森の雑記

本・映画・音楽の感想

おたのしみ弁当

おたのしみ弁当

 

はじめに

 エッセイを読むのが好きだ。何気ない日常を素朴な言葉に落とし込んだ文章が好きだ。いつからか頻繁にそんなエッセイを読むようになっていた。自分のことを書くというのは、とても簡単なようでいてやってみると意外に難しい。当然のことながら他人は自分と同じ体験をしていない。そんな読者に映像でなく「文章」をもって自らのことを伝えるのだから、それは難しいに決まっている。ところが、作家やエッセイストはサラサラと、いとも簡単にエッセイを書く。とても不思議だ。

 そんなエッセイを図書館のオンライン検索で探していると、講談社文芸文庫吉田健一著「おたのしみ弁当」に出会った。楽しげなタイトルに惹かれて郵送を頼んだ。

 

全体をみて

 タイトルとは裏腹に、届いたのは何やら立派な文庫本だった。白と橙色の表紙に金色でタイトルが書かれている。そして、これは僕が無知なのが悪いのだけれど、吉田健一はかの元首相、吉田茂の息子であるということだ。とんでもない本を選んでしまった。

 しかし、読んでみると実に読みやすい。Ⅰ部は彼の実体験をもとにしたエッセイ、Ⅱ部は書評を中心に彼が読んだものについての文章が収録されている。どの文章も茶目っ気たっぷり、それでいてよく練られている。加えて言えば、時代柄だろうか、書評の最後には本の価格が書かれているのだが、それがべらぼうに安い。あの名作をたった300円で買えるなんて。レートや物価の違いはもちろんあるのだろうが。

 以下、好きなエッセイと書評について。

 

おたのしみ弁当

 タイトルにもなっている駅弁についてのエッセイ。

 このエッセイは横川駅で購入できる駅弁たちへの愛情にあふれている。「こけおどしのものが一つも」なく「見渡す限り食べられる」と言われれば、お弁当諸君はさぞかし感動するだろう。加えて「トンカツは間違いなくトンカツ」もはや感涙である。①愛情を持って②意外性のある言葉で これは食べ物相手に限らずどんな場面でも使えるお手本のようなほめ方だと思う。

 

金銭について

 お金についてのエッセイ。4つのパートに分かれる。

 ここでは著者の金に対する様々な思索が繰り広げられるが、中でも「貯金=借金」論が面白かった。貯金とは何かを買うために計画的な蓄積をすることである。借金とは何かを買った後、計画的に支払いをすることである。であれば貯金と借金の間には「いつ払うか」の違いしかない。全く正反対に思える二つは実は瓜二つである。

 当時のお金への捉え方を考えれば、今とは若干ずれている部分があって致し方ないが、それでもこの考え方は本質的だと感じる。結局お金はお金でしかなく、その「お金」でさえ人間が作ったファンタジーなのに、人はお金のあり方に細かく名前をつける。ファンタジーでありフィクションだからこそ、とも言えるが。

 

イギリス女王物語

 英国女王についてのエッセイ。彼女らの話が単純に読み物として面白かった。

 恋愛のこと、ポーランド大使をやり込めたこと、演説のこと…どれを読んでもやっぱり女王はすごいな、と思わされる。著者の書き口が巧妙。

 

ローレンス

 Ⅱ部ではしばしばこのローレンス著作への書評が登場する。著者がローレンスを非常に高く評価している様子を読み取れる。

 さて、ローレンスと言えば、かの「チャタレー夫人の恋人」が有名だ。僕は大学で憲法を勉強しているので、このチャタレー夫人には深い?思入れがある。「チャタレー事件」は日本全国の法学部生が学ぶ事件で、判決の過激さと現代視点での信じられなさが面白い。知人に法学部生がいる方は是非事件について聞いてみるといい。自己責任で。

 

福原麟太郎「文学と文明」

 これも書評。

 冒頭、「自分が何かものを考えながら、その状態も合わせて自分が考えた結果を文章に表すというのはむずかしいことである。」から始まるこの書評。出だしからすでに名文である。たしかに、考えた「結果」を文章にすることに比べ、考えた「状態」を文章にするのはとても難しい。前者は「焼肉が食べたい」と書けばそれでおわりだが、後者を表現するためは「なぜ焼肉か」「どんな思考で焼肉にたどり着いたか」をきちんと書く必要がある。思考を文章にする場合、たいてい長々と訳のわからないことになる。それを簡潔かつ読みたくなるものに仕上げるためにはかなりの訓練を要することだろう。

 

おわりに

 本書を通して、僕は「考えて書く」ことの奥深さを学んだ。やみくもに書けばいいというものでなく、文章は思考過程と結果の結晶でなければならない。その結晶は磨かれれば磨かれるほどキラキラと輝く宝石である。であれば、本書はお弁当箱というより宝石箱と言えるかもしれない。

 ジャケ買いならぬタイトル借りをした「おたのしみ弁当」ではあるが、とても良い出会いでした。