森の雑記

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キキはなぜ飛べなくなったか

キキはなぜ飛べなくなったか

 

はじめに

 コロナウイルスが大流行し、自粛ムードの漂う3月27日、金曜ロードショーで「魔女の宅急便」が放送された。この作品には、小学生のころに見たのを最後に、BGMがきれいだ、とか、クロネコヤマトと黒猫ジジの豆知識だとか、当たり障りない記憶しか残っていなかった。しかし、大学生になって見返してみると色々な考えが浮かぶものである。ウイルスの流行に伴って、家に引きこもっていたことで起きた、数少ない良いことの一つが、この作品との再会かもしれない。

 以下、この物語の大きな山場となる、キキが飛べなくなったシーンについて空想を書く。

 

キキが飛べなくなった理由

 結論から書くと、「魔法のない生活にあこがれた」からではないか、と考察する。

キキが飛べなくなるまでに重要なシーン(魔法がいらないと感じたシーン)として、

①街についた当初

②おソノさんとの出会い

③バイクに二人乗りするカップ

ウルスラ

⑤二シンパイのおばあさん の5つがあげられる。

 

①街についた当初

 ホウキに乗って街についたキキは、「自らが魔女である」アイデンティティーを強く持っている。トンボをはじめとする多くの人物とうまくなじめず、「魔女なのに」うまくいかない現実と向き合う。ホテルにも未成年だから泊まれない。

 

②おソノさんとの出会い

 街で初めて自分を理解してくれる人と出会う。「魔女」のキキでなく「住むところのない」キキに、店番をする条件付きで部屋を貸すおソノさん。店番は「魔女でなくとも」できる。ここでキキの存在は、きっかけこそ魔法を使って忘れ物を手渡したことだが、「妊娠中の労働」「困っている子供」であることに集約される。

 

③バイクに二人乗りするカップ

 白いワンピースを着た少女が、やや不良っぽい見た目の男子と楽しそうに出かけるシーン。キキはこれにあこがれの目を向ける。恋人と二人で出かける幸せは魔女でなくとも叶えられる。

 

ウルスラ

ウルスラは(元)魔女である。

 キキとバトルしたカラスのような鳥と戯れ、彼らを描くウルスラ。ジジの「魔女はカラスと仲良し」というセリフに対し、キキは「それは昔の話」と一蹴するキキ。その直後に出会うカラスと仲良しのウルスラ。ここに関連がないとすれば逆に違和感が残る。細かい考察は他に多くの記事がより詳細であるため、ここではここまでにする。

 キキが気づいていたか定かではないが、元魔女のウルスラが絵描きとして「魔法なし」で生活を謳歌する姿は、さぞかし新鮮に映っただろう。

 

⑤ニシンパイのおばあさん

 オーブンの故障でパイが焼きあがらなかったおばあさんを助けるべく、キキは奮闘する。このシーンに魔法は出てこない。おばあさんを救うのに魔法はいらなかった。

 余談だが、この後の孫がニシンパイを嫌うシーンになぜ救いがないのか。

 

 こうしたいくつかのシーンで、キキが幸せになるには、魔法は必ずしも必要でないことが描写される。結果としてキキの胸中に「本当に魔法は必要なのか」という疑念がわく。とどめとして、トンボとの自転車二人乗りシーンが来る。気になる男の子とのお出かけ。③のシーンが脳裏によぎる。交通事故一歩手前の場面を「魔法で」乗り切り、幸せ満載の笑顔になるも、知らない、魔法も使えない女の子とトンボの仲を見て少し嫉妬。恋愛に魔法はいらない。と感じたのかもしれない。

 

 こうして、キキの魔力は大きく弱まってしまった。と考えると辻褄が合う。気がする。

 

再び飛べたのはなぜか

 魔法の必要性が薄まり、飛ぶ力を失いかけるキキ。では、彼女が再び魔力を取り戻し、トンボを救えたのはなぜか。きっかけとなった(と思われる)シーンを見ていく。

 

ウルスラの小屋で見た絵

 キキをモチーフに描かれた絵画をみて、他者から見た魔女がいかに輝かしい存在かを知る。元魔女のウルスラから、魔力を取り戻すアドバイスを受け、「魔女である」自分を再び認める。

 

②トンボのピンチ

 おばあさんの家で飛行船の大事故を目撃。空飛ぶ船にしがみつくトンボを救えるのは、「空飛ぶ魔女」しかいない。気になる男の子の危機に、キキが、「魔女である」自分を再び必要とする。

 

「魔女の自分を受け入れること」「魔法が必要なこと」これらを強く感じたキキは魔力を取り戻し、空を舞う。

 

おわりに

 ここまで、キキが飛べなくなった理由に妄想を垂れ流した。ジジが話せなくなった理由など、もう少し掘り下げたい場面がいくつかあったが、今日はここまで。