南方熊楠と説話学
南方熊楠と説話学
はじめに
文庫、新書、ハードカバー、雑誌…本には様々な種類がある。その中でお勧めしたいのが「ブックレット」だ。厳密に定義するのは難しいが、ここでは文庫本よりは大きく、100pくらいのサイズで事実を書いた本を指すことにする。
国内では岩波ブックレットが最も有名であるこの種の本は、実に使い勝手が良い。やや専門性の高い知見を平易な言葉で、短い時間で得ることができるためだ。僕はあることを「知りたい」と思ったら、まずそれを書いたブックレットを探す。新書や学術書はやっぱりハードルが高いし、実用書やビジネス書は信憑性に欠けることがある。両者の欠点を補ってあまりあるブックレットは、まさに痒いところに手が届く本なのである。
さて、ちょくちょくブログでは書いている通り、僕は南方熊楠が好きだ。この記事ではそんな彼について書かれたブックレット、平凡社「書物をひらく」シリーズのブックレット、杉山和也著の「南方熊楠と説話学」について。
全体をみて
平凡社のブックレットはものすごく気が利いている。というか丁寧すぎる。
まず、本書の頁上部30%は注釈用に使われている。専門的な言葉が出てくればすぐさまそのエリアに注釈が載るのだが、これが非常に助かる。いちいちスマホを起動する必要がない。
そして現代語訳。度々出てくる南方の書簡引用の際、元の文を読んでも意味は通るが、理解に少し時間がかかる。しかし直後の括弧書きで現代語訳がなされるので、立ち止まることなくスイスイ読める。
さらに、図や写真がとても多い。文字ばかりの構成でないから飽きがこない。
実に素敵です。平凡社ブックレット。
以下、各パートについて。
一 南方熊楠の生涯
このパートでは彼の生き様が書かれる。様々な逸話が残る彼だけれど、虚実を織り交ぜて吹聴することもあったそうで、真偽が確かでない物もあるようだ。
いくつか挙げると
・キューバでサーカス団に入っていた
・年中裸で過ごした
・22の言語を理解した
・大学講演会で酔ったまま壇上に上がり、百面相をした
とんでもない話ばかりだ。ただ、「人魚の話」にあった「陰部をアリに噛ませようとする」エピソードを知っていると、あながち嘘でもないかと感じる。
余談だけれど、有名なキャラメル箱の話の箱が結構大きくてビックリした。
二 南方熊楠の学問
「ネイチャー」誌「ノーツ・アンド・クエリーズ」誌などに論考を寄稿しながら、論文を書かなかったり学会に所属することを嫌ったりした「在野」研究者の熊楠。彼に対する後世の評価はそれほど芳しくないそう。確かに論考では話が脱線しがちだ。そこが面白いのだけれど。
著者はそんな熊楠を「説話学」の研究者として再評価する。
三 日本における説話学の勃興と南方熊楠
「舌切り雀」「コブ取り爺さん」などに代表されるのが「説話」。そのキャッチーさゆえに覚えている人も多いだろう。
このような説話は世界中で似たものが見られ、アイルランドの民謡にはコブが背中にあるおじいさんと妖精の話が残っているそう。
伝播したのかはたまた偶然か、こうした説話を研究することに関して、筆者は熊楠に高い評価を与える。
四 南方熊楠の説話学と、その可能性
南方はこうした説話が独立に発生したモノであり、伝播したモノではないと考える。人間は誰しも同じような知覚機能、脳構造を持っているから、想像できる範囲も似通ったのだろう、と。
このことに関して、学者高木敏雄と熊楠が書面で論争をするところが面白い。「白色の生き物を尊ぶのは外来の習俗だ」と述べる高木。対し「白と黒が見分けられない者はほとんどいない。生き物に関し、白色が極端に少ない種がある。であれば、希少な白色動物を尊ぶ文化はどこにでも生まれうる」と反論する熊楠。
これは熊楠のカウンターが鋭いな、と思った。
五 南方熊楠旧蔵資料の価値ー説話研究の側から
自他ともに認める悪筆の熊楠だが、彼の死後その膨大な手記は多くの人に「狙われた」。だが数多の書い手に対し、資料を妻松枝が守り抜いた。「保存して置けば、いつか日の目を拝む事もあろう」という母の言葉を娘の文枝が書き残している。
夥しい数の資料が散逸せずにあるというのは大事な事だ。南方を研究する際に、ただでさえ多すぎる資料の持ち主がそこかしこにいたら、文献に当たるだけでも何年かかるかわからない。そういう意味で、間接的ではあるけれど松枝さんは説話学へ素晴らしい貢献をしたと言える。
おわりに
とんでも伝説に彩られた熊楠への愛がひしひしと伝わってくる本書を読んで、僕もよりいっそう熊楠が好きになった。愛ゆえにかける文章は確かにある。この文章もそうなっているといいのだけれど。