森の雑記

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美女と竹林 森見風エッセイ仕立て

美女と竹林

森見風エッセイ仕立て

 

はじめに

 めっきり暑くなって、夏の足音が聞こえる昨今。そろそろ半袖の服を用意したほうがよさそうだ。気温が上がってくると、高校の夏休み、二年連続で出かけた京都を思い出す。中学で転校してしまった友人の家を訪ね、青春18きっぷを使い、早朝5時出発で片道10時間、もう二度とできないだろう強行軍であった。ラーメン、鴨川、祇園、多くの景色が頭に残っているが、中でも嵐山の竹林風景は感動的だった。洞窟のように僕たちを囲む竹の中は何とも涼しかった。

 ということで、京都と竹林と言えばこの本、森見登美彦さんの「美女と竹林」を読んだ。

 

全体をみて

 登美彦氏の日常を模したエッセイ風の作品。内容が事実かどうかは定かでないが、編集者や友人、同僚など多くの森見関係者が登場する。文章を書くことを仕事にした森見先生の苦悩やとんちんかんな様子は、読んでいて楽しい。僕も来年の四月には文章を書く仕事を始めるが、趣味と仕事、好きなことと仕事のギャップに戸惑うことがあるかもしれない、と思わされる。でもそんなときこの作品のように、あれこれ言いながらも楽しく仕事ができるのだろう、と楽天的な気持ちも生まれた。

 

好きな表現

①「なにしろ彼らはシティーボーイである。虫はだめですよ。」

 最近シティポップ・シティボーイなどの言葉はお洒落な意味で使われることが多い。けれど、手入れをしに来た竹林で出現する蚊に大騒ぎする登美彦氏と友人明石さんの姿は、シティの冠がついていようとなんだかあか抜けない。どころか間抜けだ。

 続く文がいきなり丁寧語になるところも気が抜けていてかわいらしい。

 

②「かぐや姫コンテスト」

 竹の伐採に疲れ清談という名の雑談にふける二人。竹林の七賢ならぬ竹林の愚犬となった登美彦氏の妄想が飛びに飛んだ一連。どう考えたら地下室でこっそり門松を愛でる集団へと思想がめぐるのか。彼の空想力に驚かされる。

 

③「喜ぶ顔が見たいからだ!」

 締め切りを守れもしないくせに新たな依頼を受けてしまう登美彦氏のセリフ。どこかで見覚えがある方も多いだろう。ご存知「有頂天家族」の赤玉先生が、弁天にプレゼントをあげる理由を問われた際の一言である。おそらく時系列的には本作は「有頂天家族」に先んじて執筆されているはずなので、ここに名台詞の種があることがわかる。人に何かをするときの究極の理由って結局ここに行きつくよね、という魂の叫び。

 

④「精神は明澄である。魂は純潔である。」

 関係者みんなで竹の伐採をしている際の言葉。何かに没頭しているときの気持ちを表した表現は言いえて妙である。どの口が、という話だが。

 

⑤「昼は肉を喰ったのだから、夜は魚である。」

 竹林伐採作業ののち、食事に出かける際の一言。こういう根拠のない決めつけに思わずニヤリとする。そして妙な説得力を感じてしまう。

 

おわりに

 こうやって感想を見ると、竹林要素は満載だが、いったいどこに美女要素があるのか、コラボ表紙の秋元真夏が浮かばれないではないか、と思うかもしれないが、美女要素はきちんとあるのでご心配なきよう。

 去年行ったばかりではあるけれど、今年の夏は京都に出かけたいな、と強く思わされる作品だった。