森の雑記

本・映画・音楽の感想

劇団四季 ライオンキング

劇団四季 ライオンキング

 

はじめに

 7月末の昼過ぎ、JR大井町駅から歩くこと数分、少しわかりにくい立地にある劇団四季「ライオンキング」専用劇場は、缶詰のような形をしていた。隣には「Cats」の専用劇場もある。1つの演目を開くためだけの劇場があるのは驚くべきことだ。これだけで両者の人気がどれほど高いかを知ることができる。

 人生で劇団四季の舞台を観るのは2度目で、前回は「アラジン」だった。僕はアラジンが大好きであるので相当に楽しめた。しかし、「ライオンキング」は内容こそ知っているものの、特に思い入れのないタイトルである。前回ほど感動できるだろうか、と期待半分、不安半分で劇場に入った。

 劇場内は感染症への警戒体制が敷かれており、スタッフの方々による検温、消毒、注意喚起がきちんとなされていた。それもほとんど無言で。注意は文字の書かれたボードを示すことで、検温はサーモグラフィーを用いて会話なく、システマチックでスマートな対策に感動した。コロナ禍の劇場は苦境に立たされているけれど、スタッフの方々の対応は実に理知的で、頭が下がる。なんとか応援したいものだ。

 

全体をみて

 当初の不安はなんのその、ライオンキングを大変に楽しむことができた。大満足である。動物が主役とあってどの場面も凄まじくパワフルで、躍動感たっぷりの舞台を観ると、僕らのエネルギーもチャージされるような感じがした。

 エネルギッシュな舞台の源は、動物たちのリアルな仕草だ。人が演じているとは思えないほど獣っぽくナチュラルな動きをするには、多大な努力が必要なのだろうと思う。

 以下、気になった3つのシーン。

 

冒頭 サークルオブライフ

 めちゃくちゃ有名な叫び声から始まる「ライオンキング」のオープニング。たった一曲の音楽でで自然の雄大さを感じることができる。四季のライオンキングでは部分的に生演奏が使われており、これが臨場感さらにを高める。このように、まずは壮大な音楽にて一気に「ライオンキング」の世界に没入するのだ。

 そんな音楽に浸りつつ舞台を見つめていると、何やら後方がざわざわしてくる。目をやると、巨大な象やサイ、鳥などたくさんの動物が通路を通って舞台に進んでいる。王ムファサの元へ行進する彼ら。この演出には本当に驚いた。鳥肌もの。象が本当に大きい。

 

スカーとハイエナ 

 スカーが嫌われ者のハイエナを統べるシーン。

 この場面こそ、ライオンキング随一の泣けるところだと個人的には思う。弟というだけで王の座につけず、シンバの誕生で王位継承の可能性さえもなくなったスカー。彼の苦しみや疎外感は計り知れない。ずっと孤独だったろうし、愛されないことは辛かっただろう。対してハイエナたち。知能も低く、獲物の横取りを狙う小賢しいイメージから差別をうける彼らだって、スカーと同じくずっと苦しかったはずだ。彼らは能天気に振る舞ってはいるけれど。

 そんな悪者として虐げられてきた両者が、ヒール同士手を組むシーン「覚悟しろ」。ここを涙なしでは語れない。スカーにとって、自分の手駒になってくれるハイエナは、ムファサをやっつけるための希望だ。ハイエナにとって自分たちの生活を保証してくれるスカーは、日陰から脱出するためのリーダーだ。ずっと暗い世界で生きてきた両者がお互いに光を見出す。こんな場面に泣かずにいられようか。それがたとえ打算的つながりであっても。

 ムファサやシンバはザズーを含め初めから異種属と仲良くやっているが、スカーとハイエナからすれば初めての多種とのつながりだ。「覚悟しろ」の歌を通して両者の熱狂、ボルテージの高まりが表現されると、こちらの感情も自然と昂る。

 こういうヒールが手を組んだり共鳴するシーン、子供の頃はなんとも思わなかったけれど、歳をとるとまた違った風に見える。過去みた作品でも再び観るのはここに意義があると思う。

 

ハクナ・マタタ

 こちらも名シーン。プライドロックを追われたシンバがティモンとプンバアに出会う。

 ストレートに泣ける。孤独なシンバが2人にあってどれほど救われたか。「覚悟しろ」でもそうだけれど、ライオンキングにおいてライオン達の孤独を救うのは基本異種属である。それも能天気な。百獣の王である彼らは、自分より遥かに弱いはずのイノシシやハイエナに救われる。なんとも素敵な作りである。

 その繋がりが打算か絆かによって、運命は大きく分かれるのだけれど。

 

おわりに

 最近映画や舞台を観ると想像もしなかった場面で涙が出ることが多々ある。歳をとるとこれまでなかった感受器官ができるのだろうか。先日ついに22歳になった。