森の雑記

本・映画・音楽の感想

有頂天家族 二代目の帰朝

有頂天家族 

二代目の帰朝

 

はじめに

 有頂天家族の一冊目を読んでから三日、続きが気になっていてもたってもいられなくなり、この二冊目を購入し、読んだ。一冊目は一冊目であのまま終わってもいいくらいにまとまった作品であったから、次はどうなってしまうのだろうかとわくわくした。リアルタイムで有頂天家族を追っていた方々は、2冊目が出るまで7年半を待ったという。さぞかし待ち遠しかったことだろう。

 

全体をみて

 前作では圧倒的強者だった弁天様が、今作では少し薄まって描かれる。ここぞ、というときにはもちろんご登場されるのだが、出番が少ないような気がした。そして矢三郎との関係にも少しずつ変化が訪れる、というところでこの本の幕が下りる。よく言えば余韻たっぷり、悪く言えば言葉足らずな、森見登美彦氏らしい終わり方に呆然とした。続きが早く読みたいので、次はなんとか3年ほどで仕上げていただきたい。

 ところで、僕はあとがきや解説を先に読む派だ。森見先生はあまりあとがきを書かないから、彼の作品を読むときは先に解説を読むことになる。この文庫版の解説は、アニメ「有頂天家族」プロデューサー、堀川憲司さんがお書きになっているのだが、この解説がなんというか、無粋なものなのだ。

 その冒頭から、最後の弁天と矢三郎の会話に、弁天の言葉を付け足すとすれば、と言って、著作に足を踏み入れる。中では登美彦氏の心持を推測する。ネタバレのある解説をするのに一切注意書きがない。など、なんだか独りよがりな文章が続く。アニメのプロデューサーであるからには、登場人物や原作者を自分なりに解釈する、というのはもっともな作業であろう。しかし、この小説を手に取った僕は森見先生の著作から何かを得たいのであり、アニメプロデューサーから何かを受け取りたいわけでは断じてない。

 誤解がないよう書き足すと、アニメ「有頂天家族」は素晴らしい作品であった。映像にするのが難しい森見作品を、愛らしいキャラクター達をそのままに、いきいきと描いていた。アニメを作ることに関して、堀川さんは非凡な才能を持っておられる。

 本を引き立てる名解説がある一方、こうした解説を読むと野暮を感じてしまう。そんなことを言うのなら先に解説なんぞ読むな、という話だが。

 

好きな文章

①「じんじんするのはここがじんじん山だからさ」p22

 矢三郎の弟が長椅子を運ぶ際に「腕がじんじんする」といったことへの、矢三郎の返答。日本人なら誰もが知っている、「カチカチ山」へのオマージュ。文学を背景にしたユーモラスなオマージュをやらせたら、森見先生の右に出るものはいないと思う。

 

②「ツチノコは浪漫だが、天狗は現実である。」p47

 両方浪漫です。と突っ込みたくなるが、それでは思うつぼ。

 

③「狸界の古文書『毛子』」p128

 論語孟子、大学、中庸と言えばかの有名な四書であるが、狸界には別の聖典がある。にやにやがとまらない。

 

④「ありていに言えば『家出』であった。」p364

 気持ちを「有り体に」言わせることに定評のある森見先生。登場人物の理屈っぽい語りが長々と続いたのち発せられる素直な気持ちに、思わずほっこりさせられる。

 

⑤「狸はクリスマスが好きである。祝う理由の特にないところが実にいい。」p428

 七五三、端午の節句、七夕まつり、正月、、、どれも豊穣や成長、太平を祈るモノであるが、クリスマスはイエス様の誕生日だ。だが、クリスマスにそれを祝っている人を日本ではあまり見ない。子供はプレゼントをねだり、大人は恋人や家族と愛を深める。いわんや狸をや。

 クリスマスのあり方を皮肉ったような言葉に、少しドキッとした。

 

⑥「だから私がいるんでしょう?」p475

 ラブロマンス的要素が多い今作。矢一郎と玉瀾、矢三郎と海星、ふた組の仲睦まじい様子が随所にみられる。なかでも、矢一郎が選挙を中座、矢三郎を救いに飛び出し、玉瀾に非礼を詫びるシーンで、玉瀾が言ったこのセリフは、森見作品の中でも類を見ないほど直球だった。「でしょ」「でしょう」「でしょ?」のどれでもなく「でしょう?」品の良さ、相手への感情、全てが詰まった一言に思わず「読み惚れ」てしまう。

 

⑦「さっさと幸せになるがいい」p520

 矢一郎と玉瀾の結婚式に顔を出した赤玉先生が、二人を撫でていった言葉。本作では赤玉先生の「親」である場面がたびたび出てくる。弁天や二代目を慰め、下鴨兄弟をかわいがる。先生の深い愛情が感じられる。恋慕の対象であった弁天に「強くなれ」と声をかけるシーンは思わず息を飲むほどかっこよかった。

 

おわりに

 前作は400pほどだった有頂天家族、今作は500p越えになり、三作目はきっともっとボリューミーになるのだろう。愛に満ち溢れた物語はいかに完結するのか。矢三郎のように健気に次作を待ちたい。