森の雑記

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四畳半王国見聞録

四畳半王国見聞録

 

はじめに

 大学2年生の12月に引越しをした。当時の部屋は大学まで自転車で15分ほどのところにあって、4階建ての4階、広さは6畳ほど。脱衣所がなかったり何をするにも手狭だったりと、少々不便な物件だった。そんな部屋に見切りをつけ、今の僕は広さ8畳半、コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた部屋に住んでいる。大学までふた駅とやや遠くなったが、無機質なコンクリート内装が気に入っているし、何より広い。

 けれど、時々無性に以前の部屋が恋しくなる。上京後、初の一人暮らしをともにしたあの狭い部屋が。人生で初めて独りで生きた2年を支えてくれた部屋への思いは強いのだ。

 今日はそんな6畳よりももっと狭い、4畳半の正方形に生きる大学生の小説、森見登美彦著、新潮文庫「四畳半王国見聞録」について。

 

全体をみて

 全部で7つの短編からなる本作。各短編ごとに繋がりがあり、それぞれを読んでも面白いが、通しで読むとより味わい深い。終わりの2編は必ず同時に読む事をお勧めする。また、他の森見作品に登場するキャラたちも度々登場するので、他作を読んでおくとより一層楽しむことができる。

 短編と短編が掛け合わさる事で一冊の本が何倍にも魅力的になり、一冊と一冊がこれまた掛け合わされる事で「モリミ・ワールド」に奥行きが出てくる。一頁でも森見先生の本を読めば、どんどん次の頁が、そして他の作品が読みたくなるのはこうした理由からだろう。

 以下、各短編について。

 

四畳半王国建国史

 「法然院学生ハイツ」に住む男が、4畳半の部屋を(精神的に)開拓していく孤独の物語。もちろん部屋は物理的には拡張できない。しかし、内面的に拡張していくことは可能なのである。

 彼はその部屋を「四畳半王国」と名付け自らをその国王にするのだが、この王国内の憲法が面白い。その内容は、

偉大なる王の繊細なハートを傷つけない限りにおいて言論の自由が保障」され、

神聖で不可侵な王のハートを傷つけんとする反逆者たちには、灼熱の鉄槌が振り下ろされる」というもの。

 大日本帝国憲法もびっくりの独裁条項である。しかしこの王国は原理的に国民が国王ひとりしかいないから、これでも良いのだ。もっと言えば僕たちだって「表現の自由が大事」と言いながら、心の中では自分を傷つける言論を否定するだろう。「自分の内面」という住民がひとりで、完全に統治のできる場においては言論がコントロールできる。まあ、実際の憲法はこれを「思想良心の自由」として保護しているので、四畳半王国の憲法は、日本国憲法に対し合憲と言えるかもしれない。

 

蝸牛の角

 様々な物語が入れ子構造になって生じる短編。各登場人物のミクロな部分(親知らずの山々を登る男とか)で起こる別の物語が、連鎖的に作用していくクライマックスは読んでいて楽しい。「四畳半神話体系」「夜は短し歩けよ乙女」でお馴染みの樋口さんたちも登場。

 内容はさておき、この章で樋口さんがお饅頭を食べるときの「つるつる」という表現がとても心地よい。麺類以外をいただく時の擬音に「つるつる」を使ったのは森見先生が初めてではなかろうか。悠々と、それでいて軽やかにお饅頭を平らげる彼の姿がありありと浮かんでくる。

 

真夏のブリーフ

 とんでもないタイトルの短編。女子大生三浦さんがベランダに出ると、外に水玉ブリーフに日傘という出で立ちの男を発見するところから物語が始まる。

 森見先生は多くの作品で「夏」を描写する。僕は先生の夏の描写が大好きである。どの作品でも鬱屈とした暑さや汗の匂いが本から湧き出てくるようだ。この短編も例に漏れず非常に暑苦しい。冷房をキンキンに効かせて読む事をお勧めする。

 「無益」「文明」様々なことに対するキャラたちの哲学的コメントも面白い。

 

大日本凡人會 

 特殊ながら使い所に困る異能を持つ男たちの物語。

 森見先生が異能モノを書いたらこんな感じになります。途中で出てくる「善行に手を染める」という表現が個人的ツボ。

 

四畳半統括委員会

 本作で度々名前のあがる「四畳半統括委員会」に関する様々な情報が並べ立てられる短編。その形式は手紙、パンフレットの文章、独白、「四畳半神話体系」からの引用…と多岐にわたる。

 

グッド・バイ

 京都を旅立とうとするある男が友人たちに別れを告げに歩き回る話。

頁をめくるごとに男の境遇への共感が高まり、切なくなっていく。次のお話に続く重要な短編。

 

四畳半王国開国史

 グッド・バイの男がその後どうなったかわかる短編。また、建国史の王がこの男と同一人物であることもわかる。時系列で言うと(おそらく)グッド・バイ→建国史→開国史の順。

 孤独と向き合うとはいかなることか、人と繋がるとはどういうことかを自分でも考えてみたくなる。

 

おわりに

 森見先生の作品は大どんでん返しや目の覚めるようなトリックなどが出てこない。ストーリー展開で見せる作家ではないのだろう。(もちろんこれはストーリーがつまらない事を意味しない)それよりは作品の構造やキャラの会話、細やかで賑やかな描写など、紹介しにくいところに魅力が詰まっている。ページをめくるごとにだんだんとボルテージが高まっていく先生の小説をこれからも楽しみにしています。