森の雑記

本・映画・音楽の感想

『広辞苑』をよむ

広辞苑』をよむ

 

はじめに

 中学校3年生のときに電子辞書を買ってもらった。この小さな機械はなかなかの優れものである。英和辞典はもちろん、世界史の一問一答、TOEIC模擬テストなど、実に多くのテキストが内蔵されており、一台持っていれば大抵の学習はできてしまう。中でも僕がお気に入りだったのは、「日本・世界の名作」と「新明解国語辞典」だった。前者は著作権の切れた世界中の文学作品が読める機能で、電子辞書なら先生に咎められないのを良いことに、授業中暇さえあれば文豪たちの作品を読んでいた。後者に関しては、当時何を思ったのか、国語辞典を「あ」から「ん」までまるまる読んでみる事を決め、隙間時間にちょくちょく読み進めた。

 このように、退屈な授業の暇つぶしとして、僕は電子辞書を大いに活用した。やっぱり辞書は引くよりも読む方が楽しい。とはいえ、「辞書を読む」みたいなことはやっぱり相当暇でないとできない。広辞苑などのサイズがひとまわり大きなものであれば尚更だ。高校生になって受験に追われてからというもの、なかなかあの時のような遊び方はできなくなる。そこで自分が読めなくとも、それをやった人の著作を読んでみようじゃないか、ということで岩波新書今野真二さんの「『広辞苑』をよむ」を読んだ。

 

全体をみて

 章ごとに様々な辞書の楽しみ方が書かれる。この著者さんの文体にちょっとクセがあるというか、軽快な文章にしようとして上滑りしてる感じが合わない人もいるかもしれない。文に主語が無いこともあり、全体としては少し読みにくい印象を受けた。

 ただ、各辞書がどのような編集方針を持っているかや辞書の役割など、「辞書」への思いがより強くなる一冊であることは間違いない。

 以下、各章について。

 

1章「凡例」をじっくりよむ

 辞書の冒頭には「凡例」がつきものである。普通これを読む人はいない。読まずとも辞書はある程度使えるためだ。しかし、この凡例にこそ辞書の特色や面白さが詰まっている、と著者は言う。

 本書も冒頭に「凡例」があるのは著者の遊び心でもあるのだろうか。

 

2章『広辞苑』の歴史と日本語の歴史

 広辞苑初版から最新第7版までの収録語の変化を見ながら、日本語の変遷をたどる。

 例えば「熱闘」。これは第5版から見出しになった言葉である。朝日新聞社が提供する記事検索サービス「聞蔵」では昭和59年ごろからこの言葉が記事上に見られるから、第5版以前にも言葉としては存在していたが、定着したのは第5版のころである、と言う推測が立つ。ちなみにこの熱闘の文字、聞蔵で検索された2760件のヒットのうち、なんと2352件で高校野球に関連して使われているそう。熱盛。

 

3章『広辞苑』と『大辞泉』『大辞林

 各中型辞書を比べる。各凡例によると、多義語の解説順について

広辞苑 語義が複数あるものは、語源に近いものから

大辞泉 現在通用しているものが先、古語があと

大辞林 現代語、一般的用法が先、そのあと古語、特殊な用法

こんなルールがあることがわかる。

では、実際各辞典が同じ語をどのように収録しているかをみる。筆者は「返り咲く」という語に注目した。

広辞苑 ①花の咲く季節を過ぎて、再び咲く。②いったん衰えたものが再び栄える。

大辞泉 ①春の花が小春日和の暖かさに、時節でないのに再び咲く。②一度引退した者や、勢力・地位などの衰えたものが再び以前の状態に戻る。

大辞林 ①ある地位を失ったものが再び元の地位に戻る。②その年のうちに咲いた花が再び咲く。(一部僕による省略があります)

 似た編集方針であるはずの大辞林大辞泉で順番が違うのが不思議である。

 

4章『広辞苑』と『日本国語大辞典

より大型、複数巻の辞典と広辞苑を比べる。

比較に関してはさておき、筆者の「辞書はバランスの取れた小宇宙」という解説が分かりやすい。日本に渦巻く夥しい数の言葉のうち、誰しもが共通で使う部分を偏りなく抽出する辞書を、大宇宙の中の小宇宙と言われると、なんとなく腑に落ちるものがある

 

5章 『広辞苑』の使い方

 情報を引き出すだけでなく、各情報をリンクさせるためにも辞書が使えるよ、というお話。

 章の内容とは関係ないけれど、この著者はちょくちょく自分の私的意見を挟む。個人的に言いたいことはあるけれど、それは押しつけません。でも書きます。みたいな。この著者、そんなところがある。なんともチャーミング。

 

6章 さまざまな『広辞苑

 ネット版など、検索機能を持つ新型の辞書の利点を考える。

例えば、「アルク」と検索すると「限りある位」という言葉がヒットする。普通に生きてると「限りある位」に「アルク」が含まれていることに意識が向くことはないが、検索によってこういうことにも気づくよね。と筆者は言う。「だからどうした」という不躾な声には「だからどうした?」と鸚鵡返しせよ。とも言う。

 

7章 『広辞苑』で遊ぶ

 広辞苑ゲーム「たほいや」が紹介される。平仮名で見ると語の区切りや意味が推測できない言葉を推測するゲームである。けっこう面白い。

 

おわりに

 そういえば、高校生の時に「舟を編む」の映画を見たことがある。友人に勧められて見た作品は、とても静かで、なのに熱っぽくて、とても素敵な作品だった。辞書を作る人の熱意や遊び心は、無機質な紙に冷凍保存されている。それを解凍せずに味わうのはいささかもったいない。時間があればじっくり常温解凍をするつもりで辞書を読むのも悪くないだろう。