森の雑記

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新聞の力 新聞で世界が見える

新聞の力

新聞で世界が見える

 

はじめに

 「新聞離れ」が言われ始めてから長い年月がたった。僕の同世代では日経電子版の無料コースに入っていれば、まだ「新聞に馴染みのある」方に分類されるくらいである。20代前半なんて就活時、社会情勢を眺めるために使う以外で新聞に触れることは稀だろう。もっともその社会情勢でさえ、今はスマホ1台あればTwitterで知ることができるのだけれど。

 時代が変わってかつて以上に情報は「無料」で手にするものに変わった。テレビを買う必要も新聞を取る必要もなく、SNSにさえアクセスできれば世界中のことを知れる。とても便利である。「新聞なんてもういらない」と思うのはごくごく普通だ。

 けれど大統領選を控えた今月、Twitter社はリツイート機能や過激で曖昧な情報に制限を加えた。Facebookも大統領選挙の1週間前に新しい政治広告の受け入れをしないことを決めた。SNS上の情報の不確実性を認めた格好と言えようか。誰でも全世界に発信ができるようになった今、玉石混合のSNSにおいて、正確な情報を自ら選び取ることは非常に難しくなってきた。 

 一方の新聞は情報の精査を企業側が行う。報道姿勢や政治的立ち位置に内容は若干左右されるものの、新聞上に誤報は極めて少ない。というか情報でご飯を食べるのだから、そこに虚偽があっては話にならない。マックのグランに鶏肉がこっそり入っていたら客は離れる。誤報をしたらメディアはこの上なく叩かれるが、言ってしまえば当然だ。

 新聞には基本的に「玉」の情報しか載らない。これは新聞の大きな価値であろう。これこそが新聞が持つ力と言えるかもしれない。橋本五郎著「新聞の力 新聞で世界が見える」(労働調査会)は、SNS時代の新聞の価値を再定義する一冊である。

 

全体をみて

 テレビでもしばしば目にする橋本五郎さんは、本当に新聞を「信じている」のだと思う。この時代における新聞の強みや弱みを精密に分析した上で、僕らの頭と心両方に新聞の良さを語りかける。記者生活が50年を迎えた彼の言葉にはとてつもない説得力があった。

 本書は文字がかなり大きいので、ページ数の割にはあっさりと読むことができた。ちょくちょく話題にされた新聞記事がそのまま掲載されているから、参照も簡単である。(こちらは文字が小さく少し読みにくい)。

 以下、各章について。

 

序章 世界を席巻する新型コロナウイルス

 感染症に際した新聞のあり方を見る章。各紙の編集員やエース記者が特別な論考を行う中、産経新聞の「正しい情報伝え続けます」という見出しが印象意的だった。

 また、海外の感染症事情を分析した記事も面白い。日経新聞が掲載したドイツの対応を取材した記事によれば、なんとこの国、7年前から世界規模の感染症へのシナリオ分析を行っていたそう。ドイツもすごいがこれを取材し記事にした方もすごい。

 

第1章 いざという時に役立つ新聞の力

 改元や震災など大きな出来事に際しては、新聞が大きな役割を果たす。こうしたタイミングではしばしば通常とは異なる大胆なレイアウトがなされることも。例えば読売新聞は元号「令和」がスタートした5月1日の紙面で、通常3面に掲載される社説を1面に掲載。名物コラム「編集手帳」を3面に配置した。また震災1年後、2012年3月11日の1面には「編集手帳」を最上段(いわゆる1面トップ)に掲載。このコラムはまさに息を呑むクオリティで、自分にはこんな文章が書けるだろうか、と感嘆。

 

第2章 新聞はどうやってできるの

 工場的な意味でなく、編集的な意味での「新聞の作り方」について。どのように掲載順を決めているかや見出しの付け方など、話は多岐にわたる。

 面白かったのはよく耳にする「編集委員」「論説委員」「解説委員」の違い。まず編集委員は、会社の意向はさておき、自分の名で個人的見識を示しながら記事を書く人のことを指すそう。次に論説委員。こちらは各分野のエキスパートが就任するもので、「論説委員会」で議論を重ね、合議の上で「社説」など社の意見を書く人のことを指すそう。最後に解説委員。これはテレビに特有の立ち位置で、放送法上「言論機関」たることが認められないテレビ局において、ニュースを分析する人がここに座るそう。この放送法の縛りを振り解こうとした事件として有名なのが「椿事件」。

 

第3章 新聞取材の裏側 

 取材ってどうやるの?という疑問に答える章。

 冒頭に書いた通り新聞に誤報は許されない。そのために綿密な裏どりを行うが、取材過程には「記者クラブ」や「オフレコ」など一般人からは完全にブラックボックスのような世界がある。橋本さんはこれらの意義やデメリットにも触れる。

 この章で衝撃的だったのが2012年、当時の鉢呂経済産業大臣がしたオフレコ前提の発言2つ。1つ目は福島第一原発周辺を視察した際の「死のまち」発言。2つ目は記者と懇談中、記者に防災服の袖を擦り付け、「ほら、放射能」と言ったこと。

 前者はまあ個人の感想としてギリギリ許容出来なくもない(もちろんこのような発言はオフレコだとしても断固として許してはなるまいが)。しかし後者に至っては「小学生か?」と思ってしまう。小さい頃に時々あった「〇〇菌」的な気分の悪さを覚える。というかむしろ呆れて笑ってしまう。

 オフレコは重要ポストの方々や渦中の人物から話を聞く上で必要なことだと思う。だがだからといって、なんでも発言して良いわけじゃない。オフレコでもオンレコでも人格を疑われるような発言はするべきじゃないなあ、と思う。

 

第4章 スクープはこうして生まれた

 報道機関の花形仕事、調査報道とスクープについて。

 もちろんこれには誤報の可能性が常に付き纏うので慎重に、というお話。

 

第5章 新聞から「世界」と「日本」が見える

 ものを見る視点として、ミクロで見る「鳥の目」とミクロで見る「虫の目」が大事、という言い回しが本書では繰り返し出てくる。これは小池百合子著「希望の政治」でも何度か出てくるある種の格言である。ここに「魚の目」を加えるところがなんとも彼女らしかった。

 

第6章 新聞の上手な使い方

 スクラップ、おすすめです。僕もやってます。

 

おわりに

 思ったより長々と感想を書いてしまったけれど、それだけ面白かった本だということで、ここはひとつ。大統領選も近い上、衆院の任期も近づくから、「報道」の価値はしばらく高まっていくことだろう。正しい情報を得て自分なりの選択をするために、新聞を選択肢に入れるのは悪くないかもしれない。