をみる章。

 明らかに不穏な空気が漂う作品だが、みてみると実際ものすごく不気味である。ざんばら頭、三本指の物の怪はどんな意図があって現れるのか、語るところは多い。そんな物の怪だけれど、何度も目にするうちにこちらも慣れてきて、最後の方は「なんだかかわいいな」くらいに思うようになった。少なくとも僕は。

 その一方で、人間たちはより不気味に見えてくる。のっぺらぼうの彼らは、やっぱりどこか奇妙だ。極め付けに「後ろ手を木に括り付けられて笑う女」が登場した時は鳥肌ものだった。これまで表情がなかったのに、突然笑顔が描かれ、それも状況は尋常ではない。

 

第三話 瀧上寺来迎図の話

 仏教的世界観を描く「来迎図」を読むパート。

 筆者が様々な来迎図をみながら色々と分析した中で面白かったのが、「日本のゆるさ」である。

 中国と比べて「ただ来るだけ」の来迎図や、身分(九品)にこだわらない救いを描く来迎図など、日本では舶来の思想を緩やかに取り入れてきた姿勢を絵に見出すことができる。中国だったら降り立った仏に「来て、極楽まで連れていく」ことを要求するはずなのに、我が国はなんとも呑気なものだ。

 

第四話 女史箴図巻の話

 国は変わり、東晋の顧愷之が書いたとされる絵について。

 王をめぐる宮中の様子がリアリティたっぷりに描かれるこの絵も、世界史専攻の方ならお馴染みであろう。顧愷之の漢字を覚えるのが大変でした。

 先に書いたように、この絵は本当に現実を捉えるのがうまい。宮中女性の表情、王の目線、仕草など、現代に通ずるものばかりだ。中でも化粧をする女性が仕上げの際にする表情はまさにと言った感じだ。

 ちなみに、この「女史箴図」本当に顧愷之が描いたかどうかは大いに疑問が投げかけられるところであるそう。

 

第五話 フリアー・ギャラリー所有の厨子扉絵の話

 扉絵についてのパート。おそらく余力で書いているのだろう、ほんの数ページで終わる。

 

おわりに

 著者は途中で、「絵より文章の方がよっぽど信用できない」というようなことを語る。現実を見て写実で捉える絵画より、文章は思考や圧力をダイレクトに受ける可能性があるというのがその理由だ。確かに、文章は思考が頭の中で幾重にも加工されて生み出されるから、いくらでも華美にできてしまう。一方、美術の授業を思い出せばわかるだろうが、よほどの力がなくては目の前のものを描く際に飾り立てる余裕などない。

 正確に物事を写し取れるようになって初めて創作の余地が生まれるのであれば、歴史に名を残す絵を手掛けた彼らの「現実を見る」目は相当肥えていたことであろう。