森の雑記

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幸福とは何か 思考実験で学ぶ倫理学入門

幸福とは何か 思考実験で学ぶ倫理学入門

 

はじめに

 あなたはトロッコ路線切り替えの作業員である。線路の上を猛スピードでトロッコが走っており、あるポイントで線路は二股に分かれる。そんな時、片方の線路では作業員が線路を修復する作業をしていた。このままでは彼が引かれてしまう。そこであなたはトロッコの進路を変更し、もう一方に切り替えようと当然考える。しかし、あろうことか、二股のもう一方の線路にも5人の家族づれがいる。さて、この時あなたはどうするか。

 これは有名な「トロッコ問題」と呼ばれる思考実験だ。この思考実験を行う理由はいくつもあるが、そのうちに「自分の価値観を測れる」というものがある。例えば「1人が救われるより5人が救われた方がいい」と考え、作業員の方にトロッコを仕向ければ「命の数」を重視する価値観が現れるといった風に。

 しかし、5人家族が全員殺人の常習犯であったら。もしも作業員が余命宣告を受けながらも懸命に生きる青年だったら。あなたの結論は変わるかもしれない。

 このように、思考実験とは極限の状態を想定することで、自らの価値観や思考パターンを炙り出す効果を持つ。

 今回読んだ「幸福とは何か 思考実験で学ぶ倫理学入門」(ちくまプリマー新書 森村進)はタイトルの通り、前述の思考実験を用いて「幸福とは何か」を考える倫理学の入門書である。

 

 

全体をみて

 読みやすさ抜群でお馴染みのちくまプリマーでも、「幸福」を題材にすると少々固くなるようだ。筆者も極力深入りせず、話を単純化しようとしてくれるものの、少し読みにくかった。扱っている内容が内容だけに、法律学のようなコンテクスト解釈の世界、ともすれば言葉遊びとも取れる入り組んだ説明も登場する。高校倫理くらいの知識はベースとしてもっておかないと、ちょっと手強いかもしれない。 

 以下、各章について。

 

第1章 快楽説

 乱暴に言うと、「心理的に快い状態こそが本人にとっての善、すなわち幸福である」と主張する快楽説を考える章。

 ここでは快楽説の長所や短所、批判などが挙げられるが、中でも興味深い論点が「快楽に質的上下はあるか」というものだ。これはミルが言うところの「満足した豚と不満足なソクラテス」問題に通ずる。

 例えば、パチンコに勝って得られる快楽とオペラを鑑賞して得られる快楽を比べてみると、多くの人は後者をより上質なものだと考えることだろう。ミルはその判別方法として、上質と下等、両方の快楽を知っているものがどちらかを選択する時、必ず上質なものを選ぶと考えた。低俗な快楽しか知らない「豚」の判断は誤りだとも。

 ここからは個人的な意見だが、この判断にはもちろん個人差があるだろうと思う。僕は高級レストランで飲むシャンパンより鳥貴族で飲む金麦の方がやっぱり好きだ。

 

第2章 欲求実現説

 この説は「自らが望んだことが実現することこそが善、すなわち幸福である」と考える説だ。当然この説にだって反論や批判がある。

 その中には、「望みバイアス」(僕が名付けた)という批判がある。あるマイナス状態におかれた人の「望み」は、恵まれた状況のもとにある「望み」より低級なものになりうる。前者が通常ならなんでもないことを「望みを実現している」と感じた時、それは本当に幸福と言えるか。望みバイアスの批判からはこのような主張がなされるのである。

 就活をしているとものすごく感じるけれど、この「望みバイアス」をもった人は非常に多いと思う。本来はもっと良い企業(何が良いと感じるかは人それぞれだが)に行きたいのに、コロナ禍でうまくいかず、まあまあな企業からの内定を「納得内定」とか名付ける彼らを見ると、僕は少し悲しくなる。実現可能な範囲に目標を修正して、それを夢だとか言うのって簡単なんだけど、やっぱりみていて気持ちの良いもんじゃない。話が脱線した。

 もちろん、何を満足とするかは人それぞれだ。

 

第3章 客観的リスト説

 「幸福の内容は人々の欲求や信念とは独立しており、その内容は複数ある」と考えるこの説は、前二つの説を修正する形で生まれた。この「内容」は、バリエーションにもよるが、「愛情」「自尊心」「宗教心」など多岐に渡る。

 この章の核となる部分ではないが、「共通認識は抽象的な部分でしか実現しない」という主張にすごく納得させられた。

 

第4章 折衷説 

 ここまで見た各説を混ぜてなんとか論理立て用途する努力を説明する章。

 この章のベン図を用いた説明には少し納得できない部分があった。特にハイブリット説のところ。かつ・または の取り方が自分の思っていたものと違かった。まあ東大卒、一橋大学の教授が言っているのだから間違っているのは当然僕の方なのだが。

 

第5章 幸福と時間

 幸福を得る期間やタイミングを考える章。

 この章で気になったのは幸せの総量と時期の話。一瞬爆発的に幸せで、あとはパッとしない人生と、生涯そこそこ幸せな人生、あなたはどちらが幸せだと思うだろうか。幸せを「量」で加算するならば、両者の総量は同じだと仮定する。

 僕は後者だと思う。いくら一時幸せでも、その後の満足度が低いのは耐えられないと思うからだ。常に「あの時の栄光」にすがるような人生は送りたくない。

 

おわりに

 「幸福」についてきちんと論理立てて考えるのは非常に難しい。抽象的かつ個人差が大きいので、なかなか統一的な見解は生まれにくいためだ。それでも、何か一つの共通認識を生み出すために日々頭を捻り続ける学者先生方を僕は尊敬する。彼らにはもちろん遠く及ばないけれど、世界のためでなくとも良いから、「自分なりの」幸福を考えるのも良いかもしれない。