森の雑記

本・映画・音楽の感想

日本の妖怪

日本の妖怪

 

はじめに

 「妖怪ウォッチ」が爆発的に流行ったことがあった。ポケモンにも言えることだが、やっぱり日本にはキャラものがウケる土壌があるんだと思う。その原点はもしかしたら江戸時代の妖怪ブームまで遡れるかもしれない。

 民俗学の本を読んでいると必ずこの手の魑魅魍魎と関わることになるので、そろそろ妖怪についても詳しく見てみようと思い、宝島SUGOI文庫、小松和彦・飯倉義之監修の「日本の妖怪」を読んだ。

 

全体をみて

 本書は妖怪やそれにまつわるエピソードを紹介する。たくさんの絵、図が入っているから視覚的にも楽しむことができる。気味が悪い見た目からかわいらしい性質まで、種々の妖怪を取り揃えた図鑑のような一冊だ。とてもライトなエンタメ本なので、小さい子でも読めることだろう。

 以下、好きな妖怪について。

 

天狗

 半人半鳥の姿を持つ、お馴染み天狗。実はトレードマークの長い鼻、室町時代に創作されたものだそう。平安時代から彼らにまつわる伝承は存在していたが、当時は山の精霊だと思われており、僕らが思う形とは異なっていたようだ。

 江戸時代の政局が安定した時期以降は修験道と深く結びつくことで、悪の存在から聖の存在に転じ、に彼らの人気が高まる。そのころに「八大天狗」と呼ばれる特に法力が強い選抜メンバーが結成(創作)され、その中には赤玉先生でお馴染み、鞍馬天狗も名を連ねる。彼は牛若丸の師でもあるそう。

 「有頂天家族」でお馴染みの天狗の成り立ちを知れて、なんだか嬉しい。

 

化け狸

 有頂天家族と言えば、こちらも忘れてはなるまい。化けるのが大好きな狸も、日本では妖怪として見られてきた。「狐七化け狸八化け」という言葉があるくらいにポピュラーな存在である。「平成狸合戦ぽんぽこ」からもわかるように、僕らにとって狸は非常に愛すべき存在だ。

 この狸とほぼ同義の言葉として狢がある。この二種を同種と捉えるか異種と捉えるかには地域差があるが、かつてそのことを原因とする裁判が起きた。法学部ではお馴染み「狸狢事件」である。

 かつて栃木県のある地域では、狸と狢が別種だと捉えられていた。そんな中、ある猟師が狢を撃ち取った。しかし、当時の狩猟法では狸を打つことが禁じられており、生物学的に同種である狢を撃った彼が下級審で有罪になった。けれど、その後大審院で判断が覆り、「狸を撃っていない」と言う被告人の認識を尊重する形で無罪判決が出た。刑法38条のいわゆる「事実の錯誤」問題である。(狩猟と法施行のタイミングなど、論点はいくつかにまたがる。)

 この事件を勉強したとき、まさか妖怪の本で再びあいまみえるとは思いもしなかった。ちなみによく似た事件に「ムササビ・モマ事件」がある。

 

猫又・化け猫

 愛くるしくてたまらない彼らも、古来より愛されていたらしい。長い年月を生きた猫は尻尾が二股に別れ、人間を食うなんて言う恐ろしい伝承もあるが。

 ここで紹介された歌舞伎演目「花嵯峨野猫魔碑史」が泣ける。我が子の非業の死を嘆き、自殺する母。その飼い猫が家族の恨みを晴らそうと、子をいじめた男に化け猫となって復讐を試みるも、仇討ち敵わず、やっつけられてしまう。ざっくり言うとこんな話だ。猫が浮かばれないなあと思いながらも、やっぱり愛らしいなと感じる。

 

 江戸時代の人気妖怪「件(くだん)」。皆さん知っていますか。件は予言を得意とする、字の通り半人半牛の妖怪だ。情勢が不安定になると度々噂が流布することから、当時の瓦版が意図的に流行らせた妖怪だとも言われている。不安に託けてありもしないことを流すあたり、メディアはいつの世も面白い。

 

うわん

 こちらも馴染みのない妖怪。これは是非とも実物を見て欲しいのだけれど、絶妙に不快な顔をいている。お歯黒をつけた鬼のような妖怪で、なぜこんな変な名前なのかには言及がない。実は高貴な出自を持つとも。

 

おわりに

 妖怪ウォッチの流行も終わり、しばらく妖怪の名を聞くこともなくなった。そのかわりに今はコロナコロナの大騒ぎである。しかし妖怪と同じく、何事もいつかは忘れられるものである。だがそのとき、言葉が実態を伴わなくなったときにこそ、空想上かつ過去の存在は真に妖気を伴う。後から当時の認識が何倍にも膨れ上がること、よくあるじゃないですか。