森の雑記

本・映画・音楽の感想

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

はじめに

 高校生の頃、「東京カレンダー」と「cakes」の連載をよく読んでいた。前者は東京に暮らすアッパー層の生活や小説を、後者はさまざまなクリエイターの「新しい」作品を読むことができた。片田舎で生きる僕にとってはどちらもすごく新鮮で、「東京」への憧れを培養するには十分すぎるテキストになった。

 その中でもよく覚えているのが、cakesでの燃え殻さんの連載「ボクたちはみんな大人になれなかった」である。東京カレンダーが見せるのはきらびやかな東京の「表」、そしてそこに息づく「欲」だ。対してこの連載に書かれる東京は思ったより暗くて、地味で、ダサい。そんな仄暗く、センチメンタルを感じさせる「ボクたちは」は、今でいうところの「エモさ」が全面に出た小説の先駆けだったのかもしれない。

 この連載を新潮社が書籍化したのは知っていたが、もうウェブで読んだし買うことはなかった。が、最近ふとしたきっかけで本書を手に取ると、「大幅な加筆修正」がされているようなので、高校生の頃を思い出す意味でも読んでみることにした。

 

全体をみて

 当時あれだけお洒落でノスタルジックだと思っていた文章も、エモいことを売りにするあれこれが増えた今読むと、逆にダサく感じる。けれどそこがいい。

 この作品は燃え殻さんの自伝なのだろうか。テレビ業界の片隅を生きる男と、容姿に何がある女性の出会い、恋、別れが順に書かれていく。どこをとっても等身大で、そのくせ気取っている文章にハマれたのは、東京に憧れていたあの頃だったからかもしれない。

 以下、好きな場面について。

 

誤送信

 小説は主人公が元カノの幸せそうなFacebookを見つけ、見ているうちに誤って友達申請を送ってしまうところから始まる。人波に巻き込まれたゆえの事故だと言うが、それが事故じゃないことは主人公が一番わかっているはず。嫌なら取り消せばいいし、そもそも人が密集したくらいで申請ボタンを押してしまうのなら、指はその近くにあったはず。

 夜中に間違って送るラインも、酔ったからかける電話もきっと同じだ。内心の願望を行動に起こすにはいつだって理由が必要で、それは何だっていい。

 

夏でも七分袖を流行らせる運動

 アトピー持ちの彼女は夏でも長丈のシャツを着る。そのことを揶揄したセリフ。

自分のコンプレックスを認めた上でポジティブかつ素っ頓狂な返しができるのって素晴らしい。

 

ナポリタンは作れるか?

 ある女性から「努力すれば夢は叶うか」とLINEで聞かれる主人公。それに対し、「その質問は、ナポリタンは作れるか?と一緒だと思う」と返す。

 これ系の捻った答えって、テキストメッセージにした瞬間一気にダサくなる。考えて打った雰囲気とか、気取りすぎな感じとか、後に残るところとか、とにかくダサい。でもサブカルに陥ってるときはやりがち。

 対面で即興的にこの答えが出たらカッコよくなる余地、面白くなる余地はあるけれど、文字だとどうしても。

 

笑いながら話しかけてくる人間に善人はいない

 主人公の座右の銘のひとつ。何かしらの社長と会ったときの描写。そんなこともないけれど、座右の銘は信仰の一種だから否定もできない。でもこの反対、「むすっとした顔で話しかけてくる人」に悪い人はいなさそう。

 

あなた

 本書もっとも効いている場面のひとつ。ここは歳をとってから読んでも変わらず素敵だった。というかこんな場面当時あったっけ、というくらい素敵。主人公が出会った女性「スー」の性格がとてもまっすぐかつ不器用なところがいい。

 

静岡駅北口

 主人公の実家があるところ。今になっては全く面影もないストリップ劇場や立ち飲み屋の描写がリアル。破れた教科書にまつわるエピソードは涙なしに読めない。

 今の北口はとてもきれい。

 

おわりに

 著者と大槻ケンヂの対談で、大槻は「サブカル恋愛」は「アイタタタ」であるという。確かに本書は痛々しくて見てられないほどの描写も多い。変に気取ったり、メインストリームから外れたところに美徳を見出したり、そんな場面はあげればキリがない。

 けれど、本書はそこがいい。痛さも、気持ち悪さも、全部等身大で書かれているのが本書を愛せる由縁である。きれいなエモさだけを取り出し抽出したものとは違う。実際の人生って結構痛い場面も多いので。