森の雑記

本・映画・音楽の感想

夜しか開かない精神科診療所

夜しか開かない精神科診療所

 

はじめに

 大きなストレスを感じたことがない。どちらかと言えば気楽な性格だし、小中高大とことさらに負荷の高い環境にいたこともなかった。小学生の時に1度人間関係で悩んだような記憶があるけれど、それだって今思えば些細なものだ。自分と精神病は全く無縁だと今でも思っている。

 けれど社会人を目前に、ほんの少しだけ不安がある。これまで比較的穏やかに生きてきたから、「働いて生きていく」のは未知の領域だ。まあ大体の学生がそうであろう。

 それで少しでもストレスや精神病のことを知ってみたくて、片上徹也著「夜しか開かない精神科診療所」(河出書房新社)を読んだ。鬱やストレスのことを少し知りたいだけだったので、難しい学術書や新書などは避けようと思い、この本に行きついた。

 

全体をみて

 タイトル通り夜7時〜23時にだけ診療を行う「アウルクリニック」を開業した、片上徹也さん。彼が診療を通して感じたこと、患者、夜にだけ診療をする理由などが綴られた1冊。改行が多く話し言葉の文章なのであっさりと読めるし、著者がメディア露出に慣れている唐戸廊下、その語り口も柔らかである。

 以下、気になったところについて。

 

人は暇な時間が多すぎると心を病む

 社会生活を営む人間は「やること」があり、それを生きがいにしている生き物である。だから「やることがない」と生きがいが生まれにくく、病みやすい。著者が昼間に勤務する病院では、毎朝決まった時間に起きて運動をするのが決まりだそう。これもきちんと定期的に「やること」を作る工夫なんだとか。

 確かにある程度何かに追われている時は余計なことを考えることがない。考えすぎて気分が悪くなるのは大抵ベッドでひとり横になっている時だ。社会活動はストレスがかかるものでもあるが、それは人が生きる上で当たり前のことであり、適度なそれはむしろ必要なのかも。

 

くも膜下出血

 研修医期間を終えた直後、著者はくも膜下出血に倒れ、10時間もの大手術から生還。きついリハビリの後、左手が動かなくなるものの医師として復帰した。「そんな自分だからこそ、弱さを抱える患者に寄り添える」と思い、アウルクリニックを続けているそう。

 自分のきつい経験を人助けにモチベートできるとは、本当に素敵な方である。

 

8点

 片上先生の診療では患者に「今の自分は10点満点で何点ですか?」と尋ねることがあるそう。多くの患者はこれに1点とか2点とか答えるわけだが、これが8点までいくと「治療終了」のめやすになるようだ。 なぜ10点ではないか。

 精神状態の治療は7〜8割を良しとしなければ、治療にはキリがないためである。「あと少し」を気にして薬を増やそうものなら、症状が悪化することもある。多少の不足があるのも人生であり、患者さんが自ずから「8点」と言えれば、それで十分なのだ。

 常に完璧を期すのは大事だし、仕事などはミスが許されない部分があるのは当然だ。けれど「人生」という大きな尺度で見れば「8点」あれば上々なんじゃないかな。

 

ブリーフセラピー

 臨床心理士が使う治療法の中で、「問題の解決方法に焦点を当てる」やり方のこと。例えば「眠れない」という患者には「なぜ眠れないのか(原因追及)。」ではなく、「眠れた日はあるか(例外探し)」「どんな工夫をしてみたか(解決努力の確認)」等の質問を投げかけるそう。

 原因を究明するのは課題解決に重要だが、結局は解決方法がわからないと改善できない。むしろ精神疾患において「原因」は辛い出来事が伴っていることが多く、思い出したところで嫌な気分になるだけのことも。だからこそ「できること」を積極的に探すやり方があっている患者もいる。ブリーフセラピーはこんな時に使われる。

 ミスをした時原因ばかりを探し、当時の自分を反省したり後悔したりって、一見建設的に見えてそうでもない。過去には戻れないのだから、改善策を考えよう。

 

境界性人格障害

 精神疾患の1つとして名前はよく聞くが、実態を知らなかった病気。ざっくりいうとこの障害は「自分の不安定な精神状態に他者を巻き込むことでバランスを取ろうとする」ものだと言えそう。

 これ、けっこう多くの人が無意識にやってるような気もする。

 

おもしろいことはやってみよう

 部活のようなノリで運営されるアウルクリニック、これまでの常識に捉われない診療方法など、著者は「おもしろいこと」に積極的にチャレンジする。そんな彼は、教育現場にも薬の実験のような検証的試験を持ち込んでみては、と提案。

 今後教育分野にも携わりたいという野望?を持つ片上先生らしい提案である。ちなみにこのような実験は「学力の経済学」(中室牧子著)に詳しいので、著者には是非読んでほしい。やってるところありまっせ。 

 個人的な話をすると、この本には思い入れがある。高校2年の時、仲の良かった国語の先生が「君はこの本面白がると思うよ」と急に貸してくれたのだ。ご年配ながら溌剌とした女性の先生だったが、なぜ突然、しかも自分にだけ本を貸してくれたのかはよくわからない。思えばあれが学術系の本デビューだった気がする。その後先生には、高校3年の春、自由登校期にも大学入試用の小論文添削をしていただくなど、長いお付き合いとなった。お元気でしょうか。

 

おわりに

 ほんの少しだけ精神疾患への理解が深まったように思う。思いがけず高校時代を思い出すこともできて良かった。