森の雑記

本・映画・音楽の感想

新 移民時代

新 移民時代

 

はじめに

 北朝鮮が2018年に設置された南北共同事務所を爆破し、カシミール地方では中印両軍の武力衝突により、少なくとも3人が命を落とした。新型コロナウイルスの流行も手伝ったのだろうか、国際的な秩序には、各地で明確な歪みが生じている。情勢が安定しなければ、住処を追われる人もかなりの数にのぼる可能性がある。難民・移民問題は加速度的に悪化するかもしれない。

 日本だって、こうした国際的な緊張と当然無関係ではない。労働人口が減りゆく中、特定技能実習制度がスタートしたことは記憶に新しいが、この制度は結局日本の移民政策として機能しているようだ。こんな実情をルポしたのが今回紹介する、西日本新聞社編集の「新 移民時代」である。移民鎖国、難民鎖国とも揶揄される日本が、国外から移り住む人々にどのような態度を示しているかを、実態を持って明らかにする本書について書こうと思う。

 

全体をみて

 西日本新聞で行われたキャンペーン報道「新 移民時代」を編集、増補して一冊の本にまとめた本書では、当然新聞記事を前提にしているため、基本的には取材によって得られた事実が淡々とまとめられていく。したがって主観や主張はほとんどみられないので、解釈は読み手に委ねられているように見える。しかし、文章の節々に現状への違和感、「変えたい」という熱意が迸っており、実に情熱的な一冊であると感じた。あくまで冷静に事実を積み重ねることで何かを訴える、記者として尊敬できる姿勢を自分も見習う必要がある、そう心から感じた一冊だった。

 以下、各章印象的だった部分について。

 

第1章 出稼ぎ留学生

 語学等の目的で留学をしているはずの外国籍学生が、「出稼ぎ」の様相を呈すことを書いた章。

 僕が住む街の駅ロータリーでは、しばしばマイクロバスに乗り込む東南アジア系の若者たちが見られる。当時大学3年生、自動車教習所に通うための送迎バスを待っているとき、彼らが別のバスを待って集団をなしているのには異国情緒を感じた。おそらく彼らは車で数十分の食品工場に向かうところだったのだと思う。はっきり言って異様な光景だった。それは彼らが外国人だからではない。小さなバスに人が詰め込まれ、まるで「出荷」されるように見えたためだ。彼らは笑顔で友人と話していたから、もちろんそう見えたのは僕の主観にすぎない。ただ、自分とそう変わらない年齢の人が、国を離れ仕事に向かう姿を日常として捉えることができなかった。

 過疎が進む町や村に移民を誘致したり、日本人が進んで就業しないような仕事を肩代わりしてもらったりと、「移民政策的」な実習制度や留学制度には一定のメリットがある。しかし、本書によると、彼らの中には留学生の就労時間の上限、週28時間を超えて働く人もいるようだ。制度の実態と乖離している部分については、見直す余地がある。

 

第2章・3章 留学ビジネス

 第2章では現地ネパールから、第3章では国内の日本語学校から、ビジネス化する「留学」を取材する章。

 ネパールの語学学校の中には、日本語がほとんどわからない人が日本語を教えているところがあることや、日本の留学生向け日本語学校では学級崩壊が起きており、授業が賭けトランプ会場になっている様子が書かれる。

 僕が二つの事例に共通すると思うのは、「教える側の辛さ」である。学校経営者と留学希望者・留学生、両者には経営利益や出稼ぎなど、明確なメリットが存在する。しかし、学校で雇われる教師に関しては、ネパールの学校では「理解していないものを教える」立場への苦悩、日本の学校では「壁に話しかける」感覚の苦悩、それぞれの辛さが存在するはずだ。

 

第4章 働けど実習生

 留学生から話は移り、今度は「実習生」のリアルを書く章。

 この章ではポジティブな要素も散見される。実習生としてベトナム人の若者を雇い入れる際、わざわざ現地まで足を運ぶ日本人社長の姿や、懸命に働き評価される実習生の姿など、制度運用のソフト面に関して学ぶべき事例を見ると、まだまだやれることはあるな、と感じる。

 一方でこの実習制度には基本的には3年の期限があるため、その限界も感じる。

 

第5章 変わる仕事場

 単純労働ではなく、ハイレベルに活躍する外国人材について書く章。

 外国人が日本で起業するのには高いハードルがある。その手続き等に関して福岡市が迅速な支援をする様子をルポした部分には感動した。言論も同じだけれど、やっぱり多様性は競争と発展の土壌になると思う。

 

第6章 交差する人々

 日本を離れ、アジアの移民事情について書いた章。

 アフリカから中国に留学する人や、中国マーケットで商談をするする人が、「中国人は俺たちを見下している」「ほんとは好きじゃない」と語る部分が印象的だった。

 章の内容とは全く関係ないけれど、こうした海外取材を地方しながら許容する西日本新聞は懐が深いなあ、と思った。

 

第7章 ともに生きる

 労働問題ではなく、外国人の日本における「暮らし」を考える章。

 在日コリアンの方が、老人ホームに入ったのち認知症が進行し、韓国語しか話せなくなったエピソードに切なくなる。もし自分が一人で暮らしながら、移住先の言葉を失い、徐々に死に近づくとしたら、きっと言いようのない孤独と恐怖に襲われることだろう。この老人ホームのように在日コリアンの方が7割をしめるような場があれば、それも和らぐかもしれない。

 

第8章 近未来を歩く

 芳しくない現状がありながら、それでも少しづつ変わりゆく「移民時代」を描いた章。

 かつて技能実習生として来日し、農園を営む会社で仕事に従事したユエスウフェンさん。帰国後、働きぶりに感心した社長夫妻が彼女を呼び戻され、再来日したのち、夫妻の援助を受け日本の大学を卒業。養子として会社を継ぐ。

 8章ではこんな事例が紹介される。ユエさんは社長を「お父さん」と呼び、社長は「娘がいないと会社は回らない」と言い切る。国境を超えた愛情は確か存在すると感じさせられた。

 

おわりに

 本の中に、自民党元幹事長石破茂さんのインタビューがある。そこで彼は、移民問題に対し「専門的、一元的に取り組む政府組織」の設置を提案するとともに、大切なのは「共生」だと語っていた。

 共に生きるというのは、単に一定の領域で両者が生活することではない。互いに理解を示して歩み寄ることだ。実現には双方向からのコミュニケーションが必須である。現状を良くするために、大声で壁に向かって理想を叫ぶのではなく、まずは目の前の人間に手を差し出すことから始めよう。