森の雑記

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サルが食いかけでエサを捨てる理由

サルが食いかけでエサを捨てる理由

ヒトと動物は異なるか

 

はじめに

 タイトルを読むだけで果物を持ってさまようサルが想像できてしまう。ちくまプリマー新書から発行された本書は、同レーベルの他本と同様に「クラフト・エヴィング商會」が装幀を手掛けており、見た目にもシックかつ親しみやすい。このレーベルの本に外れがないことは僕の中でもっぱら通説となっているので、購入に何ら躊躇はなかった。著者だけでなく、出版社にもお気に入りがあると読書はより楽しくなる。

 さて、もう何度この言葉を書いたかも忘れるほど新型コロナウイルスが流行する昨今、この状況に四苦八苦しているのは人間だけではないだろうか。つまり、その他の種の生物にとってコロナウイルスは脅威たりえないのではないか。ネコ間での感染確認、発生源をコウモリだとする報道など、ヒト以外のCOVID19にまつわるニュースが時折テレビ画面をにぎわせることはあるものの、散歩連れの犬たちはのんきな顔をしている。こと今回のウイルスに関しては、ヒトに比べてその他の生物のほうが適応に苦労しないらしい。ヒトが動物に学べることは多いのかもしれない。

 

全体をみて

 読者のハードルを下げる文体の条件のひとつに「ですます調」があげられるが、とても読みやすい本書も例にもれずですます調が選ばれている。「プリマ―」というだけあって、このレーベルは非常に読みやすいものが多い。この文体には「だ・である調」に比して親しみを持ちやすいし、なんとなく優しげな著者を想像できる。それがゆえに、本書では、この優しい口調から飛び出すとんでもない表現に驚かされることも少なくない。急に現れるびっくり意見にどぎまぎするのもこの本の楽しみ方の一つなのである。

 以下、各章について。

 

第1章 生き物にも心はあるか

 ヒト以外の感情について考える章。神経や細胞組織の構造が複雑か簡単かの違いから、「心」にも程度の差はあるが、それでも生き物はすべて心を持っているというのが筆者の考え。飼っていたクワガタに角でハサまれたことがある人は多いだろうが、それは彼らなりの怒りの発露、愛情とともに毎日水やりをする朝顔がいきいきとしているのは喜びの表現、こうした例をもとに、動植物の動きも感情に置き換えられることを説かれるとすこし納得する。筆者は丁寧な口調ながら、当たり前のように生き物に感情を想定していくから面白い。

 

第2章 犬と猫はどれぐらい違う生き物か

 イヌとネコを例にとり、動物間の違いを分類単位的に説明する章。ネコは単独で狩りができるように進化した種であるため、人から見ると自己中心的、きままに生きているように見える。逆にイヌは群れることを前提にする生き物だから人懐っこい傾向がある。このように生物学的な見地から彼らの習性に解釈を施してくれる。

 この章で「イヌとアシカは似ている」という旨の記述があるのだが、そんなわけあるか、と思った方はぜひ2種を見比べてみてほしい。確かに彼らの顔はよく似ている。同じ祖先から比較的近いところで枝分かれしたのが理由であるそうだが、いままで思いもしなかった。ちなみに筆者は、このイヌとアシカが似ていることをさも周知の事実のように話す。

 

第3章 進化と生命の不思議

 物理的空白に進出するために、適応していくことを進化と考える。たとえば地上に住むヒトが全くいなくなったら、トリが空から地上に拠点を移すようになる。このような説明をもとに進化について語る章。海の成分と血液の成分の類似を指摘する部分もあり、降りて人間を駆逐するトリ、海と生命などなんとなくエヴァを思わされる。

 

第4章 人間はどこからきてどこへいくのか

 ヒトの起源とその先を考える章。なかでも「渚原人説」がおもしろい。ヒトの起源にまつわる説の一つだそう。ざっくりいうと「水辺にすむサルがいた。彼らは大型動物に追われた際、水中に逃げ込んだ。そのとき呼吸のため頭だけ出していた。そうすると、浮力等の作用により直立姿勢をとりやすくなった。そのまま陸地にもどり、直立するサルが生まれ、ヒトのもとになった。」という内容である。水中では毛が邪魔だから体毛はなくなったこと、直立で両手が使えるようになって道具文化が発達することなど渚原人説から説明できることは多い。筆者もこれを推す。

 また、この章の終わりごろにある挿絵は非常に気味が悪い。陸海空に適応した人類を想像して描いたものなのだが、リアリティがありすぎる。これはイラスト担当の川崎悟司さんが書いたものだけれど、筆者から絵のオーダーを受けたときにはさぞ戸惑ったことだろう。

 

第5章 昆虫はえらい

 章題からニヤリとさせられるこのパートは、その名の通り昆虫について。僕は虫が極度に苦手なので内容はあまり覚えていない。が、節足動物が海起源か陸起源かを見分ける方法として「死んだときにカニみたいな匂いがしたら海起源」ということを説明していた時に「この知識はいったいいつ使うのだろう」と思ったのは記憶している。節足動物絶命の場面に出くわしたくないし、においも嗅ぎたくない。

 

第6章 食べ物と生き物の関係

 書かれていることは章題の通り。このパートで、本のタイトルにもなっている、「サルが食いかけでエサを捨てる理由」が書かれる。結論としては、サルの食いかけのまま食物を捨てる傾向が、その食べ残しを巡った生態系と結びついており、このサイクルが生物的循環の維持に貢献する、というもの。

 

第7章 人間と動物

 イヌやウマがヒトになつく理由や、イヌの野生から外れた異常な精神構造などを説明する章。この章の生き物を飼う資格についての話は非常に考えさせられるものがある。

 

第8章 生き物の気持ち

 最終章にしてまとめの章。哺乳類が共通して乳児を「かわいい」と感じる精神構造などを語る。種全体の存続として「家畜」の道を受け入れた牛や豚に比して、個人主義を突き詰め「自分探し」なるものを行う人間の傲慢さを批判する部分に、この著者の考え方が凝縮されている気がする。

 

おわりに

 筆者のいう、植物や家畜が持ちうる「全体の心」はユングがいうところの「集合的無意識」に通じるところがあるし、その死生観は仏教のような深みも感じる。生物学は読んで字のごとく生き物を学ぶものだから、哲学などと相性がいいのかもしれない。僕はこの筆者のように特定分野にハイテンションな人物の考えを知ることが好きである。「マツコの知らない世界」「激レアさん」のような尖った人が語る番組も大好きだ。ヒトはヒトへの好奇心を持っている。であれば、動植物だってもっとヒトのことを知りたいのかもしれない。それでも虫には自分のことなど一つも知ってほしくない。