森の雑記

本・映画・音楽の感想

彼方の友へ

彼方の友へ

 

はじめに

 本好きなら誰しもが一度は「自分で小説を書きたい」と思ったことがあるだろう。そして勢いのままに筆をとったはいいけれど、多くの人は生まれた文章の不格好さに落胆し、才能のなさを嘆く。そんな人が次に志すのは、たいてい出版社に勤務することである。タレントのなさに気付いた人は、自ら、イチから作品は作れずとも、何らかの形で本に携わろうとする。僕もその一人だったことがある。ただし、世間の出版社の就業難易度は結構高い。採用人数は多くないのに、応募する人が多い。倍率が三桁に到達することだって珍しくない。自分は結局、興味や心境の変化から報道の世界に身を振る決意をしたけれど、周りにはやっぱり出版の世界に憧れを持つ友人がいる。やっぱり本作りは、多くの人にとって夢の仕事なのだ。かつて触れた一冊の本は、それだけ僕たちを掴んで離さない。

 さて、今回はそんな出版社を舞台にした長編小説、伊吹有喜先生「彼方の友へ」について。

 

全体をみて

 本作の舞台は、第二次世界大戦前後、日本の出版社「大和之興業社 『乙女の友』編集部」である。物語は女中をしていた少女ハツが、親類のツテでこの銀座にある編集部で働くところから始まる。

 言論や出版が統制される中、「良い」モノを読者に届けるために、試行錯誤、悪戦苦闘する人々を、戦争の経過とともに追っていく本作は、濃厚かつ情緒たっぷりな文章で、主人公ハツの成長していく様をみられるのが楽しい。

 以下、各部について

 

第一部 昭和十二年

 時代感たっぷりに登場人物や舞台設定を示すパート。『乙女の友』主筆の青年有賀や、アートワーク担当の純司先生、アシスタントの史絵里など、芯の通った魅力的な人物が次々に登場する。

 こういう小説で出てくる、「ハーモニイ」とか「バア(お酒を飲むバーのこと)」とか、レトロな雰囲気の言葉ってすごくいいですよね…。

 

第二部 昭和十五年  

 サチが『乙女の友』で働くこと三年、転機が訪れる章。あるきっかけから正式に有賀付きとして働くことになったサチがメキメキと成長していく。

 この章では科学小説家の空井量太郎が登場する。優しく素直な彼の教えに感心する初の様子が描かれる。しかし、彼の連載最終回の原稿を受け取る直前、危険思想扇動の容疑で空井が検挙され、編集部は最終回が「落ち」る危機に瀕する。

 この事件からのスピード感がたまらない。次々に交わされる会話、有賀の大胆な決定、サチの原稿掲載、、、空井の逮捕を機に、サチが代役として抜擢されるのである。テンパるサチのもとへ史絵里が駆けつけるシーンには胸を打たれた。

 その後空井先生は嫌疑不十分で釈放される。その上サチのデビューもあってか、一転して穏やかな空気が作品に漂う。だが、物語中盤のハッピーには落とし穴がつきものである。

 

第三部 昭和十五年 晩秋

 前の部と同年、サチ、決意のパート。

 パート全体が短く、淡々と戦争の激化や人々の別れが書かれる。サチの同僚が次々と『乙女の友』を離れるのには寂しくなる。

 

第四部 昭和十八年 

 三年後、東京が初めて空襲を受けた年のこと。厳しさを増す戦火が人々を飲み込んでいく。

 サチの幼なじみが出征するシーンは、現代からは想像もできないやりとりがなされる。「弾が避けられるところに逃げて」というサチ、対して幼なじみ「避けた弾がお前に当たったらどうする」。こんな会話が若い人の間で交わされる時代とはいったい。今の時代「命をかける」みたいな言葉が本当の意味で使われることはそうない。これはもちろんいいことなのだろう。命なんてそう簡単にかけるもんじゃない。

 けれど、この時代の人たちが持っていたような、強くて、ある意味で悲壮な心持ちと全く断絶してしまうのは、それはそれで貧しいのかな、とも思う。当然、戦争なんて考えられる限り最もくだらない選択だと思うけれど。

 

第五部 昭和二十年

 いよいよ佳境に入る戦争、そして終戦後を書くパート。多くのものを失いながらも再び立ち上がる『乙女の友』。

 しばらくの休刊を経てもう一度出される『乙女の友』に、書店さんたちの列ができる場面には思わず震える。

 

おわりに

 ある表現物を多くの人に届けようと思えば、かつては多大な努力とコストが必要だった。そのため、その表現は選りすぐりのものにしたいという気持ちがさぞかし強かっただろう。ところが今はインターネットの浸透により、表現を他者に伝えるコストが非常に低い。であれば、その質は当然玉石混合になりうる。

 昔はよかった、などと若造が偉そうに言うつもりは全くない。けれど、真面目で、素直で、心に届くような文章、本作で『乙女の友』が目指したようなコンテンツが少しでも増えればいいと感じる。