森の雑記

本・映画・音楽の感想

有頂天家族 言うまでもなく、森見作品である

有頂天家族 

言うまでもなく、森見作品である。

 

はじめに

 僕と森見登美彦さんの出会いは8年前、中学校の図書館にさかのぼる。もとより読書好きであった僕は、部活前のわずかな時間、放課後の図書館をうろうろ物色していた。そこで目についた本「夜は短しあるけよ乙女」。キャッチ―なタイトルとしゃれた装丁に手を引かれ、急いで貸出手続きを行って部活に向かった。当時はもちろん「ゴンドラの唄」も知らなかったし、おそらくイラストレーターの中村佑介さんもそこまで有名ではなかった。しかし、何も知らずともわくわくさせられる何かをこの本に感じた。

 家に帰るのも待ち遠しくて、帰りの電車で本を開く。見たこともない古風な文体がすごく読みにくい。飾り表現が多い。「これは腰を据えて読まねば」と思い一度本を閉じた。家につき、複雑怪奇な文章にひいひい言いながら読了した深夜2時。どっと押し寄せる疲労感と、現実世界にようやく戻ってこられた安心感が今でも忘れられない。

 古典も習っておらず、著者になじみがなかった当時は、読むだけでも一苦労だった森見作品。いまではスイスイと読めるし、文章をことさら古風に感じたりしない。少しは大人になったのだろう。「聖なる怠け者の冒険」「夜行」「熱帯」どれもあっという間に読んでしまった。

 そして、満を持してというべきか、これまでどうしてか手を付けてこなかった「有頂天家族」を、このご時世に読み始めた。

 

全体を読んで

 アニメ化しているのにも納得ができる。登場人物(狸物)のキャラクターが非常に立っているし、他の作品と比べても、ストーリー展開がはっきりしていて読みやすかった気がする。さらには、随所に出てくるくだけた言葉遣いのカギカッコが、脳内で登場人物をいきいきと動かし、豊富なオマージュに各方面の知見をくすぐられる。上品でいてむちゃくちゃな言葉づかいからは、キャラクター間の深い愛情が伝わってくる。「熱帯」はいくつもの世界の扉をたたく重厚壮大な作品だったが、本作はもう少しカジュアルだった。

 ちなみに、夷川という名字を持つ狸が出てきて、僕はこれが読めなかった。「えびすがわ」と読むらしい。

 

好きな文章

①「だが待て、しばし」

 冒頭の文章はまるで詩のようにテンポがいい。その中でこの言葉が二回繰り返される。はじめから数ページ読んだだけで、森見登美彦だなあ、と思わされる。日常でも使ってみたい。だが待て、しばし。

 

②「山鳥の尾のしだり尾の、長々しい涎」

 「あしびきの 山鳥の尾の しだれ尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」柿本人麿

主人公矢三郎が赤玉先生とタクシーに乗る場面。隣に座る先生が眠りこけている様子を表した表現。有名な序言葉で導かれる、先生のよだれ。天才。

 

③「ぼへみあん狸」

 第二章冒頭、矢三郎が自らを指して言った言葉。まぬけな字面が何とも愛らしい。某映画のスタイリッシュさとは方向を異にしながら、同じ粋を感じる。

ちなみに「Bohemian」は「放浪的」という意味の形容詞だそう。

 

④「狸格高潔」

 こちらも矢三郎が自身に使った言葉。なんと読めば良いのか。たぬかくこうけつ?りかくこうけつ?

 

⑤矢三郎と弁天、月夜の散歩

 第四章、金曜俱楽部を抜け出し二人で歩く主人公矢三郎とヒロイン?弁天。この一連の文章が何とも幻想的で、チャーミングで、心を奪われる。しきりに月を愛でながらも、哀しさを隠さない弁天。ここで夏目漱石を思い出さない人はいないだろう。

 

⑥「どっこい生きている」 

 矢三郎が蛙になった兄、矢二郎に会いに行くシーン。兄と話すべく、井戸に飛び込んだ矢三郎が兄に心配されて発した言葉。なんというか、Tシャツにしたいですよね。この場面。

 

⑦「腐れ大学生は腐るほどいる」

 こういう表現がすっと出てくるから森見作品は油断ならない。思わず口角が上がる。中学生、高校生と森見登美彦作品に出てくる大学生にずっとあこがれていた僕は、少しでも腐れ大学生になれているだろうか。

 

おわりに

 森見登美彦さんの作品が大好きすぎて、京都旅行に出かけた際は彼女を引き回しての聖地巡礼ツアーをしてしまったことを思い出す。南座、菊水、木屋町、、、実際に訪れてから彼の作品を読むと、よりいっそう登場人物たちが活発に動く。京都なしでは彼の作品は語れない。

 このご時世、しばらく旅行は行けそうにもないし、気が滅入ることもおい。でも、何かを楽しむ心は忘れずにいたい。面白いことは良いことだから。