森の雑記

本・映画・音楽の感想

きまぐれ博物誌

きまぐれ博物誌

 

はじめに

 エッセイを読むのは面白い。大抵のエッセイは著者の主観や見解がふんだんに塗されているからである。フィクションを通すと間接的に受け取らざるを得ない書き手の思想だが、エッセイならダイレクトに味わえる。それが大好きな著者だったりすると尚更いい。彼らの考えを知ることで、これまで読んだ作品とまだ見ぬ新作、どちらも読む楽しみが増すというものだ。

 今回は大好きな、偉大な作家星新一先生のエッセイ集「きまぐれ博物誌」角川文庫 について。

 

全体をみて

 星先生が出した2冊目のエッセイ集。あとがきで「好調だった」と振り返る時期に書かれているだけあって、どのエッセイも歯切れが良い。とても短いエッセイから単行本未収録のショートショートを集めたまさに「博物誌」のような一冊だ。星先生の人となりもよくわかる。

 以下、好きなエッセイについて。

 

習字

 以前星先生が神経衰弱に陥った時、医師から「習字」を勧められたことを書く。

ここから脱線して印鑑文化に話が及ぶのが面白い。学校の「習字」授業で生徒の筆跡を画一化しながら「サイン」様式を導入しようとするやり方に疑問を挟む星先生。突拍子もない話から突拍子もない話に脱線するあたり、不思議なSFを書くのに最適化された脳構造って感じがする。

 

時間

 デートの待ち合わせには10分前に行くのが習慣だという先生。待つ間は彼女の美点ばかりが浮かぶが、待ち合わせ時刻を過ぎるごとに嫌なところが浮かび始め、40分たって彼女が現れる頃にはすっかり嫌いになっていた、というお話。

 偉大な先生の人間味を知れてとても嬉しい。その後話が寿命や相対性理論にたどり着くところも素晴らしい。彼の思考は時より速いのだ。

 

読書遍歴

 幼少期から青年期にかけて読んできた本を振り返る。「楚人冠全集」の面白さを説くと同時に「変に再評価などされないほうがいい」と言う。その理由は「他人に読まれるとしゃく」だから。

 作家なら自書が売れる喜びを知っているだろうに、他人が読むのを嫌うあたり、なんとも素直でいい。好きなバンドがメジャーになり過ぎると悲しい的な感情なのだろうか。

 

人間の描写

 作品で人物を描写するやり方について書く。「小説とは人間を書くもの」とは言い得て妙である。

 個人的に、「人間の描写」は本書の中で最も読むべきエッセイのうちの一つだと思う。星先生のショートショートの登場人物に「エヌ氏」が多いのはなぜか。なぜ「エー氏」出ないのか。その辺りの理由に注目である。確かに日本語名だと、名前から受ける印象はどうしても拭えないですよね。「松本潤」っていかにも凛々しそうな名前じゃないですか。

 

神聖

 米や文字の神聖さを考えるところから始まるエッセイ。この章に出てくる故人の言葉「不合理ゆえに我信ず」が印象的。

 合理的なもの、科学や論理は信じるものでなく理解するものだ。「鏡に自分が映ることを信じている」などと言う人はいない。逆に不合理だからこそ「信じる」余地がある。

 

未知の分野

 先生が「なぜ人類は音楽を持つに至ったか」この質問を作曲家に質問したところ、定説はなく、狩猟時の掛け声などが起源ではないか、と返される。先生は内心「虫や鳥の鳴き声を真似た」のが最初だと思っていたらしく、なんだかがっかりした様子。

 些細だが根源的な問いに関して自分なりの仮説を持っていることがすごい。僕はそんなこと考えたこともなかったし、疑問に思ってもすぐスマホで調べることだろう。最初の音楽が動物を真似たものだったら、そこにはさぞかし幻想的で素朴な風景が広がっていたことだろう。

 

おわりに

 ここまで触れなかったが、星先生は米国の一コマ漫画、いわゆるカートゥーンを集めるのが趣味だったそう。端的に本質的な事象を示しながら笑いを誘う部分は、多くのショートショートと共通する特性だ。

 400pほどあったが一瞬で読み終えてしまったので物足りない気がする。すでに1冊目のエッセイ集は注文してあるので、今から届くのが楽しみである。