森の雑記

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牡蠣の歴史

牡蠣の歴史

 

はじめに

 「好きな料理は?」と聞かれると答えに困る。カレーライスも好きだし寿司も好きだ。ラーメンだって美味しいしたまに食べるステーキも絶妙である。そしてこれらの間に差があるかと言えば、ない。金額やロケーションに差はあれど、好きの度合いに有意な差を見出すことができない。どんな料理も美味しいじゃないですか。

 しかしこれが「好きな食材は?」と聞かれれば答えるのは容易である。料理とは食材を美味しく安全に食べる工夫のことだから、基本的にそんなにまずくはならない。しかし食材単体で言えば、各々に固有の風味や食感があるから、そこには明確な差がある。したがって「好み」を判別するのは簡単だ。ある食材を2つ(例えば牛肉と椎茸とか)並べられ、どちらが好みかを聞かれた時に、答えられない人は少ないのではないか。

 そして何を隠そう、僕の好きな食材は牡蠣である。つるつるとした舌触りと意外な歯応えは何度食べても新鮮だし、調理法もバラエティに飛んでいる。生、フライ、煮物、佃煮、薫製、ソース、、、枚挙に暇がない。

 今回はそんな牡蠣を詳しく記述した原書房の「食の図書館」シリーズ「牡蠣の歴史」キャロライン・ティリー著、大間知知子訳 について。

 

全体をみて

 タイトルに違わぬ一冊だった。牡蠣が食べ始められた頃から現代の養殖事情までを具に網羅した本書読めば、牡蠣への愛着がより深まること間違いなし。 

 以下、気になった記述について。

 

綴りにRがない月

 MayからAugusut、5月から8月までのスペルにRが入らない月に牡蠣を食べてはならない、という言い伝えの理由は、その期間が牡蠣の繁殖期に当たるからだそう。しかし古くには「Rのある月に食べるのが良い」とされていた時期もあるようで、当時の風説がいかにいい加減であったかがわかる。

 

大量

 ローマ帝国時代の有名な哲学者セネカは、一週間になんと1000個もの牡蠣を食べたそう。というのも、当時牡蠣は今ほどの高級品ではなかったようで、庶民にも広く食べられていたらしい。にしても1000個はやりすぎじゃないか。僕でも嫌だ。

 と思ったら、近い時代の皇帝ウィッテリウスには1食で1000個食べたという伝説が残っているそう。もはやびっくり人間の領域である。

 

古代中国の牡蠣漁

 唐代の中国では「潜水夫が重りをつけて海に潜り、頃合いを見て船の人間が潜水夫を引っ張り上げる」という馬鹿げた方法で牡蠣を採っていたそう。無線もない時代だからまあ理解はできるのだけれど、当然潜水夫の死亡率が高かった。

 人命より優先されてしまうほど牡蠣に魅力があったのかはさておき、水死体とともに揚がった牡蠣を食べるのは嫌じゃないんですかね、、、。

 

ゴールドラッシュ

 かつてのアメリカで起こったゴールドラッシュ。その時代には流入した労働者とともに牡蠣を出すお店も増えていったそう。

 なんというか、フロンティアが徐々に活気付いていく様子、薄暗い街にオイスターバーの光が灯る様子を想像すると、とてもワクワクする。

 

ケロッグ

 今は「おやつにはケロッグ」でお馴染み、コーンフレークの発明者J・ハーベイ・ケロッグは「アンチ牡蠣」だったらしい。「牡蠣はゴミを食べて生きている」「奴らは海の底で泥をなめて生きている」などと話していたようだ。

 菜食主義者の彼がなぜそこまで牡蠣を嫌うのかはわからないけれど、現代でも牡蠣には一定数嫌いな人がいる。僕からすると理解できないのだが、彼らにだって僕の椎茸を憎む気持ちはわからないようだから、そういうことなんだろう。

 

恋心と牡蠣

 第8章では「恋心と牡蠣」というタイトルで牡蠣と性愛にまつわるあれこれが記述される。この章は非常に踏み込んだ記載も多いので、外で読む際には注意されたし。ものすごく面白くて馬鹿げていて興味深い章だったが、唐突に書かれるとびっくりする。

 

オイスターシューター

 本書のおわりには付録として様々な牡蠣レシピが乗っている。その中にある「オイスターシューター(オイスターショット)」は牡蠣と酒をグラスに入れて一気に飲むドリンクだ。様々なレシピがあるようだが、是非一度挑戦してみたい。

 

おわりに

 この本を読んでいたら、かつて父親とした約束を思い出した。確か大学受験に受かったら好きなだけ牡蠣を食べさせてあげる的な約束だったはずだが、いまだに叶えられていない。