森の雑記

本・映画・音楽の感想

名文どろぼう

名文どろぼう

 

はじめに 

 以前竹内政明さんの「編集手帳傑作選」を読んだ。笑える文章から大切に取っておきたくなる文章まで、バリエーション豊かなコラムが揃っていた。さすがは傑作選。そんな竹内さんの別著に「名文どろぼう」(文春新書)がある。新聞のコラムは引用が多いとは言え、まさか「どろぼう」とは。いったいどんな本なのか、興味があったので。

 

全体をみて

 本書は竹内さんが古今東西の「名文」をトピックごとに紹介するものである。短歌、エッセイ、スピーチなど「どうやってこんなに集めたの」と聞きたくなるくらい数多くの流麗な文章が登場する。しかもただでさえ紹介される文章がいいのに、語り手が竹内さんとくればもはや鬼に金棒。豪華な一冊である。

 ただジェネレーションの違いなのか、引用される文章は古いものも多く、背景にピンとこないことも。この辺りはミレニアル世代にはきついところか。

 以下、好きな文章について。

 

学問の自由はこれを保障する

 竹内さんが一番好きな憲法の条文。お馴染み23条「学問の自由」規定である。最近何かと話題になった条文だが、これには単純に「研究の自由」だけでなく、「研究の自律」も含まれるという見解をきちんと押さえておこう。さておき。

 竹内さんはなぜこの条文が好きなのか。それは「五七五」調だからである。「学問の 自由はこれを 保障する」確かに。大学で憲法を勉強し、何度もこの条文を見たはずなのに全く気がつかなかった。着眼点がニッチ。

 実は法律には他にも「五七五」があるようだ。民法882条「相続は 死亡によって 開始する」。この条文にはテストで相当悩まされた記憶がある。相続のところは論点が多いんですよ。改正によって文章が変わらなかったことを安堵すべきか。

 

「分つた」「象だ!」

 甥っ子相手に英語の家庭教師を買って出たのは檀ふみさん。「エレガント」の意味を甥に聞くと、なかなか出てこない。そこでふみさんはちょっと気取った仕草をしてみせる。この仕草を日本語にすればいいのだと。そこで甥っ子「分かった、象だ!」。

 おそらく甥は檀さんの仕草など眼中になく、必死で考えた結果脳内の「エレファント」にたどり着き、それを取り違えたのだと思うけれども。にしても笑いが止まらない。

 

とりかえしつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ

 みんな大好き俵万智さんの歌。命名ってかなり人を縛るし、突拍子もない名前や珍しい名前は、良くも悪くも人生に影響を与える。僕にも思い当たるところがあります。

 本書では俵万智さんの短歌がもう一つ紹介される。「いきいきと息子は短歌詠んでおり たとえおかんが俵万智でも」愛情たっぷり。「とりかえし」で「おまえ」を平仮名にするのもそうだけど、俵万智さんの歌には本当にあったかい何かがある。

 

天才とは

 「天才とは、蝶を追っていつの間にか山頂に登っている少年である。」と言ったのはジョン・スタインベック。これは言い得て妙。ノーベル賞を取るような人のインタビューを見ていても、本当に「好き」なんだなあ、と思うことが多い。

 

運の貯蓄

 人間には運を「貯蓄」するタイプと「消費」するタイプがいる、と語ったのは色川武大。数ある名文のうち竹内さんが最も影響を受けた文章らしい。

 自分にいいことがあるのは、誰かが運を貯蓄してくれたおかげ、そう考えると謙虚になれる気がする。

 

おわりに

 読み終えるととても暖かい気持ちになれる本だった。ミレニアル世代にはきつい、と書いたが前言撤回。引用元をきちんと調べてもっと味わいたいと思えるプレミアムな一冊。

国債がわかる本

国債がわかる本

 

はじめに

 「国債ってなに?」と聞かれると、ドキッとする。「国の借金」であること、日銀の「買い・売りオペ」の話、「マイナス金利」の意味、このような抽象的かつ断片的な知識は披露できるものの、それがどのような実態を持っていて、メリットデメリットはどんなところにあるかまでは答えられない。

 塾で政経や公民を教えている身としてこれはいただけない。先日「財務官僚の出世と人事」を読んで以来財政に興味が出てきたこともあり、

highcolorman.hatenablog.jp

 今回は山田博文著「国債がわかる本 政府保証の金融ビジネスと財務危機」(大月書店)を読んだ。

 

全体をみて

 ともすればとても複雑になりがちな「国債」の説明を可能な限り平易にしてくれる一冊。著者は多くの経済にまつわる本を出版している群馬大学教育学部の教授である。(2013年当時)

 さすがは教育学部の先生。本書では同じことを違う言葉で何度も繰り返してくれるので、読み進めるうちに国債への理解がどんどん深まる。また章をまたいだ時に、前の章で説明したことをざっくりともう一度買いてくれる部分も多く、随所に「わかりやすさ」への工夫がなされている。

 以下、各章面白かった箇所について。

 

第Ⅰ章 国債ビジネスと政府債務危機

 国債の発行が増大していくのには理由がある。それは「ビジネス化」である。

大手行などは①国債の利率収入②引き受け手数料(今は制度が変わって少し違う様相を呈している)③ディーリング益(国債を顧客に売買する手数料)、この3つの利益を「国債」から受けている。特に③に関しては銀行の営業利益の20%を占めることもあり、銀行は国債に大きく依存していると言える。

 この銀行の利益を守るために国債発行の圧力がかかり、歯止めが効かなくなっている面もある、と著者は指摘。しかし当然、このツケは国民に回ってくる。増税社会保障の削減で割を食うことになるからだ。

 

第Ⅱ章 現代資本主義と国債市場

 天文学的な数字から弾き出される売買差益を求め、グローバル化した国債マーケット。ここには多くの銀行、巨大投資家が参戦する。逆に言えば国債の価値や信用が下がれば、彼らの資産は大きく目減りする。いくら国債が安全な金融商品だからと言って、ギリシャデフォルトのようなことが起きないとも限らない。そこで大口の参戦者たちはなにを求めるか。増税である。

 増税によってある国の財政赤字が削減されると、当然その国の国債格付けが上がる。そうなれば彼らが保有する国債の価値も上がる。マネーゲームが継続できる。

 こうした状況は、常に大手行や投資家が消費増税に圧力をかけるインセンティブになりうる。

 

第Ⅲ章 動員される日銀信用と国民の貯蓄

 では国債発行額がこれほど増えているのに、日本の国際価格が値崩れしないのはなぜだろう。その理由の一つに「買いオペ」がある。国債を持っていれば、日銀が「買い取って」くれる。だから日本国債への需要は下がらない。よって価格も高止まる。

 国債の利上げによる悪循環も興味深い。国債価格が下がると、利率は固定されているので相対的な利回りが上がる。そうなると次に発行する国債はその「上がった」利回り以上の利率設定がなされなければ需要は喚起できない。金利を引き上げれば政府の負担は増える。資金調達のためさらに国債を発行する。信用が減り国債の価格は下がる。以下ループ。

 

 

第Ⅳ章 グローバル化する政府債務の危機

 こうした国債市場でマネーゲームが繰り返される様子を、著者は「カジノ型金融資本主義」と呼ぶ。各種規制緩和によりグローバルに一層活況を見せるマーケットだが、リーマンショックを誘発するなどの落とし穴も。

 金融恐慌や大企業倒産による雇用減に対応すべく、政府は公的資金を注入する。これは規制緩和=小さな政府を指向する動きと矛盾する。結果的に国に依存せざるをえない構造を産んでしまったのだ。この自家撞着を「誤りであったことが証明された」と著者は言い切る。

 

第Ⅴ章 一億総債務者と債務大国からの脱却

 現在の巨額債務は「もはや返済不可能」という著者。そこで「これ以上財政赤字を増やさないが、すぐには財政赤字を返さ」ずに、期間を定めず長期的に返済を行う「債務管理型国家」を提案。

 加えて公共事業より、経済効果・雇用創出力の高い社会保障に力を入れることも大事だと。

 

おわりに

 何気なく見る予算のニュースや金融危機トピックの解像度が上がった気がする。読んで良かった。

 

 

マンガでわかる 亜鉛の基礎と臨床

マンガでわかる 亜鉛の基礎と臨床

 

はじめに

 健康ブーム、と呼ぶにはもはや遅いくらい、様々なヘルスケアが一般化してきている。ジムに通う人がいれば、スキンケアを怠らない人もいて、多くのサプリメントを毎日のように摂取している人もいる。

 でもサプリって実際どうなの、と思く。ビタミンは食物から十分に取れそうだし、コラーゲンを経口摂取するのにどんな意味があるのかもわからない。サプリに興味はあっても、実際無駄なのでは?と疑ってしまう。

 だから、きちんとエビデンスを調べてみよう。でも難しい学術書は読みたくない。そんな時に出会った本「マンガでわかる 亜鉛の基礎と臨床」(金芳堂)を読んだので、ここにまとめる。

 

全体をみて

 著者は医師の小野靜一さん。そこそこのポストにつく医師の本ということで、信頼できそうだ。

 まず、マンガと言ってもあくまでイラストに文字が添えられている程度なのでストーリー展開があるわけではない。加えて添えられる文字も多いので、結局読む手間はかかる。文章も(当然だが)臨床データや専門用語への言及ばかりだから、全部読むのはそれなりに労力がいる。

 というとまるでタイトル詐欺を喧伝しているようだが、論文や学術書と比べて読みやすいのは間違いない。著者の亜鉛にかける情熱もひしひしと伝わってくるので、興味と時間があれば読んでも決して損はないだろう。

 以下、特に興味を持った箇所。

 

免疫と亜鉛

 欧米の薬剤師に「亜鉛の効果は?」と聞けば、当たり前のように「免疫の改善」と返ってくる、と小野先生は言う。日本では髪のことだったり肌のことだったりに言及されがちなので、ちょっと意外。

 体内の血清亜鉛値が低下すると、マクロファージや好中球の機能が低下するらしく、獲得免疫の力が落ちるそうなので、免疫力の低下を感じたら亜鉛サプリメントをとることを先生はお勧めする。

 免疫力が落ちているって言うのは、風邪をひきやすい状態のことを言うのだろうか。いずれにせよ体が弱っている時に亜鉛は有効なのかも。

 

髪と亜鉛

 テストロテンは男性ホルモンの一つ。これが5αリダクターゼⅡ型と結びつき、薄毛を進行させるジヒドロテストロテンになる。

 亜鉛に5αリダクターゼⅡ型の働きを抑える効果があるらしい。つまり薄毛の進行予防には亜鉛が有効、と小野さん。 

 

ALSと亜鉛

 この分野についてはまだわかっていないことが多く、断定的なことは言えないようだが、難病ALSにも亜鉛マンガンが関わっているそう。

 

肌と亜鉛

 ビタミンに負けず劣らず肌の健康に大事なのが亜鉛。ニキビ患者に亜鉛、または亜鉛とビタミンAを与えたら、84%の人に効果があったと言うデータも。傷の治りも亜鉛投与で早くなるらしい。

 ここに関してはエビデンス不足と言うか、ニキビなんて普通にしてても治ることが多いので、闇雲には信じられない。僕がこの本を読んだのは最近ニキビが気になってくきたからで、この辺の記述には期待していたのだけれど、イマイチ。思春期ニキビに限定しているっぽい記述も気になる。まあ肌のサイクルに亜鉛が関わっていること自体は間違いなさそう。

 

おわりに

 ニキビを治したいという不純な動機から読んだ本書だったが、結構いろんなことを学べたので良かった。肝心のニキビに関してはもう少し調べが必要か。

 

 

台湾生まれ 日本語育ち

台湾生まれ 日本語育ち

 

はじめに

 久々に読んだエッセイがとても素晴らしかったので紹介させてください。

温又柔著「台湾生まれ 日本語育ち」(白水社)。

 

全体をみて

 本書は第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した一冊である。著者の温さんはタイトルの通り、台湾で生まれ、幼少期に日本へ移住する国籍上の「台湾人」である。(この台湾人呼称については「二つの中国」にまつわる問題はひとまず脇において欲しい。)しかし人生のほとんどを日本で過ごした彼女は、物事を考えるのも、話すのも、書くのも全て日本語である。けれども生まれてから数年は台湾で台湾語を話していた。さらに両親は中華民国中華人民共和国の間に揺れた時代を生きたので、中国語も話す。もっと言えば祖母・祖父は日本統治下の台湾に住み、日本語を話す。

 こんな具合に彼女は絡み合った3つのルーツを持つ。日本、台湾、中国いずれにも染まりきらないマーブル模様の人生を行く彼女の感覚。このエッセイを読めばその感覚がありありと伝わってくる。国家、世代、戦争、戦後の日本に生まれ日本に育った僕が決して得られない想いを伝えてくれる良書だった。

 以下、好きな部分について。

 

言語を忘れる寂しさ

 幼少期日本に渡った温さんは、次第に日本語を習得していく。一方母は台湾語、中国語をメインに話す。家での会話はお互いに違う言語が使われた。

 だんだんと自分の中の「台湾語」「中国語」が薄れていくことに、温さんは「さみしかった」と言う。人生で初めて話せるようになった言葉を失っていくのは、心にどれほど影響を与えるのだろう。日本語しか使わない僕には想像することしかできないけれど、かなりの喪失感があるのだと思った。

 高校で学んだイスラーム史や三角比を忘れることすら怖いのに、思考の基礎をなす「言語」を忘れてしまうことはさぞ怖かったのでは。

 

台湾総統選挙

 温さんは国籍上日本人ではないため、幼少期から過ごす日本では選挙権がない。しかし台湾での選挙権はある。この選挙権に関しても強く疑問を覚えることがあったそうだが、ともあれ台湾の選挙に票を投じる決意を固めた温さん。しかし、選挙の直前に在留条件を満たしていないことがわかり、その年の総統選挙に限って投票できないことがわかる。わざわざ台湾に「帰る」段取りをしていたのに。

 それでも彼女は台湾へ渡り、選挙を間近で見る。ビジネスをする親族の投票先は、もちろん中国との関係を重視する国民党の馬英九。そんな話をしていた親族一同での食事会、テーブルにある声が。「女の総統が誕生しても素敵だなと思う」「もちろん冗談だけど」声の主は叔母だった。女の総統とはもちろん、台湾の現総統、民進党蔡英文のことである。対して叔父は「お前の冗談は世界つまらない」と一蹴。笑いが起こったものの、温さんには思うところがあったよう。

 国家と選挙権、イデオロギーという難しい問題に加え、性別のファクターも加われば、もはや「正しさ」とは主観でしかない。多くの要因が表面化したこの会話を切り取るのは素晴らしい感性だと思う。

 

母語母語、娘語

 前述の通り、台湾では戦前、戦中、戦後でメインとなった言語が違う。さらに温さんは幼少期に日本へ渡っている。だから彼女の親族では日本語、台湾語、中国語3つの言語が入り混じる。 

 母と同じ言葉を使えないこと、なぜか祖母とは日本語で意思疎通できること、そんな当たり前は、僕らから見れば全く不思議な光景だ。 

 この部分に登場する、別の家庭の描写も鋭い。祖母と母は台湾、中国語を話し、幼い娘が日本語を話す、温さんとは少し違うねじれ方をした家族のエピソードがある。揺れるブランコに近づく孫が、祖母の「ダメ」という日本後に対し、「おばあちゃんが日本語しゃべった!」と怒られたいるのにもかかわらず嬉しそうにする場面である。

 これを聞いた母と祖母はどんな気持ちになったのだろう。嬉しくて、もっと日本語を勉強しようと思っただろうか。それとも孫と違う言葉を使い、コミュニケーションがとりにくいことを嘆いたのだろうか。いずれにせよ、大きく心を動かす一言だったことだろう。

 

英語が苦手

 今度は少しライトな部分。

 英語が苦手だという温さんは、「ハロー、と言ったら、次にはもうグッバイと言いたくなる」そう。こういうユーモラスな表現はなんだか真似したくなる。

 

 温さんには妹がいる。彼女は日本で生まれ、日本で育った。そんな彼女は母の台湾語、中国語、日本語が混ざった話し方を「かわいい」といって憚らない。幼少期の温さんは母の歪な話し方を嫌っていたのに。

 姉妹が大人になり、妹に子供ができた頃、温さんは妹の娘に絵本を読んであげた。その時温さんの母が言った「ママ、それしなかった」。一瞬緊張が走るが、妹はそんな母の言葉を笑い飛ばす。「ママったら」。

 温さんはこの妹に救われてきた部分がすごく大きいのだと思う。母、姉、妹、三者三様のバックボーンをもち、部屋をすれば空中分解しかねなかった家庭を繋ぎ止める素敵な存在。

 

おわりに

 外国人参政権や移民の問題には、知識を持たず感情的な反応をしてしまうことがある。しかし建設的な議論をするためには問題の背景や実情を理解しなければならない。そういう意味でこの一冊は単なるエッセイの枠を超え、多くの分野における「理解」を促すものだと思う。

 

 

マキァヴェッリ 『君主論』をよむ

マキァヴェッリ君主論』をよむ

 

はじめに

 「君主論」とか「マキアベリズム」の言葉には何やら邪悪なイメージがつきまとう。マキアヴェッリが書いたのは、権謀や残酷を用いる恐ろしくリアリスティックな帝王論、そんな風に思っている人は多いはずだ。

 世界史の授業で彼を知り、「君主論」の一端を習ってから、このダークな著書を一度読んでみたいと思っていた。しかし、遥か昔にヨーロッパで書かれた書物を実際に開くのは億劫である。例え和訳されていたとしても。そんな時に鹿子生浩輝著「マキァヴェッリ 『君主論』をよむ」(岩波新書)と出会った。代わりに読んでくれる人がいるなら、その人から噛み砕いた教えを聞けば良いではないか。

 

全体をみて

 「君主論」は世間で思われているほど邪悪な論ではないし、マキァヴェッリ自身も「徳」のようなものをきちんと重視していた。というのが本書最大の主張か。確かに「君主論」については、読んでもいないのに印象が先行していた感は拭えない。

 あとがきで著者は本書を「マキァヴェッリの政治思想に関する入門書」と呼ぶが、あさにその通り。君主論の内容をよく解して教えてくれるし、マキアヴェッリのユーモアに溢れた横顔的なエピソードも書いてくれているので読み物としても面白い。1つ難点をあげるとすれば、中世イタリアに関する固有名詞がバンバン出てくるところか。高校世界史レベルの知識だと半分〜7割くらいしか分からないので、都度参照するか気にせず読み飛ばしてしまうのが良かろう。僕は後者。

 以下、各章について。

 

第1章 書記官マキァヴェッリ

 マキァヴェッリは確かに信仰心が薄かった。しかしだからといって当時の人に嫌われたわけではないし、(もちろんそれなりのアンチは存在しただろうが)ことさらに邪悪な人物だったわけではない。

 女好きな一面、ユーモアたっぷりに他人をからかう様子、祖国への愛など、非常に人間的なエピソードが、彼については多く残っている。マキアヴェッリの経歴や人間性に着目した章。

 この章の最後には、マキアヴェッリが「君主論」を書き上げた時の境遇、心境などが説明される。それを持って著者はこの有名な論を「いわば就職論文」だと評する。

 

第2章 新君主の助言者

 本書の中で最も画期的(に思える)章。我々からすると「君主論」は「全ての権力者に向けて」「権謀」を進める論文のように思える。しかし実際のところそうではないらしい。「君主論」の射程は章ごとに絞られており、そのうち「新君主国」つまり共和国ではなく、世襲でない形の君主が生まれた国の中でも、「自由な生活に慣れた」国家を論ずる章において「権謀」「残酷」が強調されているにすぎないようなのだ。その「権謀」「残酷」も結果としてそれらを用いるのが民の利益になるから使うのであって、そもそも権力が根付いていたり、服従の文化がある国においては「有徳に」振舞うべきだとマキァヴェッリは言ったそうな。

 この絞り込みを知らずに「君主論」を語っていたのが恥ずかしい。

 

第3章 善と悪の勧め

 ではマキァヴェッリが君主、つまり当時フィレンツェの支配者であるところのメディチ家に行った助言はいかなる物だったのか。これを分析するのが第3章。

 中でも目を引いたのが、マキァヴェッリが繰り返し軍の構築を訴えていた箇所。どうやら彼は、君主自ら機動的に使える軍事力を非常に重要視していたようだ。海外の軍や傭兵に頼らないことの必要性を繰り返し訴えている。著者はマキァヴェッリがこう考えるに至った理由や、実現方法について疑問を呈す。確かにマキァヴェッリの持論、特に軍に関する部分はロジックが甘いところも多そう。ただそれも、「就職論文」としてメディチ家に都合がいいように書いたから、という可能性もあり、一概に否定しきれない、とも。

 

第4章 フィレンツェの「君主」

 マキァヴェッリが想定した君主は実際誰だったのだろうか。またマキァヴェッリは祖国フィレンツェでどのような政治が行われるのを理想としていたのだろうか。

 この疑問のうち前者に対し著者は「当初はジュリアーノに向けて、結果的にはロレンツォに向けて」と答える。君主論を献呈しようとする相手は執筆当初と献呈時で変わったというのだ。章ごとの不自然な矛盾や時代背景からこの結論に至ったようで、これには非常に説得力があった。 

 それから政治に関して。彼には古代ローマの政体を強く評価している様子がうかがえる。祖国に対しても古代ローマ的な政治を求めたのではないか、と。

 

第5章 フィレンツェの自由

 「君主論」と並ぶマキァヴェッリの傑作「ディスコルシ」。この著書で彼は共和国に関する考察を行う。難関私立校志望だとこっちの著書も暗記しないといけなかったなあ、と学生時代を思い出した。

 この章で印象的だったのは、「人間の野心は消せない」という部分。マキァヴェッリは人の心を変えることはできないから、制度で抑えるべし、と権力に関する考察で述べているようだ。今も昔も。

 

第6章 イタリアの自由

 前章よりもう少し話を大きくして、「イタリア」の話。とは言ってもマキァヴェッリガリヴァルディのような「全イタリア統一」を志していたわけではなく、諸都市の連合を構想していたにすぎないようだ。時折マキァヴェッリに「統一イタリア」思想の先見性を見出す人もいるが、鹿子生さんからすると、それは誤った理解らしい。

 この章で面白かったのは、マキァヴェッリが「全ては運命づけられている」という考え方に対し、「半分ほどは自分で決められる」と言っているところ。河川の氾濫それ自体は気象条件など動かし難い要因から起こるが、堤防を作るなどその被害を抑える工夫はできる、といった具合に。

 時代はずれるかもしれないけれど、カルヴァンの「予定説」の逆のような。そのまんまのような。「プロ倫」でウェーバーも言ったように、この予定説は結果として努力を促す酵素になった部分もあるので、やっぱりキリスト教的だなとも読めるし、やっぱり信仰が薄いな、とも読める。だからなんだ。

 

おわりに

 著者はマキァヴェッリがこれまでと違う「君主論」を書いたことについて、あえて以前と異なる理論を強調することで、(実際にはかつての議論を踏襲し、例外的に「権謀」「残酷」「節制」を書いているのにもかかわらず)論の注目を高める「営業戦略」を行ったのだと指摘する。

 であれば、現在僕らが「君主論」に抱くイメージや、彼の著名さは、全て彼の計算通りなのかもしれない。この男、やっぱりずる賢い。

 

 

 

 

アパホテル マンガで学ぶ成功企業の仕事術

アパホテル 

マンガで学ぶ成功企業の仕事術

利益を生み出す逆張り成功哲学

 

はじめに

 アパホテルと聞くと真っ先に思い浮かべるのは帽子を被った女性、芙美子社長だ。理由は分からないけれど、社長があそこまで広告塔を買ってでるおかげもあってか、同ホテルグループはかなりの知名度を誇る。

 たくさんあって便利だし、値段も安い。アパホテルは日本のビジネスホテルで最も成功している部類に入るだろう。では、なぜ成功したのか。それを読み解くヒントになるのが「アパホテル マンガで学ぶ成功企業の仕事術」である。バラエティアートワークスのシリーズより。

 

全体をみて

 いわゆるサクセスストーリー。苦難やトラブルもありつつ、それを乗り越え成功していく姿が生き生きと描かれる。アパグループの歴史がきれいにストーリー化されていて、漫画としての面白さも。

 芙美子さんは創業者ではなく、夫の元谷外志雄さんが創業者だというのは本を読んで初めて知った。

 以下、印象に残った部分について。

 

セット販売

 アパホテルのスタートは「信金開発株式会社」の社名で住宅建築とそのローンをセットで販売するビジネス。家を買ったことがないので分からないけれど、今は建築メーカーとローン会社が提携することはあっても、一緒ってことはないのではないか。

 

オイルショック

 オイルショックで資材価格が高騰し、他社は契約後の値上げを発表することもあったが、アパは値段据置。顧客の「信頼」「信用」を守るためとは言え、身を削る思いだったことだろう。英断。

 

芙美子社長

 夫の会社で取締役として働いていたが、急遽ホテルグループの社長に任命された芙美子夫人。ここからあの名物社長の名が知れ渡り始める。元は優秀なセールスマンだったらしい。

 

おもてなし

 アパホテルはベッドが大きい。部屋に折り鶴が飾ってある。ビジネスマンが少しでもリラックスできるように、という気遣いからきているそう。

 

50億円

 西武鉄道が幕張プリンスホテルを売却、アパグループはこれを買い取る。

 この案件には外資の競合があったらしい。日本人としてのプライドもあり、元谷代表は50億円を上乗せすることを決断。ついに落札。

 

マンション事業

 現在アパグループは「CONOE」「Premiere」など、マンション事業にも取り組んでいる。最初の不動産ビジネスに回帰したような感じ。

 

おわりに

 芙美子社長は広告塔としてもビジネスマンとしても優秀そうだ。そして彼女を抜擢した外志雄さんの慧眼たるや。

 

自民党 価値とリスクのマトリクス

自民党 価値とリスクのマトリクス

 

はじめに

 中田敦彦YouTube大学で紹介されているのを見てから気になっていた、中島岳志著「自民党 価値とリスクのマトリクス」(スタンダードブックス)を読んだ。

 

全体をみて

 安倍前首相の辞任後、菅政権が発足してから読むとまた面白い。

 本書は自民党の有力政治家を、発言や著書を元に二つの分類「リスクを社会化するか個人化するか」「価値観がパターナル(保守的)かリベラルか」をもって、マトリクス図に位置付ける。そしてそれぞれの象限を、パターナル×社会化ならⅠ型、リベラル×社会化ならⅡ型、リベラル×個人化ならⅢ型、パターナル×個人化ならⅣ型、と名付ける。

 ただし本書は著者の政治的指向がそれなりに入っている(おそらくリベラル系?)ので、微妙に角度のついた書き方も散見されることに注意されたい。政治家の分類に関してはそれなりに中立を保っているが、その評価に関してはリベラルな政治家を高く見積もりがちな気もする。

 以下、本書で紹介された9人の自民党議員について。

 

安倍晋三 Ⅳ型

 やはり安倍前首相の在任中に出版された本なので、もちろん最初は彼の記述から始まる。安倍さんは当然というべきか、価値においてはパターナル的なものを持っていると著者は分析。負の歴史(WWⅡにおける日本軍の行動)などは幼少期から教えるのではなく、大人になって思慮がついてから教えれば良い、という考えを持っていたり、いわゆる「押しつけ憲法観」を持っていたり、安倍さんがパターナルな価値観を持っているのは間違いないだろう。一方リスクに関しては「リスクの個人化」つまり自助を中心とした社会福祉政策をメインに据えている、と分析。ただし安倍さんはこちらのリスク軸に大きな関心を示す政治家ではなく、あくまで価値軸に重きを置く政治家である、と著者は言う。経済政策「アベノミクス」が出てきたのも第二次政権以降であることが理由の一つとして挙げられる。

 

石破茂 Ⅲ型

 先日の総裁選では大きく票を落とし、石破派の会長を(引責?)辞任した石破さん。安倍さんの対抗馬として存在感を示してきただけに、やはり価値はリベラル寄り。一方リスクに関してはTPPを成立させて農家の競争力を高めようとしていることからもわかる通り、個人化の傾向を持っているようだ。

 石破さんには一度某社のインターンでお会いしてお話を聞く機会があったのだが、確かにこの型であっていると思う。

 

菅義偉 Ⅳ型

 現首相。携帯料金引き下げやふるさと納税など、大衆が喜ぶ政策を打ち出すのを得意とする政治家。著者はポピュリズム的だと言うが、ちょっと意味がずれるような気も。でも確かに、読売新聞の「人生案内」を読むことが日課だという菅さんは、一般人の空気感を察するのが上手い部分もあると思う。「自助・共助・公助」の言葉からもわかる通り、リスクは個人化する傾向に。価値に関しては、安倍さんの国家観を前面に押し出す姿勢に共鳴した、とも語っている通り、パターナル寄りか。ただし安倍さんほど価値軸にこだわるタイプではなく、あくまで相対的なパターナル、選挙で勝つためのプラグマティックな価値軸を持っているのだろうと思われる。

 

野田聖子 Ⅱ型

 自らを「小姑」と言ってのける姿勢からもわかるように、現在の自民党の中心議員が持つパターナルな価値観とは距離を置く、「リベラル」寄りの政治家。個人的には著書も多くて発信力のある、非常に魅力的な政治家だと思う。また、男社会の国会にあって、女性であること、不妊治療を受けていたことを踏まえ、女性の地位や医療費などの分野に関しては積極的な介入姿勢を見せており、リスク軸においては社会化の傾向を持っているようだ。

 一方著者は弱点についても触れている。リスク面に関しては、当時の安倍政権が持つ個人化傾向とは逆の社会化思考を持つことで、代替を提案できている。しかし価値軸になると、憲法や安全保障に関しては「明らかに勉強不足」。安倍政権がこだわる右派的政策にはオルタナティブを持ち合わせていない、と指摘される。

 価値軸に拘らない菅さんが首相になったことで、存在感を再び示せるか。

 

河野太郎 Ⅲ型

 かなり有名な政治家。現在は行政改革担当大臣として歯に衣着せぬ(ように見える)物言いで、はんこ文化廃止等、革新的な思考を見せる。著者曰く政治家であった「父への反骨心」が根底にある政治家らしい。

 価値はリベラル、リスクは個人化。

 

岸田文雄 0型

 なかなか踏み込んだ発言をしない、著書も少ない(先日「岸田ビジョン」を出したが、本書が出版された時点ではまだ日の目をみていなかった)。よって非常に指向がわかりにくい政治家。まさかの0(原点)に位置付けられた。著者は価値の軸をきちんと持たない政治家を評価しない傾向にある。

 

加藤勝信 Ⅰ〜Ⅱ型

 現官房長官。スポークスマンとして発信力を高めている。政治家加藤六月の娘と結婚し、婿入りした人物であり、東大経済学部卒、大蔵省に入省した過去を持つスーパーエリートでもある。

 厚生労働大臣時代の発言などから、「子どもの貧困」等に積極的な関心を見せることが読み取れるので、リスクに関しては「社会化」を目指す政治家でありそう。価値に関しては発信がほとんどないので分からず。

 

小渕優子 Ⅱ型

 言わずとしれた竹下派の次期総裁候補。政治資金規正法違反を数年前、経済産業大臣在任中に問われて以来、表舞台からは遠ざかっていたが、最近復調の兆しも。出産、子育てと並行しながら議員活動を行ったことからか、子育て世代の負担に強い関心を持ち、リスクは社会化する指向を持っている。また、価値に関しては「夫婦別姓」に積極的であり、リベラル寄りか。(ちなみに小渕さんは結婚の際、パートナーの方が氏を変えることで「小渕ブランド」を守った、と著者はいう)。

 

小泉進次郎 Ⅲ〜Ⅳ型

 自民党のプリンス。中学高校は体育会野球部に所属、大学卒業後には単身で留学した経験を持つ彼は、著者曰く「マッチョ」。自らの努力や忍耐で道を切り開いてきた自負があるので、自助を優先、したがってリスクは個人化する傾向を持っているようだ。価値に関しては父と同じく強い関心を持っていないか、あるいはまだ発信していないだけか。

 

おわりに

 ここで書いたのは僕個人の見解でなく、あくまで著者の記述を読み取ったものなので、齟齬があったら申し訳ない。

 全体を読んだ感じでは、やはり自民党保守政党であるからか、リベラル的な価値を持つ人も「興味がない」「そこまでパターナルじゃない」というくらいで、極端な左派的思考を持つ政治家はいなそう。当たり前か。

 著者の若干バイアスがかった評価はともかく、分析に関しては素晴らしいと思うし、非常に読みやすく楽しい本だった。