森の雑記

本・映画・音楽の感想

永遠の出口

永遠の出口

 

はじめに

 森絵都さんの「カラフル」を初めて読んだ時の衝撃を覚えている。中学生ってこんなに汚くて、辛くて、怖いものなのか、と小学生だった僕は怯えに怯えた。実際私立の中学に行ったこともあってか、そんなことはなかったのだけれど。

 学生のリアルを描写させたら絵都さんに並ぶ作家はそういない。子供のころはそれをリアルに体験しているが、それを描写できるだけの腕はない。大人になって技術がついても、学生時代の思い出は色褪せている。それなのに彼女は、どうして大人になってからリアリティたっぷりの文章が書けるのだろう。他の作家と並べるのは大変失礼だが、森絵都重松清のような、そんな特異な才能を持っていると思う。

 そんな森絵都さんの「永遠の出口」(集英社文庫)について。

 

全体を見て

 この作品は主人公岸本紀子が小学生から大人になるまでの道のりを描いたものだ。全部で9章からなる彼女の物語は、章ごと目まぐるしく登場人物が入れ替わり、章が進むにつれ彼女も成長し、舞台は変わっていく。毎章新しい登場人物が出てきては消え、出会っては別れるのを読んでいると、確かに人間関係ってこんなものだよな、と思わされる。環境の変化をまたいでも縁が続く人は本当に一握りなのである。

 でも、人はいなくなっても。一度縁を持った人々の言葉や姿勢は紀子に受け継がれていく。ある章の言葉が前の章に出てきた言葉だったり、時おり紀子が過去を懐かしんだり、心の中では登場人物たちは消えない。

 以下、好きな場面について。

 

永遠に・一生・死ぬまで

 幼少期、「永遠に〜できない」という言葉が嫌いだったという紀子。何かを逃すことを過度に恐れるのはこの時期ならでは。大人になれば、永遠に経験できないことの方が多いことに気づく。姉は紀子が「永遠」を恐れるのにいち早く気づいて、度々「さっき見た〇〇綺麗だったなあ、紀ちゃんはいなかったから、一生見れないね」とか言って彼女をからかう。

 兄姉はたしかに弟妹の弱点をいち早く見抜く。僕もそうだったし、そうやってからかったことがあったなあ、と。絵都さんには絶対に弟か妹がいるに違いない。いなかったら天才以外の何者でもない。

 

意味ある苦行

 小学校4年生の時、ある事情があって仲間外れにしていた女の子の家で夕飯を食べることになった紀子。その際に出てくる、「意味を宿した苦行」という言葉が印象深い。

 居心地も悪いし、できれば早く帰りたい、人はしばしばそのような場面に出会す。でも時たま、その「苦行」を行うことが大事なこともある。他者に心理的な負担をかけ、謝りに行く場面なんかはその際たる例だろう。苦行を行うことでこれまで抱えていたものが軽くなり、すっきりすることはたしかにある。

 

火災非常ベル

 家族旅行に出かけ、宿泊先の旅館で非常ベルが鳴り響く。館内はパニック、主人公たちも例に漏れず慌てふためく。

 この場面、解説で北上次郎さんも書いているけれど、お手本のような「転」である。これまでの微妙な空気を一気にひっくり返すシーンなのだ。これまで鬱陶しかった父の言動も、これを機に(同じようなことを言っているのに)好意的に感じる。まさにマジックのような話の転がし方だった。

 

「おはよう」

 前の章で出てきた「円さん」のセリフが、主人公の口からそのまま出る場面。人は買われどその言葉が紀子に受け継がれているところに痺れる。

 

十年後ならいいんだよ

 主人公の友人、元道は言う。「来年のこと考えるのってキツいよな」十年後ならどんな夢だって見られるけれど、近い未来のことを考えるのはリアリティがありすぎてキツいようだ。

 個人的には「そうか?」と思う。近い将来のためなら、今するべきことがわかりやすい。受験が近いなら受験勉強をすればいいし、就職が近いならそのための経験と知識、メンタリティを作ればいい。でも、十年後にともなればお手上げだ。十年後のために何ができるかなんて想像もつかないし、考えても途方にくれるだけだ。

 高校生の頃、あまり受験のために努力しない友人を見たり、大学で就活を全くしない友達を見たりして、怖くないのかと心配になった。けれど彼らは元道のように、近未来を考える方がしんどかったのかもしれない。

 

紀ちゃんなら、大丈夫

 最終章、しばらくぶりに登場した小学校の同級生春子から主人公が言われるセリフ。これまで紀子の目を通して様々な経験をしてきたけれど、彼女は環境に流されることが多くて、いまいち紀子自体がどういう人間か見えてこない。でもこの最終章でようやく、ほんの少し彼女の人となりが見える。紀子の内面ばかり見てきた僕らだが、ようやく春子の目を、言葉を通して「外から見た」彼女の姿を見ることができるのだ。

 

おわりに

 エピローグで紀子は大学に入ってからその後どうなったかを語る。それはありきたりなハッピーエンド、例えば元道と結ばれたとかじゃなく、不倫にハマったり会社を首になったりとなんとも微妙なものだ。けれど、これが本当の「ありきたり」なのだと思う。ハッピーエンドかバッドエンド、多くの作品はこのどちらかに収斂するが、大体の人間の生活はどちらでもない。

 特別な才能や大きすぎる出来事が出てこない本作らしい終わり方だった。