森の雑記

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漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

はじめに

 中田敦彦Youtube大学でも紹介された「君たちはどう生きるか」。先にユーチューブ大学を見てしまうと、どうしても本自体を読むのが億劫になるくらい、あのチャンネルの動画はよくまとめられいる。「君たちはどう生きるか」に関してはいつか実際に読んでみたいと思っていたため、あえて動画の視聴は避けていた。そして、偶然実家の本棚に漫画版「君たちは」を見つけたため、ひとつ読んでみようと思い立った。

 

あらすじ

 1937年に原作が出版され、2017年に漫画版としてリバイバルされたのが本書。

 旧制中学校2年の本田潤一が、叔父とのやり取りを通し、様々なことに気づき、学んでいく小説。叔父は潤一のことをコペルニクスのような発見にちなみ、「コペル君」とあだ名をつける。コペル君の体験をきちんと整理し、広い見識で答える叔父と、純粋なもろさも見せながら成長するコペルの物語。

 

全体をみて

 本作は漫画版なので、15分ほどで読めてしまう。そのため、余韻やインパクトには欠ける。物語を通して伝えたいメッセージは、ほとんど途中に出てくる「叔父からの手紙」という形式の文章で語られるので、結局は文章で読まないとこの作品の本質はつかみにくいのかもしれない。ストーリー部分は漫画で簡略に、コア部分は文章でというのがコンセプトなのだろう。

 文章はロジックに働きかける作用が強く、絵や映像はフィーリングに大きく作用するから、漫画ならではの感情的な訴えがもっと描かれていればな、と思った。

 真にこの作品を理解するなら、原作も読まねばなるまい。

 

好きな場面

①人間分子の関係、網目の法則(あるいは粉ミルクの秘密)

 コペル君が「一つのモノが手に届くまでには、おびただしい数の人間がかかわっている」ことに気づく場面。ニュートンが林檎をみて、物体の落下は宇宙空間でも起こるのか、と思いを馳せたように、モノが作られる過程を遠くまで考えるコペル君。自らが一つの粉ミルクを手にするまでには、異国の地に住む人までかかわっていることを思う。母が思い出に残しておいた粉ミルクの缶が、少年の世界を押し広げる。

 ここでは、母からの愛とともに、多くの人が複雑に関わる社会が取り上げられる。叔父はこの法則を「生産関係」の用語をもって説明する。グローバル化が進み切った現代では当たり前の前提だが、この法則をエモーショナルにとらえると感慨深い。一人の赤子が大人になるまでに、いったいどれほど多くの、どれほど広くの人々がこれを支えているのだろう。親に育てられ、親に感謝する、というのは古代から当然の慣習だけれど、その感謝はいまや地球規模に広げていくべきなのかもしれない。

 

②コペル少年 涙の不登校

 友達4人との約束もむなしく、友人が上級生に殴られるのを遠巻きに見つめることしかできなかったコペル君。ほかの友人は殴られた少年をかばいに走るが、彼は上級生に恐れをなして立ち尽くすのみ。一人家に帰り、自分の行為を恥ずかしく思い、友人らに顔向けできない思いから、不登校に。

 このシーンはまさに漫画でこそ味わい深くなるシーンだと思う。雪玉を持った手をそっと背に隠すシーンは、ほろ苦く、それでいてなんだか共感させられる。僕たちが人様に顔向けできない行為をした時には、他者に仲介してもらおうとか、やむを得なかったとか、合理的な判断だったとか、保身や言い訳に走ってしまう。でも、その時本当はどうすべきだったか、行為後にどんな対応をするべきか、というのは結局のところ自分が一番わかっている。そのわかっていることをしなかったら、結局罪悪感にさいなまれる。誰もが一度は経験する恥ずべき行為とその対応の在り方を考えさせられる。

 

おわりに

 あるコンテンツが僕のもとに届くまでには、多くの人がかかわっている。それは紛れもなく「誰か」の努力の結晶である。であれば、そのコンテンツ、本や映像を中途半端に消費し、批評するのはもったいない。内容をとらえきったうえで、かかわった人を尊敬する姿勢を持ち続けたい。