森の雑記

本・映画・音楽の感想

ぼっちーズ

ぼっちーズ

 

はじめに

 孤独耐性の話をしよう。程度の差こそあれ、人間は誰しも孤独に弱い。社会を形成する人間という生き物は、ひとりになることを得意としないのだ。このことは、コロナショックでより鮮明になったように思う。zoom飲み会などの流行はその現れ方の一つだ。

 だが、もちろん僕たちは、時々「ひとりになりたい」と思うことがある。人間関係に疲れ、何もかも投げ出したくなる時もある。しかしそれは、あくまで一時の感情であって、「今後一切人間と関わりたくない」と思ったことがある人は滅多にいないだろう。

 そして、人間が嫌う「孤独」に対し、人それぞれの耐久度は異なる。例えば僕は丸一日が孤独の限度で、それ以上人と話さないとなんだか非常に寂しい気分になる。耐性は人によって強弱があり、普段から他者と過ごす、あるいは会話をすることが多い人は、この耐性値は低いかもしれない。

 さて、今回はそんな孤独耐性が高そうな人々を題材にした小説、入間人間先生の「ぼっちーズ」について。

 

全体をみて

 「嘘つきみーくん」「電波女」でお馴染み入間先生が書く本作は、孤独と闘う大学生を題材にしている。中学高校に比べて友達を作るのが難しいと言われる大学生活においた、「ぼっち」化した彼らが、いかにして前向きになるかを描く。全五話の短編ごとに主人公が変わり、それぞれの短編が次第にリンクしていくという、テンションの上がる構成。さすがは「群像劇が好き」と公言する入間先生である。

 いか、各短編について好きな部分。

 

7670 いつかの君と電気ロケット

 短編タイトルの数字は、主人公のぼっちたちが居座ることになる「秘密基地」が開設されてからの日数。一つ目の短編はぼっちながらクレープ屋のバイト女子に恋をする男子大学生の話。

 「人生という海原の波乱がもたらす躍動感に耐えるには、やっぱり船が必要だ

これは短編の主人公、森川のセリフ。秘密基地を舟に例える彼の台詞には、人間には「居場所」が必要だということを痛感させられる。所属コミュニティを持たず、ひとりでいるのはさながら大海原を身一つで漂流するようなものだ。それがどんなに小さくても、古びていても、依るべき場所があるのとないのでは大きく異なる。

 

8766 朝と夜のオセロ

 一つ目の短編からおよそ3年。新たなぼっち大学生の話。一話目の森川くんが早くも再登場。森川くん、流暢に喋れるようになってるじゃないか。

 「秘密基地でじっとしているのも限界だった

作品の中で各主人公は保険医の先生から、大学構内にある「秘密基地」の鍵を与えられる。二話目で鍵をもらうのは羽生田くん。当初は大学内でやっと見つけた「秘密基地」という居場所に安堵し、入り浸るようになるのだけれど、次第にその居場所ですらも居心地の悪いものになっていく。人間にとっての「居場所」は無機質な空間をいうのではなく、やっぱり人でなくてはならない。

 

9861 不正恋愛譚

 二話目からもう3年、今度はひとりぼっちの女子大生の話。メル友だった大学職員に恋をして、彼の働く大学に腫れて入学するものの、実際会ってみると小汚いおじさんだったことにブチギレる彼女。

 「読書という行為は生殖活動と無縁で、生産的じゃない

どれだけ紙を積み重ねても愛は生まれない、と嘆く主人公の台詞。僕は毎日本を読むけれど、確かにここに人とのつながりはない。「読書は作者とのコミュニケーションだ!」なんて言われることもあるけれど、お互いの思いが一方通行の読書はコミュニケーションとは言えないんじゃないかな。それでも人が本を読むのは何を求めているんでしょうね。

 このお話は一番考えさせられる文章が多かった。

10957 逆フライング

 三度、3年の月日が経つ。友達がいないことに嫌気がさし、大学を辞めようと思う戸井くんの話。すごくあっさりしていてあまり特別なことは起きない。頁数も少ない。ありふれたぼっちのお話。森川くんが大学の講師になっている。

 

12053 清き湖底に住み着く者たち

 もう3年。一転して友人には不自由していない大学生、音石くんの話。最終話にしてこれまでの登場人物総出の大団円。

 「良くも悪くも〜の良くもは大抵機能していない

音石くんが恋する吉田さんとの会話で導き出された真実。確かに、「良くも悪くも」って濁し言葉というか、言葉のとげを削り落とすために使われることが多い。

 

12061 いつかの君と電子ロケット

 文庫版のおまけ。森川くんのその後。

 

おわりに

 物語の内容にほとんど触れずに感想を書いたので、全く作品の魅力が伝わらなかった。あらすじ書くのってめんどくさいから。

 さておき、入間人間先生の作品はどれも後味が最高である。どの作品を読んでも読後は必ず今までと違った世界が見えるし、それは半永久的に続く。そしてその世界観は、これまでとは違った見方で他人を見ることに繋がるかもしれない。であれば、やっぱり読書だって愛を育むのには役立つんじゃないだろうか。単体の読書行為は閉じているけれど、読書を経ることで人間関係はきっと豊かになる。