森の雑記

本・映画・音楽の感想

医者とはどういう職業か

医者とはどういう職業か

 

はじめに

 先日読んだ「医者と患者のコミュニケーション論」の著者、里見清一先生が幻冬舎から出版された、「医者とはどういう職業か」。前者に勝るとも劣らぬ良書であった。

 どんな本にも言えることだが、やっぱり同じひとが書いた別の書を読むのはとても面白い。その面白さの正体は「既視感」ではないかと僕は睨んでいる。

 「知っている」ものが不意に現れた時、どことなく緊張が緩むことはよくある。例えば海外旅行先で日本語を見たときに、僕たちはなんとなく安堵する。これは読書でも同じだ。僕たちが新しく一冊読む時、もちろんその本に関して未知の状態である。しかし、その著者が知っている人、もしくは以前別の著書を読んだことがある人ならば、安心してその本を読むことができる。その人の雰囲気がなんとなく理解できているため、必要以上に身構えて読む必要がないからだ。

 また、新たに同じ著者の本を読む時、以前読んだ本とほとんど同じ意見が書いてある時、どこか気分が高揚することがある。本以外の例でいうとオリラジの「Perfect Human」がこれにあたる。初見でなければ、あの曲で中田敦彦の登場シーンに不意を疲れる人はいない。「I'm perfect human」のセリフも浸透しきっている。が、あのシーンで人々は盛り上がる。自分が「知っている」ものが目の前に提示された時、人はなんとなく気分が高揚することがあるのだ。

 既視感による安堵と高揚、これを味わうことが同じ著者の本を読む醍醐味である。だから是非とも、良いと思った本に出会えば、積極的に同著者の別冊を手にしたいと僕は思う次第である。

 前置きが長くなったが以下、本について。

 

全体をみて

 相変わらず尊大で茶目っけたっぷりな里見節が炸裂している。本様々な角度から現代の「医師」がどのような立場に置かれているかを考える、という堅苦しいテーマながら、彼の語り口のおかげでスイスイと頁をめくることができる。

 余計なことを付け足すと、本書の中には里見先生の別著が数多く登場する。「〜については『〇〇』に譲る」みたいな文章が頻繁に出てくるのだ。これを宣伝と取るか、同じことを繰り返さない配慮と取るかはそれぞれだが、僕に取ってはとてもありがたい。この一冊が「里見著作リスト兼あらすじ紹介」の役割を果たしてくれるので、これ一冊を読めば、次に何を読むかの検討がとても簡易になるためである。

 以下、面白かったところ。

 

解剖と胃癌 p49〜

 里見先生の研修医時代の話。「胃癌」と診断されて亡くなった高齢女性を解剖した際、身体に胃癌の形跡が全くなかった。これには当然先生も驚く。ところが病理の先生は「よくあることだ。こういう年寄りには年寄りの医者がつくから両方ボケかけていることもあるさ。」と言ったそう。これに対して先生は「良いとか悪いとかではなく、最期まで自分と同じような年の医師に診てもらい、適当な病名で見送ってもらえたこの女性はそれなりに幸せだったろう」と推察する。(僕の要約)

 正しい病名を知らされたところで、人はいずれ死ぬものである。であれば、どんな病名をつけられようと、それなりに生きた末、馴染みの先生に看取ってもらえるのならそれは幸せと呼んでも良いのかもしれない。医師の役割を「病を治す」ことだと考えるのであれば件の老医師は失格の印を押されるだろう。しかし、患者と向き合うことが仕事だと考えれば、彼の行為はあながち失敗とも言えない気がする。

 

しどろもどろ p94

 医局での振る舞いに関しての文章

「比較的ヒマな時は、ネットでニュースを見たり、ボーッとしていたり、というようなことが、ないこともないわけではないように思われないことを否定する材料も乏しいと指摘されても仕方がない感じを受けても的外れでないかも知れない、と言えなくもない

 固い文章の中に突然これがぶちこまれると、一瞬ちゃんとした文なのか?と思ってまともに呼んでしまうのでおやめください。もっとやってください。

 

救命センターでの研修医時代 p180〜

 これまた先生研修医時代のお話。

 救命での研修は想像を絶するきつさだそうで、当直室の枕を濡らすこともあったそう。配属当初の「足手纏いになりますがよろしくお願いします」的な挨拶に対しては、「そりゃあ足手纏いだよ」と返されたというからすごい。睡眠もまともに取れないほど忙しく、少しでもまごつくと罵声を浴びせられ、医師とは思えない単純な仕事しか与えられない、こんな生活をしたら誰だって泣く。そんな半年のおわりに「ありがとうございました」と指導医さん達に挨拶に行くと、「お前ら終わりか、来週から困ったな」と言われても誰だって泣く。

 

敗戦処理はエースの仕事 p314

 人間はどのみち死ぬので、特に終末期医療は医師にとっては初めから負け戦である。この際の「負け方」が重要であり、だから里見先生は「敗戦処理はエースの仕事」だと言う。これは別著「衆愚の病理」に詳しく書いてあるらしい。

 こんなに悲哀と勇敢さに満ちたフレーズとともに別著を紹介されたら、誰だって読みたくなってしまう。負ける時にこそ真価が問われる、というのはどんな場所でも共通している。

 

おわりに

 命を相手にする仕事においては、通常の職業とは全く異なる倫理観が要求されることだろう。僕たちのような一般人にはそれがないので気楽なものだ。本書を読むまでは本気でこう思っていた。けれど、僕たちは誰だっていつか死ぬし、医師の世話になる。当然、その時命と向き合うのは医師だけではない。その時全ての責任を医師に押し付けるような人間になりたくはない。本書を呼んでから強くそう感じた。医師を自分の命を写す鏡のようにして、きちんと倫理的な部分に考えを巡らせたいものだ。