森の雑記

本・映画・音楽の感想

ボートの三人男

ボートの三人男

 

はじめに

 今年の6月ごろ、TSUTAYAが面白い企画商品を売っていた。名前は「いま、これ読んでる」。著名な作家が文字通り「読んでいる」作品をセレクトして、セット発売する商品だ。参加する作家には敬愛する森見登美彦先生や岸本佐知子さんも名を連ねており、買わない余地がない。

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 そう思って購入ページに行ったものの、商品はすでに完売。お二方の選書は購入できない状態になっていたのだった。自粛期間中でもあったから、需要が倍加していたのだろう。残念な気持ちになりながら、そっとウインドウを閉じた。

 しかし最近気づいた。商品はどの本がセレクトされているかがあらかじめ公表されている。であれば、自分で同じ本を買えばいい。ということでまずは森見セレクトの6冊のうちの1つ、中公文庫「ボートの三人男」ジェロームKジェローム著、丸谷才一訳を読んだ。

 

全体をみて

 まず目を引くのは、のんびりとボートを漕ぐ英国風紳士三人が描かれたカバーである。見覚えがあるタッチの絵、当然このカバー担当は和田誠さんであった。「装丁物語」にこの本が登場していたような、していなかったような。川と緑のシンプルな背景にカラフルなスーツが映える。

 そして内容といえば「三人組の男がボートで旅をする」ただそれだけである。波乱万丈でもなければラブロマンスもない。余暇を利用してただ出かける三人組が描写されるのみだ。

 なのに面白い。ふんだんに練り込まれたユーモアは僕たちの口角をじんわりと上げてくれる。唐突に出てくる詩的な描写がなんとも美しい。数々のオマージュ作品を生み、いまだに愛読者が多いのにも納得の作品である。

 以下、全19章のうち好きな章。

 

第2章 

 ボート旅行のプランを練る章。この船旅の参加者はジョージ、ハリス、ぼく(ジム)とその飼い犬モンモランシーである。悪友三人組+犬というわけだ。この本、頻繁に回想が入るのだけれど、2章では「ぼく」の飼い犬モンモランシーの過去が出てくる。彼はまさに暴君の呼び名が似合うワンちゃんである。モンモランシーが猫を殺してその飼い主がブチギレる事件があったり、彼のネズミとりが賭の対象になっていたりと、本当にアウトローが過ぎる。

 そんな回想ばかりでいっこうに計画が進まないから、「これもしかして旅に出ないまま終わるのでは、」と冒頭から不安になった。森見先生ならそういう小説を薦めてきてもおかしくはない。

 

第8章 

 旅の道中(河中)、ケムトン公園付近につく章。この章のはじめに出てくる「ゆすり」が面白い。三人に向かって管理者を名乗って「ここは私有地だからボートを止めるのなら金を払え」という人物が現れるが、実は彼、全くの一般人。所有者の代理人なんて者ではない。それをきちんと理解し、紳士的に追い払う三人が妙にスマート。これまでアホみたいな会話しかしておらず、ミスばかりで心配になるのに、金が絡むと急に機転が効くあたりが俗っぽくていい。あまりにしっかりしてるものだから、最初は三人が本当に気づいていないのかと思ったくらいだった。

 そしてこの章、何よも大事なのがハリスの「コミックソング」についての回想である。かつてハリスが、得意にするコミックソングを披露した際のエピソードが語られるのだが、有り体に言えばマジで面白い。読んでいて本当に笑いが止まらなかった。コミックソングはその名の通りコミカルな歌のことなのに、歌いながらブチギレるハリス、会場に飛び交う悲鳴、罵声。てんやわんやの大騒ぎである。

 

第11章

 以前、早起きして川を泳ぐことの良さを語った「ぼく」。いざその時が来ると、本当は泳ぎたくなんかないけど引っ込みがつかない。他の2人を誘うも断られる。仕方なく1人でちょっと水に浸かり、着替えようとするもシャツを川に落としてしまう。ジョージはそんな彼をみて爆笑。憤慨する「ぼく」。

 ここまででも十分に面白いし、本当に間抜けで微笑ましい。だが真骨頂はここからである。悲しみ怒る「ぼく」が突然笑い出すのだ。「ジョージがなぜそんなに笑うかわかった」と。逆に戸惑うジョージ。自分が馬鹿にしていたヤツが笑い出したのだから無理もない。恐ろしいくらいだ。

 川に落としたシャツには「ジョージ」の名が刻まれていた。

 

第17章

 物語も終盤、釣りに適した街の酒場のお話。

 ここでは漁師や釣りに関するエピソードがたくさんでてくる。どれも笑える。物語を通して言えるけれど、すごく面白い出来事を真面目くさく語られると、こうも笑えるのか。 釣り士が嘘をつく作法が丁寧に語られる。

 

おわりに

 元の話もさることながら、この本を日本語に訳した上でこうも面白く仕上げた丸谷さんはさすがである。敬意を。

 また中公文庫の解説は井上ひさしさんが務めており、これまた豪華である。是非読まれたい。