森の雑記

本・映画・音楽の感想

宵山万華鏡

宵山万華鏡

 

はじめに

 日を追うごとに夏が進攻する昨今、いかがお過ごしだろうか。都内でも気温30度を超えるところが出てきたというから驚きである。夏と言われると思い浮かぶ、海水浴、プール、バーベキューなど、多くの人が集まる風物詩も今年は開催の目処が立たない。神奈川県においては全ての公営海水浴場が設営されないそう。なんとも切ない。

 中でも一際残念なのが、おそらく各種お祭り・花火大会がなくなるであろうことだ。大学生たるもの夏はお祭りに出かけるべし、と思う僕には少々悲しい。そんな気分をいくらか紛らわせようと、森見登美彦先生が京都の祇園祭前夜を書く「宵山万華鏡」を読んだ。弊サイト何度目かもわからぬ森見作品の感想である。

 

全体をみて

 本作は京都祇園祭の前夜、山鉾巡業でお馴染みのいわゆる「宵山」にまつわる6話からなる短編集である。短編どうしにも大小の繋がりがあるので、何度も同じ登場人物が出てくることになる。作品の雰囲気で言えば森見先生の「きつねのはなし」に近いだろうか。

 作品のツルツルした表紙は、お祭りの雑多な喧騒を思わせる鮮やかなイラストで飾られており、これを見るだけで少しワクワクした気持ちになる。また、各短編の扉ページには、次第に浴衣の少女が金魚へと変わりゆく不思議なイラストが描かれていて、こちらも面白い。

 以下、各短編について。

 

宵山姉妹 

 バレエレッスンの帰り、宵山に寄り道する小さな姉妹のお話。姉妹がお祭りの人混みの中はぐれてしまう様子が妹視点で書かれる。

 この短編は、妹が見る視界がこちらにも見えるような描写に感動させられる。ビルの隙間から見る夏の夕空、ぼんやりと灯るお祭りの提灯、背の高い大人たち、、子供の頃一度はみたことがある景色が蘇るようだ。きっと誰もが、金魚が大きくなると鯉になるのを信じていた時期がある。そんなことを思い出すお話。

 

宵山金魚

 高校以来の友人乙川を訪ね、宵山が賑わう京都へ飛び込む藤田のお話。ごちゃごちゃとした森見ワールドに迷い込んで戸惑う様子が面白い。

 森見先生が本当に得意そうな短編。巨大金魚「超金魚」を育てる乙川君が非常にチャーミングである。「頭の天窓」が開いていると評す藤田君の気持ちもよくわかるくらい底の抜けた人物だった。すごく細かいところだけれど、御地蔵さんの笑顔を表現した「ふくふく」という擬態語はなんだか妙にしっくりきた。

 あと、猫と狸の置物が並んでいる様子を「猫狸猫狸猫狸猫狸…」と書くのは絶対に確信犯。

 

宵山劇場

 「宵山金魚」の舞台裏を描くお話。宵山金魚では藤田が訳のわからない世界に迷い込むのだけれど、それを作った裏方の大学生たちが活躍する。

 「こんな大勢の人間が一ヶ所に集まる必要があるのか」と言い人混みを嫌う小長井君が非常に愛らしい。今となってはシャレにならないけど。「夜は短し」でお馴染み、ゲリラ演劇「偏屈王」の美術監督山田川さんと小長井君を中心に進むこの話は、二人がいかにお互いを必要としているかを理解していく様を、ニヤニヤしながら見るのが王道の楽しみ方であろう。屋上で完成したセットを見ながらの最後のやりとりはもはや告白だろうと言いたくなる。ラスト、二人で偶然「鯉」の風船を見つけるんですよ。

 

宵山回廊

 短編集も折り返しに差し掛かる4話目、雲行きは次第に怪しくなってくる。かつて宵山で行方不明になった少女の父と従姉妹のお話。

 ここまでハイテンションかつコミカルに進んだお話が一度トーンダウンする。「宵山姉妹」が出会った災難の元凶も少しづつ明らかになる。

 一人前の顔をしていても、昔馴染みの人と会うと化けの皮が剥がれる、という言葉には身に覚えがありすぎる。

 

宵山迷宮

 「宵山回廊」を別視点から書いたお話。様々な不可解な現象の謎解きが行われる。謎解き、とはいうものの常識的な理解が示されるわけではなく、非現実的な理由が語られていく。

 全くファンタジーな出来事にも不思議なリアルティーがあるのは森見作品の専売特許かもしれない。

 

宵山迷宮

 「宵山姉妹」を姉視点から書いたお話。なんとなく意地悪をしたとき、罪悪感とともにほんの少しの愉悦が混じっているのは人間の怖いところだと思わされる。それでも「回廊」「迷宮」よりは明るい作品。

 最後、はぐれた姉妹が手を固く握り合うシーンにはグッとくるものがある。

 余談だが、途中で登場する「たまごせんべい」がすごく美味しそう。初めて聞いた食べ物だが、結構一般的なのだろうか。

 

おわりに

 そろそろ巣篭もりも終わりつつあるが、久々の出勤や通学に若干の厭わしさを感じる人も多いだろう。寂しい時間だったが、明けてみると意外に恋しくなるものだ。そんな日々だが、多少は緩和されつつも自粛ムードは継続しており、外の世界は依然とほんの少し姿を変えている。張り巡らされたビニールのシートや他者との「不自然」な距離にストレスを感じる人もいるかもしれない。こんな時にこそ、「頭の天窓」を開いてくれる何かに出会いたいものだ。