森の雑記

本・映画・音楽の感想

多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ

多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ

 

はじめに

 しばらく前にSNSで話題になったJamさんの本「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」(サンクチュアリ出版)を、1度読んでみたかった。2年ほど前に出版された本だが、タイトルが特徴的なのでずっと頭に残っていた。ようやく読めました。

 

全体をみて

 Twitterで「パフェねこ」シリーズの漫画を投稿し続ける著者。日常生活で感じるもやっとすることをうまくディフォルメする腕はさすが。

 この手の考え方本というか、人生指南本はしばしば個人の経験ベースで書かれることが多い。だから、そのアイディアがそのまま自分に当てはまることは多くないし、違和感を覚える記述もある。だが、その中に1つでも「いいな」と思えるハックがあれば、自分の生活はほんの少し良くなる。真正面から全部吸収しようと読むよりは、気軽に「掘り出し物」を探すような気持ちで読むといいかもしれない。

 以下、掘り出し物だと思った部分について。

 

SNSはハイライト

 「SNSで目に見える幸せは、映画のハイライトだけ見ているようなもの」

この日本語がそもそも気持ち悪いのだが(ハイライトのようなもの、でいいじゃないか)、言わんとしていることには納得。

 写真や動画を簡単に投稿できるようになったSNSは、基本的に充実や満足を表す場所であり、好き好んで醜態を晒す人はそういない。でもそれが当たり前だからこそ、SNSに出ない「陰」を想像してしまう。見せる部分があるということは、見せない部分もあるということだ。SNSで光を発信し続けるのは、見せたくないところの存在をほのめかす。美しい場所の写真を何時間も並んで撮ったり、加工を施したり、それって幸せか?と思っていたが、これは「ハイライト」なのだ。

 サッカーの試合を後日放送するときに使われる「ハイライト」は、見栄えする部分だけに編集されているものだ。そしてこれ自体が、90分の試合そのものよりおもしろいこともある。インスタにそのまま「ハイライト」機能がある時代、わざわざ他人のSNSにとやかく言わず、その人のダイジェスト版を楽しむような気持ちを持つといいのかも。

 

宛名のないものは、自分宛にしなくていい

 この言葉は中学生の頃の自分にそのままあげたい。Twitterに書かれる後ろ向きな言葉にいちいち心配をしていたあの頃。今思えば、もしその投稿が自分宛だとしても、それが明示されていなければ無視すればよかったなあ、と。

 

(今の自分にとって)(都合の)いい人

 他人を「いい人」「わるい人」とジャッジすることがある。でもこの2つの言葉の前には(今の自分にとって)と(都合の)が隠れている。他者の良し悪しの判断は、結局のところ自分本位にしかできない。

 

全く知らない人だったら

 前述の判断には往々にして主観が色濃く出るものだが、それを解消する1つの方法として「顔も名前もわからぬ全く知らない人だったら」という考え方ができる。他者の言動と自分の繋がりを排して、誰ともわからぬ「Aさん」のものとして考えれば、自分本位なジャッジから抜け出せるかもしれない。

 

孤独の大切さ

 ここ数年でようやくわかってきたけれど、1人の時間ってとっても大事。

 

会社を出ればただの人

 同僚も上司も後輩も、会社を出れば家族がいて、誰かに愛される「ただの人」である。社内での関係性はあくまで特定の環境下で発揮されるものであり、だからこそ、重く捉えすぎなくてもいいのだと思う。これは会社でも部活でもサークルでもなんでもそうで、ある環境下で「すごい人」だとしても、一歩外に出れば「そんなの関係ない」。

 ある環境にいることを選ぶ限りは内部のルールに与するべきかもしれない。大学の部活でかつてのキャプテンが言っていた、「サッカー選手なんだからサッカーで判断されるべき」という言葉を僕はいまだに覚えている。すごく真っ直ぐな言葉である。そんな組織に所属していたいと強く思ったものだ。

 でももしその関係性が嫌ならば、単純に環境を離れればいいだけだ。組織を出れば、どんなに偉い人でもただの人で、関係はフラットにできる。

 

おわりに

 ここに書かなかった部分では盛大なクエスチョンマークがつく記述もあったけれど、総じていい本だと思う。読み終わった後に気づいたがなんとこの本、精神科医名越康文先生の監修がついているらしい。「え、だったらもう一回読み直そうかな、」と思ったが、それこそ「全く知らない人だったら」。肩書きを知らずに読んだ上でクエスチョンマークがつくなら、そっちの方が自然な感情なのだろう。