森の雑記

本・映画・音楽の感想

TVピープル

TVピープル

 

はじめに

 読んだことのない作家の本を開くときはいつもドキドキする。好きな作家の作品であれば、読む前からあらすじ等の事前情報が入ってくる。著者SNSをフォローしていたり、巻末に他作の紹介があったりするためだ。翻ってこれまで縁のなかった作家に手を出す時、これはもう緊張の瞬間である。まず作風の予測がつかぬ。ハッピーエンドを書くのか、後味の悪い作品を書くのか。一人称か三人称か。まさに未知との遭遇だ。

 僕にとって作家村上春樹は長らくこうした未知の存在であった。もちろん彼ほどの作家であれば自然と作品名くらいは耳に入ってくるし、ファンの友人もいる。それでも、これまで彼の文章そのものに触れたことは皆無だった。なんとなく癖がありそうで、今更読むのも気が引けて、随分と敬遠していたけれど、近頃ようやく読んでみようと思えた。長編に手を出すと肌に合わなかった時に読みきれない可能性があるので、まずは短編集から。パッチテストである。

 文藝春秋TVピープル村上春樹著。

 

全体をみて

 これが村上春樹か。執拗なまでの精神描写、ほの暗い世界観、独特な設定。どの短編もこれまで見たことがない種のものである。というか全ての話の影が濃過ぎる。長編になったらどうなってしまうのだろう。

 いつもこんな感じなのかと思い、村上春樹をよく読む友人に聞いたところ、「TVピープル」は村上先生が「病んでいる」と思われる時期に書いた作品らしい。だから重めの作品が多いのだと。事実のほどは定かでないが、なるほど納得の内容である。

 以下、各短編について。

 

TVピープル

 表題作。謎の生命体TVピープルにまつわる短編。

 徹底して理不尽に存在するTVピープルと、それを受け入れられない主人公。「ただ存在する」TVピープルはとても君が悪いけれど、どこか愛らしい。p12の文字が次第に小さくなっていく描写には「こんなのありかよ」と思わされた。印字のサイズまで利用した表現はこれまで見たことがなかった。

 それから面白いのは独特の擬音。本に音はないはずなのに、時計の音「タルップ・ク・シャウス」はいつまでも耳に残る。

 終盤TVピープルが喋るシーンはもはや感動に近い何かがあった。

 

飛行機

 僕がなんとなく思っていた村上春樹像に近い作品。男女関係、おしゃべり、内面の描写、不思議な設定がこれでもかと盛り込まれていた。冒頭のコーヒースプーンの書かれ方には脱帽。世界がこんな風に見えたらさぞ素敵だろう。

 浮気相手の夫とタバコの銘柄を揃える行為は、愛とも保身とも取れる美しいやり口。

 

フォークロア

 こちらも男女関係の話。生真面目かつ期待通りに生きてきた青年の苦悩が描かれる。

 小さい頃には自分が進むべき「枠」が見えていた、という言い回しに共感する人はきっと多いだろう。周囲の期待に応え、期待を外れまいとする生き方に違和感を覚えた瞬間、人は何を求めるのだろう。独り言の最後に登場する「ピース。」のコメントがなんともかっこいい。「僕なんかの27倍くらい人気がある」はクラスの女子人数を踏まえたセリフだろうか。

 それからキノコ。食事の場面では実に肉々しいキノコが書かれる。その口当たりと「彼」が話す「弾力」の話がリンクする書き方にも新鮮さを感じた。

 

加納クレタ・ゾンビ

 「加納クレタ」「ゾンビ」はいずれも本書のために書き下ろされたものだ。そして2作とも暗い。理不尽な仕打ちをうける女性たちが感じる恐怖や安堵をうまく表現していると思う。よくもこんな話が書けるものだ。

 

眠り

 不眠に陥る女性の話。

 実際に体感しないとかけないレベルの不眠やまどろみの描写に舌を巻くこと間違いなし。まじで想像で書けるレベルじゃない。村上春樹お馴染みのセリフ(勝手にそう思っている)「やれやれ」も登場しつつ、主人公の自我が変化していく様子がありありと表現される。

 「チョコレート」「小説」「水泳」などのモチーフが若年期を示す装置として効果的に使われていくところを見ると、(当然ながら)きちんと計算して書かれた短編なのだろう。だがそれにしても、やはり天才的な一編である。

 

おわりに

 初挑戦にしては暗過ぎる作品集を選んでしまった気もするが、村上春樹、けっこういいじゃないですか。毎回かの文学賞候補に囃し立てられ、ファンがハルキストと固有名詞化するほどの作家なのだから当然である。別の作品も読んでみたくなった。ただし次は、もう少し明るいものを。