森の雑記

本・映画・音楽の感想

きつねのはなし 森見流怪談

きつねのはなし

森見流怪談

 

はじめに

 相も変らぬ自粛ムードの日々。このようなテンションで向かうゴールデンウィークは人生で初めてのことだ。家にこもってだらだらする、日常的なライフスタイルがこうも長く続くと、これはもはや非日常である。とはいえ、非日常であろうと退屈を持て余すことには変わりない。せめて想像の世界だけでも豊かにしようと、森見登美彦先生の奇譚集、「きつねのはなし」を読む。

 

全体をみて

 4つの短編からなるこの作品。どの短編も物語冒頭からどことなく怪しげで、読み進めるごとに不安になっていく。森見先生特有のレトロモダンな語り口は鳴りを潜め、あくまで淡々と、底冷えしてくような物語が綴られていく。これまで読んだ森見作品の中では、「宵山万華鏡」に近いような気がする。4つの短編にはごく緩やかなつながりがある。

 少しづつ狂っていく歯車の行く先を恐る恐るめくっていくのが何とも楽しい。

 以下、4つの短編それぞれの感想。

 

きつねのはなし

 表題にもなっている短編。骨董品店でアルバイトをする男子大学生とその店の女主人の話。天城さんという不気味なお得意先をキーにしながら物語は進んでいく。

 4つの中でいちばん多く人が死ぬ作品。意味が分からないモノにだんだんと惹かれる大学生の様子は、なんだか他人とは思えない。彼にとっての未知は、もちろん天城さんであり、そして何より女主人のナツメさん。結局この話は大学生からナツメさんへのラブレター的なものなのだけれど、知らない部分に引き寄せられることから始まる「恋愛」がありありと表現される。

 

果実の中の龍

 本好きの大学一回生と不思議な先輩の話。博識、話し上手、飄々とした先輩がとても魅力的に描かれる。

 一番不気味な話だった。現実と虚構の境目がどんどん曖昧になっていく錯覚に陥ること間違いなし。多かれ少なかれ人間は嘘をつくと思うけど、その嘘を本当だと自ら信じ込めば、これはもう本当のことになるのではないか。「あの時はこんな気持ちだったんだ」と言い訳された時、たとえそれが偽りでも、相手の心情はわからないし、信じるほかない。相手は相手で、たとえ言い訳が当時からすれば嘘でも、今現在その言い訳を信じているのなら、両者ともに実際とは異なるモノを真実として認定する。自分が言った嘘の心情を自ら信じ込むことは、誰にでもある。

 

 剣道をする高校生と、その家庭教師の話。

 個人的本書ナンバーワンの傑作。きちんと整えられていた針が、だんだんとずれていくのが不気味に表現されていく。最初からちょっと怪しい雰囲気は出てるんだけど、これが表面化した時の恐ろしさと言ったら。同じようでいて、だんだんとニュアンスが変わっていく登場人物の言葉にゾクゾクさせられる。魔が差したんですかね、先生。

 

水神 

 祖父が死んだ葬儀後、兄弟でお酒を飲みながら語り合う話。祖父が残した家宝を、骨董品店が飲み会のさなかに持ってくる。

 水をモチーフにした作品。4つの短編すべてに出てくる「ケモノ」の正体?が少しわかる。この作品もそうだけれど、森見作品は正解を言い切らないところに味がある。余韻の美をこれでもかと感じることができる。いつもより文章が淡々としている分、より状況が淡白に伝わってくるが、これが不気味さを増幅する。最後の一文にはケモノがすぐそばにいるような錯覚を覚えた。

 

おわりに

 こんな話も書けるのか、と森見先生の幅の広さを感じさせられた本作。ごちゃごちゃとした賑やかなお祭りのような話とはうってかわって、淡々とねじれを突き付ける表現には、この「退屈な非日常」を一瞬だけ「不気味な日常」に変える力があった。