森の雑記

本・映画・音楽の感想

リモート営業入門

リモート営業入門

 

はじめに

 リモート飲み会、リモート収録、リモートワーク…リモート〇〇は僕らの生活に完全に根を下ろした。家にいながらのコミュニケーションには多少のストレスを感じないでもないが、その違和感を補ってあまりあるほどの手軽さを僕らに提供してくれる。

 一方でビジネスにおいては、これまで面と向って行ってきた会議や営業に関していわゆる「空気」をうまく作れず、苦戦を強いられる場面が散見されるようだ。まだ社会人ではないので実体験はないけれど、空気感を共有できないことは確かに対人コミュニケーションを不活性化させそう。

 そんな悩みに答える本が、水嶋玲以仁著「リモート営業入門」(日経BP)である。

 

全体をみて

 リモート営業に必要なことを学べるだけでなく、「営業」のあり方を見直すことができる本。もちろんズームやチームスを用いた営業にフォーカスしている本なのだが、書いてあることはかなり汎用的で、対面の営業にも生かせそう。

 これを読んで実践すれば、様々なスキルが身についてより良いリモートライフが遅れるはず。以下、各章気になった部分について。

 

Ⅰ章 リモート営業がニュースタンダードになる理由

 コロナ禍、非対面型のビジネスが主流になりつつある。とはいえ元々テレワークは拡大の兆しを見せていたので、新型コロナウイルスがこの流れを加速させたといったほうが正しいか。この章ではそうした現在地点を元に、これからの「リモート営業」を外観する。

 この章で好きな言い回しは「顧客に恋する」という言葉。「リモート営業」は無味乾燥なものに聞こえるが、顧客を理解する面に関してはむしろアドバンテージを持っている、と著者。相手にサービス(自分)を売り込むには、相手の性格、取り巻く環境、現在の立ち位置を総合的に理解した上で適切なアプローチをしなくてはならない。なるほどこれは恋と同じ。こちらの都合ではなく、相手を主語において物事を考えなくてはならない。さらにサービスのサブスク化が進む現代では、顧客との関係は長期に渡ることも。より一層「恋愛」的な考えが必要であろう。

 「タイミング」が大事な部分、営業は恋愛にそっくり。

 

Ⅱ章 アポイントはこうして獲得!顧客開拓の進め方

 顧客とのファーストコンタクトを教えてくれる章。顧客との出会いは、メール、電話、展示会、様々な場面が想定できるが、特に非対面でのハウトゥーを指南する。

 この章で覚えておきたいのは「最初の電話は2、3分」というお話。顧客と電話でやりとりできる段階になったら、まずはごく短い電話でこちらの人となりを知ってもらい、相手の雰囲気をつかもう。長い電話で捲し立てると不信感をもたれるし、何より初回の電話は相手もまだ様子見。この段階では長話を聞く用意はできていない。

 この「最初の電話」理論は営業だけでなく人間関係構築全般に言えそう。

 

Ⅲ章 信頼を得られるテレコミュニケーションのコツ

 本書のサビと言っていい。この章ではオンラインでのやり取りで信頼を構築するやり方を学ぼう。

 まずは「P・O・IN・T」。コミュニケーションのシナリオをフレームにしたもので、「Purpose」「Outline」「Input」「Translation」の頭文字。会話はまず「目的」を示し、ついで「概観」今回話す内容をおおまかに伝える。それから情報を「入手」し、最後に「次へ導入」という順である。特に重要だと思ったのはアウトライン。これがあるかないかで会話の理解度は大きく変わる気がする。水を入れるのにはまず水槽を用意したほうがいい。金魚や飾りはその後だ。

 それから「熱量キープ」の重要性にも触れておこう。動機や意欲は会話直後に高まるが、時が経つに連れて下がっていくもの。定期的な接触で相手と自分の関係を温め続けよう。

 

Ⅳ章 個の経験をチームの力にする底上げマネジメント

 対面営業は個人の雰囲気や関係に左右されやすく、紹介や引継ぎみたいな場面がなければノウハウが共有しにくい。しかしオンラインならやり取りを録画しておくこともできるし、顧客データの管理だってクラウドを使えば簡単にできる。DXはノウハウを共有するのに役立つ。 

 ソフト面では定期的な声かけで仲間意識を作り、ハードには情報共有を仕組み化する。これでリモート営業はチーム戦にできる。

 

おわりに

 ビジネス書はやっぱり1時間もあれば読めてしまうのがいい。全てを吸収するのは不可能だが、少しでも残ったことを今後に生かそう。

 

 

乱読のセレンディピティ

乱読のセレンディピティ

 

はじめに

 ここで本や映画の感想を書き始めてから10ヶ月がたつ。数えてみるとこれまでおよそ150冊の本を読んできたようだ。月に15冊、2日に1冊読んでいる計算になり、振り返ってみると自分でも驚くほどである。

 全ての本を精密に読んでいるかと言えばそうでもない。難しいところや興味がないところを読み飛ばすこともある。様々なジャンルの本を読んでいれば理系的な知識に触れることもあるが、大体わかればいいのだ。細かい知識があったところで使う機会などほとんどない。 

 とまあ、いわゆる「乱読」に近い読書をしてきたところ、外山滋比古先生の「乱読のセレンディピティ」(扶桑社)と出会った。これは読まなくてはなるまい。

 

全体をみて

 相変わらず読みやすい文章である。(故人に「相変わらず」と言っていいものか)独自の読書論は目新しいし、自分の読書と共通点が見つかると、お墨付きをもらったみたい。

 内容は「思考の整理学」や「日本語の個性」と被る部分もあるが、こういうのを見つけるのが同じ著者の本を読み続ける醍醐味でもある

highcolorman.hatenablog.jp

 以下、面白かった部分について。

 

ノートテイク

 僕は本を読みながらメモをとっている。気になったページ数と内容を箇条書きで並べる単純なものだが、これははてなブログを書くのに大いに役立つ。ところが外山先生曰く「ノートをとるのも、一般に考えていられるほどの価値はない」。心に刻まれたものはノートに頼らすとも覚えているものであり、読んだらまずは忘れてしまうのが良い、これが先生の理論である。

 元々ブログも「せっかくたくさん本を読むのに記録しないのはもったいない」と始めたものだが、この発想自体ダメな気がする。そろそろ潮時か。

 

速読

 英語や古典の文章を読んでいると、頭をいくら捻ってもわからないことがある。しかしネイティブの先生、古典の先生に聞くと「なんでこんなことがわからなかったのか」と驚くことが多い。わざわざ聞かなくとも、翌朝読んでみるとあっさり意味がとれることもある。

 このようなことはなぜ起こるのだろう。外山先生はこれを「速読」の効果だと考える。文章は隣接する単語や文脈との相互作用で形成されるものであり、わからない「部分」に着目したところでその補完関係が読めないのだ。前の単語や文脈の「残像」が残るうちにサクサク読めば、自然と意味がわかる。そう言われるとその通りな気がする。難解な文章に出会ったらまずは読み飛ばしてみよう。

 

乱読

 いろいろなジャンルの本を興味に任せて読んでいくのが乱読である。毎冊隅々まで読む必要はない。この読み方を素でやりやすいのは新聞である。ざっと流し見て、気になる見出しを見つける。リード文を読む。さらに興味を引かれれば全文読む。と言った具合に。外山流の乱読を鍛えるのに新聞はいいらしい。

 情報がパッケージングされた紙の新聞は衰退傾向にあるので、ラインニュースのヘッドラインで同じことをやってもいいかも。

 

セレンディピティ

 さて、本書のタイトルにもある「セレンディピティ」とはどういった意味なのだろう。答えは「思いがけないことを発見する能力」のことである。イギリスの作家をるポールの造語であるらしく、「セレンディップと3人の王子」という御伽噺が元らしい。セレンディップ、今のセイロンが語源とはなんともお洒落な言葉である。使っていこう、セレンディピティ

 

飲んで忘れる

 人間の脳に「忘れる」ことは重要だ。情報は取り入れることも大事だが、同じくらい整理も大事だ。スポーツをバリバリやりながら成績がいい人がいるのはこのためである。適度に「知識供給」から離れることで、いい具合に勉学と距離がおける。その間に脳は知識の片付けをする。

 スポーツに限らず睡眠や散歩もこの観点から脳によろしい。酒を飲んで記憶を飛ばすのも、というのはいささか暴論な気がしないでもないが、とにかく忘れるのはいい。たくさん酒を飲んで記憶を飛ばしても「脳のため」と思って開き直ってしまおう。

 

おわりに

 自分はまだまだ外山先生の言う「乱読」には到達できていないし、「セレンディピティ」も獲得できていない。けれど、これからも読書は続けよう。いくら忘れてしまっても、きっと糧になる。

ロングセラーパッケージ大全

ロングセラーパッケージ大全

 

はじめに

 黒のVANSオールドスクール、明治美味しい牛乳、おかめ納豆、僕たちの身の回りにはたくさんの「定番」がある。ずっと変わらないそれは「とりあえずこれ」という安心感を与えてくれるし、事実パフォーマンスがいい。

 けれどこうした定番品だってアップデートを重ねている。特に見た目。とても分かりにくいものから大幅なイメチェンまで、その変化のバリエーションは多い。

 こうした商品はいかにして「お馴染み」になったのか。日経PB社発行「ロングセラーパッケージ大全」(日経デザイン編)はその過程を教えてくれる。

 

全体をみて 

 いくつかの商品をピックアップして、そのパッケージ変化を分かりやすく視覚的に表現してくれる本。豆知識も豊富に盛り込んであるなど、読んでいてけっこう楽しい。

 以下、お馴染み4つの商品について。

 

雪印コーヒー

 みんな大好きコーヒーへの登竜門。学生時代はこればっかりだった方も多いのではなかろうか。甘ったるい風味は莫大なカロリーを必要とする時期にぴったりだった。

 そんな雪印コーヒーは、当初テトラパックで売られたが、1970年に「雪印ラクトコーヒー」として紙パックも登場。この時から茶色を基調としたカラーリングが行われている。

 2000年には雪印グループの不祥事でブランドイメージが低下。同商品をリニューアルするに当たって「何を残し、何を捨てるか」には苦心したという。そこで使われたのがミルクとコーヒーを混ぜ合わせるグラフィックだったそう。

 かつてほど飲まなくなったけれど、時々無性に飲みたくなる味。パッケージは微妙に変化しているようだが、変わらぬ甘さを届けてくれる。

 

サッポロ一番

 こちらは袋麺界のトリプルエース。次男味噌の評価がやや抜けているか。実はサッポロ一番「しょうゆ」「みそ」「塩」を見比べると、パッケージには驚くほど統一感がない。パッと見おなじ会社の商品だとは思えないくらいだ。これには個性が異なる3つの味を尊重する意図があるらしい。

 ちなみに「しょうゆ」パッケージ右上にある矢印が何を示しているのかはわかっていないらしい。ミステリアス。

 

のりたま

 お弁当のお供、いや食事のお供というべきか。緑のパッケージを知らない日本人はいるまい。昔はすごく高級品だったらしく、量り売りも行われていたんだとか。それに合わせてパッケージも高級感?を出すためにリアルな鶏の絵が使われていた。けっこうきもい。

 現在は鶏だけでなくひよこのイラストも可愛らしくあしらわれている。これはかつて「のりたま」を食べていた世代から、その子世代にも商品を広めていこうとする意図があるらしい。なんでもないところにきちんと意図があるやり方、とても好きです。僕はのりたま第2世代になると思うが、できれば第3世代まで残っていて欲しいな、なんて。

 

ヤシノミ洗剤

 今回唯一知らなかった商品。透明のパッケージが可愛い。ビジュアルにシンプルスマートを求める今の時代には非常に合っている。

 またこの商品は無香料無着色植物由来の洗剤らしく、手にもやさしい。手荒れが酷い僕としてはありがたい。これから使ってみたい。

 

おわりに

 パッケージは商品の顔である。そこにどんな思いを込めるか、何を見せるかは、人で言えば服装や髪型を考えることに近い。どんなにシンプルなイメージでも、中にきちんとした意図が介在するものは美しい。のりたまのように、僕たちも見た目に意図を、と思わされる本だった。

源氏物語を知っていますか

源氏物語を知っていますか

 

はじめに 

 源氏物語にまとめて「触れた」経験が3度ある。

 1度目は高校生の時。受験や模試の古典にはこの大河ドラマがとられることが多い。そのためある程度話を知っておけば、読解問題に有利だと考えた。そこで「漫画でわかる」的なものを購入し、おおまかな流れ、メインの登場人物を知った。元々興味はあったので楽しく読めたし、漫画ということもありキャラ立ちした登場人物らに惹かれた。

 2度目も高校生の時。受験に切羽詰まった時期だったが、息抜きがしたい。けれどゲームに興じるのも後ろめたい。そこで手に取ったのが俵万智訳の源氏物語。こちらも楽しく読めたし、どことなく光源氏には共感できるポイントが多いな、と思ったのを覚えている。

 3度目は大学3年の時。俵万智役を読んでから3年が経過し、記憶が薄れかけたころに、中田敦彦Youtube大学を見た。こちらはあっちゃんらしく寸劇を交えながら解説した動画で、けっこう笑える。頭中将と光源氏の舞を再現するところがおもしろい。

 だからこそ、「源氏物語を知っていますか」(新潮社)というタイトルを発見した時には「いや知ってるわい」と思った。これまでに3度も読んでるんだぞと。けれど胸中は晴れやかでない。原文を全部読んだわけでもないし、3度のうち2度はダイジェスト版なのだ。すごく好きな物語だと言い切れるが、実際の文には断片的にしか触れたことがない。この状況で「知っている」と大見得は切れない。

 気づけば阿刀田高著の本書を手に取っていた。

 

全体をみて

 まず分厚い。総ページ数は491頁にもなる。1冊読み終えるのに日を跨いだのはいつぶりだろう。

 そして読みやすい。大典を順繰りに解説してくれるのだが、読解の難しい部分や華美さの描写には深入りせず、あっさりと済ましてくれるのがいい。

 さらに面白い。著者がピックアップした見所には私見も交えてたっぷりと語ってくれる。なるほどそういう機微があるのね、と頷きながら読める。

 以下、特に好きな場面を。

 

惟光、支度をしろ。行くぞ。

 源氏物語きっての名(迷)シーン、若紫誘拐の場面である。兵部卿宮が来る前に、一気に幼女を奪取しに行く光源氏。その時側近の1人、惟光にかけた声を著者が想像したセリフがこれ。

 有名な場面を臨場感溢れるテイストで紹介する著者の腕に脱帽。今の常識で考えたら本当にありえないんだけども、なんだか光源氏らしいというか、この行動力が彼のかっこいいところでもあるんです。

 

元鞘タッグ

 六条御息所が亡くなったのち、娘の斎宮の取り扱いに思案を巡らす光源氏。そして彼女を冷泉帝のもとに入内させようと思い立つ。しかしこの姫君には朱雀院も興味を持っているようだ。こちらも邪険に扱えない。

 そんな時、藤壺女院に相談を持ちかける。この2人がうまいこと連携し、斎宮の入内を達成、めでたしめでたし。

 さて、ここで面白いのはもちろん冷泉帝実の父は源氏であること、母は藤壺であることの2つである。息子のために元鞘2人がテキパキと行動していく姿がなんだか凛々しい。絶対に口外できないけれど、夫婦ですものね。

 

強かな紫

 源氏が養女として引き取った玉鬘にご執心なのは髭黒大将。それをニヤリと見つめる光源氏。親としての体を取りながら、彼もまた玉鬘に心を惹かれているご様子。

 そんな夫に危機感を持つお馴染み紫の上。「賢い人だ」などと言い訳をする夫に、「賢いならなぜ玉鬘はあなたを頼るの?」と鋭い一言。「私は頼りにならんかね」と返すのにも、「最初は私もあなたを親のように頼りにしておりましたけど」と、こちらも強烈。

 紫の上にしか言えない一言で強かにジャブを打つのがかっこいい。

夕霧まっしぐら

 落葉宮を口説く夕霧がちょっと怖い。既成事実をぐんぐんと作り上げ、女房を見方につけ、とその手は素早い。彼には雲居雁がいるのに、、と思うのは現代の感性だろう。

 この男は真面目ちゃんゆえにこういう時は真っ直ぐ突き進む。

 

奥ゆかしさごっこ

 薫と大君のやりとりも焦れったい。再三和歌で行為をほのめかす薫に対し、妹のことを考えてつれない返事を続ける大君。この2人、見たところ相思相愛っぽいのだが、2人の性格や身分からいまいち踏み込めない。そうこうするうちに大君は亡くなってしまう。

 恋愛はタイミング、というけれど、薫がもう少し強引に行っていれば、と思ってしまう。

 

おわりに

 約500頁の本書を読んで、「源氏物語を知っている」と胸を張れるかと言えばそうでもない気がする。読めば読むほど面白い上に、そろそろ原典にもチャレンジしたくなった。

 

 

できる大人のモノの言い方大全

できる大人のモノの言い方大全

 

はじめに

 いわゆる語彙力というものは「知っている語数」と「その運用力」の積だ、そんな言説を目にしたことがある。なるほどいくら言葉を知っていても、運用がマイナスなら力も負の方向に作用してしまうケースを上手く言い表していると思う。加えて考えると、運用能力が並でも知識が豊富ならそれなりの語彙力が発揮できる、この公式はそんな風に読むこともできよう。

 英単語をいくら知っていても難しい英文が読めないように、反対にいくら文法を知っていても単語がわからなければ英語が理解できないように、ある種の能力は暗記と運用をバランスよくやらないとうまく発揮できないみたいだ。

 ただ、2つの訓練を同時にするのは大事だが、順序はともかくいずれかを鍛えることが大事なことに変わりはない。ならば語彙力を上げるために、話題の達人倶楽部編「できる大人のモノの言い方大全」(青春出版社)を読み、まずは語数を増やしてみよう。

 

全体をみて

 シチュエーションを10種に分類し、それぞれの場面で使うと素敵な雰囲気を醸し出せる言葉をこれでもかと書き連ねた本。言葉を使う状況が例示されるので、「運用」能力も養成することができそう。

 本書で大人の物言いをマスターすれば、人間関係が多少円滑になる。かもしれない。

 以下、各シチュエーション覚えておきたいフレーズ。

 

1 「社交辞令」など

・お早いですね 朝、いつも目にしない人を見かけた時に

・それはそれは(何よりです) 自慢話を聞いた時に

・そういうものですか ハウトゥーを語られた時に

 

2 「聞き方」「頼み方」など

・願ってもないお話です 相手の提案に飛び付きたい時に

・お教えいただきたいのですが 目上の方に質問をする時に

 

3 「断り方」「謝り方」など

・次のお願いがしにくくなりますから 奢りやお礼を断る時に

・あってはならないことでした 謝罪の時に

・とんだ失態を演じてしまいまして 同上

 

4 「気遣い」など

・お心遣い嬉しく存じました 何か気を回してもらった時に

 

コラム 言い換え

 ここに特集される言い換え言葉は、就活ESの「短所」欄とかでうまく使えそう。

 

5 「もてなし上手」など

・〜さんがいないと始まらない 飲み会に誰かを誘う時に

・喜んでお供します 目上の方から食事に誘われ、ぜひ行きたい時に

・実は今日あたり行きたかったんですよ 同上

 

6 「ほめ方」など

・深いですね 万能ほめ台詞

・〜さんでもっている 組織内で相手の存在を肯定的に評価したい時に

 

7 「常識力」など

特になし

 

8 「自己主張」など

・ちょっとお耳に入れおきたいことがございます 目上の方に進言等する時に

・正直な裏のないお言葉をいただきました 嫌味ですか?の言い換え

 この章で紹介される「ムッとした時の言い方」的なものは、そのまま使って上品に切り返すことにも貢献する。加えて内心嫌な気持ちになった時、状況に応じて使うフレーズを決めておけば自分の嫌な気持ちを言葉で消化することにも役立つと思う。マインドセット的にフレーズを対応させておくのもいいかもしれない。

 

コラム ダメな言い方

 「そこをなんとか」頼み事をする際によく使ってしまう言い回しだが、相手の一方的な譲歩を要求する失礼な言い回しでもある。きちんと条件や妥協案を提示した上で交渉しよう。

 

9 「いい人間関係」など

・初物ですね 旬の食べ物を褒める時に

・〜さんの後には歌えない カラオケで

・〜さんの顔を見るとほっとする ちょっと口説き落としたい時に

・「も」 何かを褒めるときは「が」でなく「も」を使おう

 

10 「会議」「電話」など

・お電話が遠いようで 電話越しの声が聞き取りにくい時に

・いただいたお電話で恐縮ですが 電話をくれた相手にこちらから用件を伝えたい時に

 

おわりに

 ここででてきた言葉は単に言えばいいというものではないだろう。笑顔と共に使ったり、あえて戯けて使ったり、場合に応じて「使い方」まで考慮する必要がある。練習あるのみ。

 

 

 

ニューヨークで考え中3

ニューヨークで考え中3

 

はじめに

 高校生の頃、一冊のエッセイ漫画に出会った。当時は「ことりっぷ」や「aruco」など海外旅行ガイドを読むのにハマっていた。修学旅行でシンガポールに行ったせいで、「海外への憧れ」的なものが芽生え始めた時期だったからだ。特に好きだったのはことりっぷの「プラハ」だったのを覚えている。

 そんなわけで書店の海外旅行コーナーに入り浸っていたのだが、そこで見つけたのが「ニューヨークで考え中」(亜紀書房)という、近藤聡乃さんが書いたエッセイコミックだった。

twitter.com

ニューヨークに居住する彼女のリアルかつ素朴な生活が生き生きと描かれる本書に、僕は虜になった。すぐに立ち読みをやめて購入し、家につくのも待ちきれず帰りの電車ですぐに読んだ。

 さてこのエッセイ漫画、この間2巻が出たばかりだと思っていたら、先日3巻が出た。1巻〜2巻の期間よりも短いスパンで出版された気がするのだが、発行日を見るとそうでもなさそう。2巻が出たのを知ったときは飛び上がって喜んだが、(1冊限りの本だと思っていた。)今度は落ち着いて見つけられた。

 

全体をみて

 相変わらず具体的かつ気取らない雰囲気で書かれたエッセイだった。だが、今回はコロナウイルスのことや「外国籍」のこと、ご自宅が水浸しになった事件など、これまでよりバタバタとしている様子がうかがえる。大変だったんですね。

 以下、好きなところ。

 

マッツァボール

 チキンスープに小麦玉が浮かべられたユダヤ料理。アメリカでは定番らしく、とても美味しそう。日本で耳にする機会は全くなかったが、どこかで食べられるのだろうか。

 

日常

 アメリカでの生活にすっかり慣れ、毎日のルーティンを過ごす近藤さんの日常が書かれた回「夢その2」。このなんでもない描写、コーヒーを飲んで、夫と暮らす生活のイラストレイトこそ本書の真骨頂だと思う。

 

花を買う

 「一人暮らしで花を買うのは贅沢」という価値観、素敵だと思います。夫と娘のために花を用意する最後のコマも。

 

外注

 結婚してからは、旦那様馴染みのハウスキーパーさんに仕事を頼むようになった近藤さん。他人に家事をしてもらうのは恥ずかしい、という感覚が抜けないことを嘆く姿も等身大でいい。こういう感情を素直に見せてくれるところもいい。

 

回顧展

 近藤さんの作品を振り返る個展が福岡で開かれたお話。自分が作ったものがきちんと形に残り、作品を見るとその時の感情が思い出せるのっていいですよね。僕もこのブログをそんなふうに見る時が来るのだろうか。

 

大ゴマ

 このコミックは毎冊最後に書き下ろしがつく。この書き下ろしでは大きめのコマに風景が描かれるのが恒例?なのだが、今回もすごくいい。今はしばらく海外にいけないけれど、いつか行ける日がきて欲しいなあ、と思う。

 

おわりに

 最初に「ニューヨークで考え中」を読んでから早5年、近藤さんの生活が大きく変わったように、自分の生活も大きく変わった。4巻を読む時、いったい自分はどんな暮らしをしているのだろう。

メディア論の名著30

メディア論の名著30

 

はじめに

 たくさんの本との出会いをもたらす本がある。和田誠「装丁物語」、筒井康隆「短編小説講義」、「岩波新書解説総目録」、こうした類の本を読めば僕たちはまた新しい本を知ることができる。友人に知人を紹介してもらうような感じである。

 佐藤卓巳著「メディア論の名著30」(ちくま新書)も、前述した本のうちの一つと言えるだろう。

 

全体をみて

 全30冊のメディアに関する本を軽妙に語る一冊。毎回著者のエピソードトークが枕に置かれるのでとっつきやすいと思う。ただ、扱うのが「メディア論」という比較的新しい学問の本なので、聞き慣れない専門用語が出てくるなど中身ついてはけっこう難しい記述も多い。ほどよく読み飛ばすのがいいだろう。

 以下、30冊の中から気になった5冊について。

 

「消費社会の神話と構造」

 大衆社会におけるメディアと消費の関係を論じたボードリヤールの書である。自身の体を「メディア」として捉えるところに面白さを感じた。 

 筋トレ、脱毛、美容整形、、ありとあらゆる「身体」をターゲットにした広告が増える現代を考える上で、読んで損はなさそう。また、消費を「差異化ゲーム」と評する部分も興味深い。先日塾で現代文を教えていたときに同じような記述を目にしたが、問題文の著者はボードリヤールを読んでいたのだろうか。

 

「ニュース社会学

 ニュースが「製造」されるジャーナリズムの現場をフェミニズム的視点から書いた1冊。「ジャーナリズム論」に関する本の多くは現場経験者がそれを批判的に記述することに終始するものが多く、いわば「俗流批判本」になっている、というのは本書の訳者鶴木さんの言葉。

 しかし著者のタックマンはこれを超え、優れたジャーナリズム論を展開する。「メディアが社会の現状を正当化する」という視点に目新しさはないが、ニュース製造現場を緻密にリサーチした本書には価値があると言えよう。

 「機能主義」は現状肯定に傾きやすい(例えば記者クラブ制度を機能主義的に捉えると、「社会システムの安定に役立っている」という評価を与えることができる)、という佐藤さんの指摘にも納得感があった。

 

「政治の象徴作用」

 メディアは政治の「舞台」になった、と考えたのはエーデルマン。投票は「儀式」に過ぎず、「参加している感」を演出するのみ、その証拠に一体どれほどの人が選挙の争点や各党のマニフェストを正確に理解しているだろうか、そんな問いを彼は投げかける。野党の強い批判はかえって与党の強いリーダーを印象付けることもある、という言説など、かなり悲観主義的な捉え方をしているところもいい。

 政治よメディアを考える上で、これは是非読んでおきたい。

 

「場所感の喪失」

 電子メディアが登場する前は、人が特定のことをするためには、特定の場所にいかねばならなかった。神の言葉は教会で、政治談議はコーヒーハウスで、といった具合に。しかし電子メディアの登場で、状況は変わる。もはや物理的場所にこだわる必要はない。メイロウィッツはそんなことを言う。

 メイロウィッツの記述で面白かったのは「非言語的ウソをつくのは難しい」という箇所。確かに口でウソをいうのは簡単だが、態度までウソをつき続けるのって難しい。「言語情報は意識的な制御が可能」という文脈で出てくる話だが、メディア以外の話にも応用が効きそう。

 

「読んでいない本について堂々と語る方法」

 タイトルを知って以来ずっと読みたいと思っていたピエール・バイヤールの本が最後に紹介された。

 彼は「我々が話題にする書物は、現実の書物とはほとんど関係がない」と言い切る。ある書物について大多数の読者が自分流に本を摂取して「うちなる書物」として取り込むが、これは同じ書物を読んだ他者とも、もっと言えば著者が思う書物へのイメージとも違う。であれば、我々は真に書物を「読んだ」と言えるのか。

 これまで読んだ本の中には途中を端折ったり、恣意的に解釈したりしたものもあったが、それでもいいのだ、と背中を押してくれそうな「書物」である。いつか読んでみようと思うけれど、しばらく本書にはこの勝手な解釈をしておこう。

 

おわりに

 いい本がたくさん紹介されたので、読もう読もうと思ってページをめくったが、最後の節を読んでなんだか安心してしまった。

 ここ1年は頭の悪いペースで本を読んできたけれど、そろそろ余裕もなくなってくる。読めなくなる前に、バイヤールの本だけは手に取りたいものだ。