森の雑記

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シャザム! オトナになりたいコドモたち

シャザム! 

オトナになりたいコドモたち

 

はじめに

 自宅待機が日にを増すごとにつらくなってくるこの頃。いかがお過ごしでしょうか。少しでもすっきりした気分になりたくて、ヒーロー映画を見ようと決めたものの、スーパーマンバットマンもシリーズがありすぎていまいち腰が上がらない。そんな時に出会ったのがこの映画。なにやらコメディ要素が強めらしいし、鬱屈とした気分を晴らすのにちょうどよさそう。

 

あらすじ

 幼いころ、母とはぐれて孤児となった少年ビリー。繰り返し里親の元から逃亡をすること23回。そんな彼が「純粋な心」を持つ者にしか持てない「SHAZAM」の力を得る。一方、幼少期、父兄に馬鹿にされて育った男、Dr.シヴァナは「七つの大罪」を源泉とした強大な魔力を手に入れる。Dr.シヴァナはビリーの力を奪うべく、彼を探す。

 そんな二人の戦いをド派手に、コミカルに描いた作品。

 

全体をみて

 コメディ要素が強く、テンポがいいので見ていて飽きない。マーベル的な超能力の描写もみていてすがすがしい。さらっと見るにはちょうどいい。ただ、登場人物の内面部分を掘り下げるようなシーンが少なく、うまく感情移入できない。これ以上シーンを増やすと長くなって見るのに疲れそうだから、この辺はさじ加減が難しいところ。

 

好きなシーン

①「消えるヒーロー」シャザム

 ビリーと同じ里親の元に暮らす、足の不自由な少年フレディ。彼いわく、「飛ぶヒーロー」と「消える(透明になれる)ヒーロー」、どっちになりたいかを人に聞くと多くの人は前者を選ぶそう。しかし、この質問を匿名ですると、「消えるヒーロー」になりたい人のほうが多数派になるらしい。

 シャザムは、少年ビリーが20代後半ほどの赤スーツ白マント筋骨隆々の男性に変身したヒーローだ。したがって、シャザムが変身をといて少年の姿に戻ると、シャザムは「消えた」ように見える。周りの人間は、まさかこの少年がシャザムだとは思わないから、ヒーローが突然いなくなったかのように感じる。

 シャザムはもちろん飛ぶこともできるし、目からビームだって出せる。でも、このヒーローの本質は「消える」ところにあるし、劇中でもこの力をいかして戦う。人々の「おもてだった」願望にこたえるのがスーパーマンだとすれば、「ひそかな」思いを体現するのがシャザムだ。

 

②弱腰サンタ

 物語が進む季節はクリスマス前だから、ちょくちょくサンタが登場する。基本的にはコミックリリーフ的に扱われ、彼が登場するシーンは毎回笑ってしまう。

 「夏の間サンタさんはどこでなにをしているの?」「君の頭の中にいるのさ」

 

③ビリー 母との再会

 生みの母と再会するビリー。しかし、ここでビリーは、母が自分を故意に手放したことを知る。いきなり現れた彼に戸惑う母、彼女にはすでに新たな生活がある。ビリーは母に理解を示し、むかし母がゲームでとってくれた球体の方位磁石を返す。

 このシーンがなんとも味わい深い。ようやく再開できた喜び。真実を知った悲しみ。そして決別。数々の感情が凝縮されたこの場面は、一番の見どころといっても過言ではない。母にもう一度会おうとする彼を導いてきた方位磁石は、成長したビリーをみて、様々な葛藤を抱える彼女へと手渡される。

 この作品で「球」という物体は決別を示すマークになる。父、兄と決別したDr.シヴァナが昔持っていた球体のおもちゃ。自分を認めなかった旧シャザムからシヴァナが奪い取った「七つの大罪」を閉じ込めた球体。

 

きになるところ

 終盤、ビリーは同じ里親の元で暮らす5人の子供を「家族」だと思うようになり、絆で結ばれていく。が、この気持ちが芽生えるようなきっかけになるシーンがほとんど見られない。フレディはシャザムのサポートを行うし、いきなり能力を手にして戸惑うビリーを救ったのも彼だから、絆が生まれるのもわかる。でも、ほかの子たちとビリーが仲良くなるようなシーンがなく、いきなりの家族宣言に少しおいて行かれる。原作を読んだらわかるのかも。

 

シャザムはなぜ大人に変身する?

 「見た目は大人、中身は子供」が売りのこの映画だが、いったいなぜ、ビリーの変身には年齢的成長が伴うのだろう。子供のままでスーパーパワーを得るわけにはいかなかったのか。

 個人的に、この問いには「大人へのあこがれ」が答えとなるように思われる。ビリーは何度も、たくさんの里親から逃げてきた。そのたびにつかまり、新たな里親のもとへ連れていかれる。一人で自由に暮らしたいと思うけれど、18歳以下の少年には許されない。ビリーからすれば、年齢というカウントは非常に邪魔なものに感じられただろう。

 こんな彼が手にしたパワー、願望をかなえてくれる能力が、彼を大人にした。と考えると、シャザムの姿が成人男性になるのもわかる。もしかしたら「父」の面影を追いかけているのかも。

 

おわりに

 はやく大人になりたい、独り立ちしたい、ここから消えてしまいたい。こんな気持ちは誰しもが一度は抱えたことがある。この映画はこうした気持ちをよみがえらせる。でも、その気持ちのまま立ち止まっていてもなにも起こらない。結局時がたてば人は大人にならざるを得ないし、自分で道を決めて進まなければならない。大人も、子供も、迷いながら生きる。でも、進む方向はきっと見つかる。方位磁石は、すでにビリーが手わたしてくれたから。