森の雑記

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記者は何を見たのか

記者は何を見たのか

3.11東日本大震災

 

 

 東日本大震災が起こったとき、僕は小学校6年生、卒業式練習の真っ最中だった。震源からはそれなりに離れた県に住んでいたので、揺れはそう大きくなかった。加えて僕が住んでいた場所は、そもそも自身が起こりやすい地域だったから、それほど危機感も持たなかった。

 練習を終えて家に帰る。大体夕方帯のアニメがやっている時間、いつものようにテレビをつけた。当然いつもの番組はやっておらず、真剣な表情をしたアナウンサーがやけに恐ろしかったのを覚えている。

 それでも子供は気楽なものである。アニメがやっていないことを残念に思いながら、冷蔵庫からアイスを出して食べ、数日後に迫る同級生とのお別れのことばかり考えた。

 ややあって家に帰ってきた両親が色々と捲し立てているのを聞き、ようやく「何かすごいことになっているな」と感じた。

 3.11の被災地に縁がない多くの子供の反応なんて、大抵がこんなものだろう。福島第一原発の爆破だって、9.11のWTC飛行機テロだって、全く現実味がない。それはあくまでテレビの中の出来事であって、自分には全く関係がない。

 そう思っていたけれど、地震が落ち着き、自然災害のニュースから被災地の様子に焦点が移り始めると、いやが応にも厳しい現実を見ることになる。まさに「人」が苦しむ様子には、幼いながらに気分が悪くなった。

 中公文庫「記者は何を見たのか」(読売新聞社著)は、ニュースを伝える新聞記者たちが体験した3.11を、それぞれに綴った一冊である。

 

全体をみて

 「津波」「原発」「官邸・東電など」「東京、千葉そして各地で」4つの章に分けて記者の方々の思いが書かれている。70人以上がそれぞれに記した3.11はリアリティに満ちていて、どれも重苦しい。そもそも被災地に勤務する記者もいるので、「被災者」「記者」の境目は曖昧である。そんな中で取材をするもどかしさ、無力さに打ちひしがれながらも、震災を伝え続ける姿勢はプロフェッショナルそのものである。どれだけ困っている人がいても、知られなければ助けることすらできない。

 以下、各章について。

 

第1章 津波

 「多くの命を奪った」と言うにはあまりに多すぎる被害者を出した津波。記者が書く人々は誰しもが悲しそうで、気丈だった。そんな人々の現状を伝えようと、彼らは必死だ。自らの家族と連絡が取れないながら取材を続ける人、限りある紙面に自らの取材を載せられず悔しい思いをする人、誰もが懸命である。ありとあらゆるところに存在する遺族や被災者に、声を掛けるのは本当に心がすり減ったことだろう。

 自衛隊員に遺体のことを聞いた記者が「自分たちは生存者の救出をしているんです」と言われたエピソードを見たときは、自分の背筋も凍るような気がした。

 序盤はルポ一つ一つを読むたびに涙が滲んだけれど、中盤以降は感覚が麻痺してことさらに感情的にならなくなってくるなあ、と思っていても、p89「ままへ。いきてるといいね。」p179「おとうさんになってくれてありがとう」を読むとやっぱり悲しい気持ちになった。

 

原発

 原発事故によって居住拠点や経済拠点を失った人々を取材した章。酪農を営む方が、一度避難してから牛舎に戻ったところ、5頭の子牛が死んでいたエピソードには心が痛んだ。

 

官邸・東電など

 地震津波が避けようがない自然の思し召しだとするなら、原発事故やは天災と人災、どちらに分類すれば良いのだろう。菅直人首相を中心とした官邸の対応、東電の指揮系統など、今となっては多くの問題点が指摘されるが、当時の記者はどのような目で彼らを見ていたか。その眼差しが垣間見える章。

 多くの記者は怒りとともに文章を書いているように見えた。専門用語や錯綜する情報が飛び交う中、資料を片手に質問を繰り返しても要領をえない回答が繰り返されれば誰だって苛立つはずだ。

 現場にいけないことを悔やみながらも、会見で率先して手を上げ続ける記者、「3月11日以来、民主党自民党公明党もみんな嫌いです」といった松本龍防災相の番記者、多くの方々が東京でも戦っていた様子がわかる。

 どの記者の方だったか、全く突然始まった計画停電を「これでは無計画停電だ」と言っていたのには不覚かつ不謹慎にも笑ってしまった。

 

東京、千葉そして各地で

 被災地は何も東北だけに止まらない。だからこそ「東日本大震災」なのだ。伝わりにくい関東での被害を伝えようと奔走する記者の姿はやっぱりかっこいい。

 また、この章にあるベルリン支局で3.11を取材した記者の話も印象的だった。マスコミのレベルと言うか、倫理観って直接社会に影響を及ぼすのだな、と感じた。

 

おわりに

 天災はいつ起こるかわからない。使い古した言葉をもう一度頭に入れよう。被害を伝える彼らのような仕事は、必ずしも歓迎されないだろうけれど、それがほんの少しでも記憶にとどまれば、誰かを救えるかもしれない。